男性と女性&父性と母性 ~社会的暗示という常識を疑い人間を見る~

あくまで一つの例えや目安であり、これが絶対というものではありませんが、

 

父性 = 勇気、力強さ、、、、、
母性 = 優しさ、包容力、、、、、

 

などとイメージされるかもしれません。
先ほど「男性」「女性」は身体的違いであると区別しました。
男性には有って女性には無いものもありますし、女性には有って男性には無いものもあります。

 

では、上の例のように父性には有って母性には無い、あるいは母性には有って父性には無いものはあるのでしょうか?

 

「男性」「女性」の区別と違って、「父性」「母性」には本来は区別がありません。
区別がないということは、「男性」の中にも「父性」「母性」の両方が備わっており、「女性」の中にも「父性」「母性」の両方が備わっているということです。

 

人それぞれ兼ね備えている「父性」「母性」の性質も違いますし、比重も違います。
そして色々な経験を経ることで変化もしていきます。
つまり「人間」には「父性」「母性」の両方が備わっています。
そして「父性」「母性」のバランスの違いで私達の「個性」というものが表現されているのかもしれません。

 

このように見ると、本来の「人間」として見るならば、「男性」「女性」の区別、そして、そこに移ろいのある「社会的暗示」が色々と影響を及ぼして、「人間の本質」が歪められているようにも捉えられます。

 

「男性」のみでは「子ども」は産まれてきません。
「女性」のみでも「子ども」は産まれてきません。
「男性」「女性」の両方の融合があって「子ども」は産まれてきます。

 

誤解しないで頂きたいのですが、同性カップルは「子ども」を産めないと反対している訳ではありません。
「男性」「女性」、そして「父性」「母性」共々、融合の中にバランスを取っていくというのが大切であると私は考えています。
そして、「人間」とは本来、そのような融合とバランスを取って生きていると捉えられるなら、同性カップルにおける社会上の制約についても、同性カップルである前に「人間としてのカップル」という見方で、もっと社会上の制約が見直される余地が広がるかもしれません。

 

「男性」が「男性」を好きになる。
「女性」が「女性」を好きになる。
この本質は、「父性」と「母性」の融合とバランスの元となっている、「人間としての個性」に惹かれ合っているのかもしれません。

 

「性同一性障害」などで悩み苦しんでいる方々も大勢いらっしゃるかもしれません。
また、「男性」なのに何で弱々しいんだろう?
あるいは、「女性」なのに何で男勝りの言動をしてしまうんだろう?
などと悩まれている方もいらっしゃるかもしれません。
その際は、「男性」「女性」そして「社会的暗示」から一度身を解放し、「父性」「母性」という視点から「自分という人間」を見つめ返してみれば、心に余裕が産まれてくるかもしれません、、、、、

そして、今回のTOPICSは賛成・反対、あるいは良い・悪いなどの意見を述べる趣旨ではありません。