カルマ(業)の輪から抜け出す方法:前編 ~加害も被害も「赦し」が鍵~

【 視点を埋める 】

広島経済大学教授の竹林 栄治さんは、約15年前から学びを提供し続けています。

そして、学びの提供に思い至った理由が、

 

現在の大学生頃の年代の人には・・・

かつての広島市が軍都だった歴史と事実を・・・

学んで来た人はほとんどいない・・・

 

からです。

そして、竹林さんは山口県出身であるものの、

 

被曝「後」の歴史のみに・・・

重点を置く平和教育に・・・

違和感を感じ続けて来た・・・

 

というキッカケもありました。

それらの事情を踏まえ、竹林さんは話します、、、

 

竹林さん:
『 原爆が落ちる「前」にあった歴史は、(平和教育から)完全に落ちている。 何があったか分からないけど、突然、空から原爆は降らないから、その「前」があるはずです。 』

 

 

【 今、思う事 】

自分自身の過去を振り返り、《 軍国少女 》だったと自戒の日々を送っている千枝子さんですが、それと同時に、今も原爆の後遺症に苦しみ続けています。

そのように体調が悪い日もありながらも、毎日、新聞3紙にくまなく目を通す事を、日課として果たしています。

そして、千枝子さんは話します、、、

 

千枝子さん:
『 被害と加害というのは、裏表で一枚だと思う。 (被爆前は)軍需工場がひしめいていた。 だから原爆も落とされたんだと思う。 その二の舞をまた践んではいけないと、固く固く思ってます。 』

 

 

そして、今年(2026年)の3月、

 

政府は反撃能力(敵基地攻撃能力)を備えた・・・

長距離射程ミサイルを配備するに留まらず・・・

殺傷能力のある武器輸出を解禁する為に・・・

防衛装備移転三原則の5類型を撤廃し・・・

防衛産業を成長させる・・・

 

との方針を打ち出し、国民の意見を聞かずに、実行しました。

そして、これらに関する新聞記事を読みつつ、千枝子さんは話します、、、

 

千枝子さん:
『 何だが、じわじわと、かつての軍国日本になりつつあるんじゃないかという気がしますね。 これはまさに、戦争の準備ですね。 恐いな。 』

 

そして、思いを短歌に託します、、、

 

《 この国はどこへ行くのか 再び戦の匂ひ 著く漂ふ 》

 

 

では、番組は終了し、ここ迄の内容に関し、一言だけコメントします!

その前に、とても大切な視点であると同時に、誤解を生じやすい視点を指摘します、、、

 

それは、千枝子さんの『 その敵(かたき)を討たれてしまったなと、原爆が落ちた時に思いましたよ。 』、あるいは、『 (被爆前は)軍需工場がひしめいていた。 だから原爆も落とされたんだと思う。 』とのコメントに関し、

 

これはカルマ(業)という意味でもなく・・・

その為に取り上げた訳でも全くない・・・

 

という事です。

そして、

 

被曝したのはアメリカ人も然り・・・

広島市で暮らす多くの朝鮮人や他国の人も犠牲となり・・・

被害を被ったのは日本人だけではない・・・

 

という「事実」です。

そして、同じ事は長崎市でも然り、あるいは、全国の空襲などでも当てはまります。

 

 

その一方、終戦を迎え、若干とは言え落ち着きを取り戻した当時の広島市では、

 

同じ広島人同士でありながらも・・・

被曝していない人から被爆者へ向けた・・・

差別や誹謗中傷が飛び交う・・・

 

という「現実」がありました。

しかも、

 

子ども同士でも同じ

 

というのが「実態」でした、、、

 

 

では、番組『 テレメンタリー2026 』(テレビ朝日)から、「 虐殺のレリーフ ~スパイと見なされて~ 」の回を少し眺めます!

 

【 疑心暗鬼が渦巻いた沖縄戦 】

番組の冒頭は、以下のコメントで始まります、、、

 

《 スパイ防止の名の元で、何が起きるのか。 今に繋がる話である。 》

 

1945年、戦時下の沖縄県の久米島では、

 

敵国アメリカ軍のスパイと見なされた島民20人が・・・

日本軍により虐殺された・・・

 

という事件が起こっていました。

そして、国内で唯一の地上戦となったのが沖縄戦ですが、アメリカ軍が久米島に上陸したのは、沖縄戦が終結した3日後の6月26日でした。

そして、久米島に駐留していた日本軍は、約30人でした。

 

そして、日本軍は多くの島民を駆り出し、山の奥深くに幾つもの壕を掘らせ、潜伏していました。

そして、日本軍を率いたのが、海軍通信隊の鹿山 正 兵曹長でした。

そして、アメリカ軍を恐れていた鹿山は、以下の通達を出しました、、、

 

鹿山の通達:
『 敵と関わった島民は、スパイと見なして処分する。 』

 

そして、アメリカ軍が上陸した3日後、9人の島民が日本軍の手により刺し殺され、家も焼き払われました。

しかも、その理由が、アメリカ軍の聴取を受けた島民を、鹿山に引き渡さなかったが故の、

 

連帯責任を取らされた

 

というものでした、、、

 

 

ところで、久米島出身の仲原 善助さんは、鹿山の隊に配属されていました。

そして、事件の翌朝、9人の虐殺に関与した兵士から話を聞き、更に、日本軍を案内した人がいた事実に関しても、手記に残していました、、、

 

仲原さんの手記:
『 同じ日本人が、同じ日本人を、何の罪も無い民間の人々を大量に虐殺するとは、その罪、永劫に許さるべきものではない。 』

 

こうして、

 

「お国の為に」と名を借りた・・・

島民による日本軍への密告が始まり・・・

島民同士は疑心暗鬼の渦に・・・

巻き込まれ始めた・・・

 

という事態に繋がりました。