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男性と女性&父性と母性

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日のTVのニュ-スにて、東京都の渋谷区が全国で初めて条例に基づいて、同性カップルを結婚に相当する関係であることを証明する、
「パ-トナ-シップ証明書」を発行したとの報道がなされていました。
同様に世田谷区においても、条例には基づいていませんが、「パ-トナ-シップ宣誓書」の取扱を始めたとのことです。

 

日本では憲法において、婚姻関係は「両性」の合意によると規定されているため、同姓カップルの法律上の結婚は認められておりません。
しかし、当然のことながら、憲法であろうと法律であろうと、「人の心」を鎖で縛ることは出来ません。
同姓カップルは家族ではないため、入院時の面会を断られたり、不動産の賃貸契約を結べないなどの、社会上の制約(差別?)が問題になっていました。
法的な拘束力はないものの、このような社会上の制約を取り払うべく、各関係者に協力を求めるという趣旨のものです。

 

この話題に関しても賛否両論あると思います。
また、デリケ-トな側面もあるため、単に賛成・反対というのではなく、受け入れられるか、あるいは、受け入れられないかという視点もあるかもしれません。
社会上の視点、また心情的な視点などが絡み合ってくる学びでもあることでしょう。
反対の中には、家族という概念が揺らいでしまうといった意見もあるそうです。
あるTVのインタビュ-においては、「自分の子どもや家族であれば反対だが、他の人のことであれば良いのでは」といった意見も報道されていました。
一見すると「無関心」であるようにも思えますが、比較的この見解は多くの方がお持ちなのかもしれません。

 

そこで今回のテ-マ「男性と女性&父性と母性」を考えてみたいと思います。
なお、「男性」「父性」という用語が先に来ておりますが、あくまで日本語としての「男女」「父母」になぞらえてのことで、「男性」「父性」が優位であるといった意味合いはありませんのでご理解下さい。

 

「何か」を表現する時、「違い」を表す、あるいは前面に出すことによって理解が深まることがあります。
「人間」で言えば、その一表現方法として「男性」「女性」と違いを表すことによって、「人間」を知る手がかりの一つとなり得ます。
このような意味から、私は個人的には「男性」「女性」の区別は、「身体的特徴」の違いと「社会的暗示」であると解釈しています。
「人間」という身体的器から考えれば共通点も多々ありますが、やはり「男性」「女性」の間には、体の機能としての違いがあります。

 

ところで、よく「男らしさ」「女らしさ」などの言葉を聞いたことはないでしょうか?
男は泣くものではない、男は少々のことは我慢するものだ、一方、女性なんだからおしとやかにしなさい、女性は家庭を守りなさい、などと耳にされた方も多いのではないでしょうか。
これが、

 

「社会的暗示」

 

と言われているものです。
社会的暗示とは、小さい頃から親や周囲の人々に言われ続けてきたこと、社会的に良しとされていること、などが知らず知らずの内に、それが最良なんだと言われ続けている内容のものです。
いわゆる「常識」の一角として形作られているものも多くあります。

 

しかし、このような一部の社会的暗示やある種の常識は、時代や社会の変化と共に移り変わっていきます。
つまり、一昔前の常識は、今の非常識に繋がってしまうケ-スがあるということです。
今の常識や社会的状況の下では、先の「女性は家庭を守りなさい」という暗示は非常識であったり、女性の人権を蔑ろにしていると評価されるケ-スが多いことでしょう。

 

勿論「社会的暗示」の中にも、不変の教えというのはあるかと思います。
目上の人を敬うとか、小さい子に優しく接する、困っている人がいたら助けてあげる、など多数にあると思います。
当然のことながら、敬うのは目下の人にも同様ですし、優しく接するのは出会う人全てに当てはまるでしょう。
また、自分が助けられることもあるのだから、その時は感謝してお世話になりなさいという意味合いも含まれています。
このような不変の社会的暗示は、物事を実践しやすくなるという側面でも有効であると考えます。
「先ず隗より始めよ」という諺にも表れています。

 

では、「父性」「母性」とはどう違うのでしょうか?
あくまで一つの例えや目安であり、これが絶対というものではありませんが、

 

父性 = 勇気、力強さ、、、、、
母性 = 優しさ、包容力、、、、、

 

などとイメ-ジされるかもしれません。
先ほど「男性」「女性」は身体的違いであると区別しました。
男性には有って女性には無いものもありますし、女性には有って男性には無いものもあります。

 

では、上の例のように父性には有って母性には無い、あるいは母性には有って父性には無いものはあるのでしょうか?

 

「男性」「女性」の区別と違って、「父性」「母性」には本来は区別がありません。
区別がないということは、「男性」の中にも「父性」「母性」の両方が備わっており、「女性」の中にも「父性」「母性」の両方が備わっているということです。

 

人それぞれ兼ね備えている「父性」「母性」の性質も違いますし、比重も違います。
そして色々な経験を経ることで変化もしていきます。
つまり「人間」には「父性」「母性」の両方が備わっています。
そして「父性」「母性」のバランスの違いで私達の「個性」というものが表現されているのかもしれません。

 

このように見ると、本来の「人間」として見るならば、「男性」「女性」の区別、そして、そこに移ろいのある「社会的暗示」が色々と影響を及ぼして、「人間の本質」が歪められているようにも捉えられます。

 

「男性」のみでは「子ども」は産まれてきません。
「女性」のみでも「子ども」は産まれてきません。
「男性」「女性」の両方の融合があって「子ども」は産まれてきます。

 

誤解しないで頂きたいのですが、同性カップルは「子ども」を産めないと反対している訳ではありません。
「男性」「女性」、そして「父性」「母性」共々、融合の中にバランスを取っていくというのが大切であると私は考えています。
そして、「人間」とは本来、そのような融合とバランスを取って生きていると捉えられるなら、同性カップルにおける社会上の制約についても、同性カップルである前に「人間としてのカップル」という見方で、もっと社会上の制約が見直される余地が広がるかもしれません。

 

「男性」が「男性」を好きになる。
「女性」が「女性」を好きになる。
この本質は、「父性」と「母性」の融合とバランスの元となっている、「人間としての個性」に惹かれ合っているのかもしれません。

 

「性同一性障害」などで悩み苦しんでいる方々も大勢いらっしゃるかもしれません。
また、「男性」なのに何で弱々しいんだろう?
あるいは、「女性」なのに何で男勝りの言動をしてしまうんだろう?
などと悩まれている方もいらっしゃるかもしれません。
その際は、「男性」「女性」そして「社会的暗示」から一度身を解放し、
「父性」「母性」という視点から「自分という人間」を見つめ返してみれば、心に余裕が産まれてくるかもしれません、、、、、

そして、今回のTOPICSは賛成・反対、あるいは良い・悪いなどの意見を述べる趣旨ではありません。
誰もが「自分を知る」ということを日々色々な経験をし、そして無意識ながらも行っています。
「自分を知る」ということを行う際、自分の中の「父性」「母性」を手がかりの一つとしてみては如何でしょうか、、、、、

 

なお、ここから先は余談と少しスピリチュアルなお話になりますが、
ヒプノセラピ-(催眠療法)において「前世療法」を行っている私の経験としては、
今回が初めての人生という場合は別として(今回の人生が初めてという方には私はまだお会いしたことはありませんが)、ほぼ間違いなくほとんどの人が「男性である人生」も「女性である人生」も経験しています。

 

そして、「魂には性別はない」とも言われています。
私達が役割を変えて何度もこの世に戻って来ているのは、「男性」「女性」という役割を色々な角度から経験し、
そして「父性」「母性」を身に備えていくことで「魂」として成長し、「人間」そして「魂としての自分」というものを知っていく旅をしていると思えることも多々あります、、、、、

2015年11月7日 04:11

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