【 過剰なタブー(禁忌)が発端 】
2024年のベルリン国際映画祭では、
パレスチナ人とイスラエル人の二人の監督による共同合作映画が・・・
最優秀ドキュメンタリー賞を受賞!!!
しました!
そして、二人は受賞スピーチで、
イスラエルによるガザ攻撃を即刻中止して欲しい
という声(訴え)を上げた所、
会場の観客は賛同の拍手喝采で応えた!!!
という光景が繰り広げられました!
しかし、
ドイツがタブー(禁忌)として来た・・・
《 忌まわしい露骨な反ユダヤ主義だ 》・・・
と、一部の人間や組織などから批判されました、、、

では、改めて番組の続きに入りますが、
今回のテーマに擬(なぞら)える
という意識で眺めて下さい(笑)
【 ユダヤ人にまつわる歴史 】
キリスト教社会において、ユダヤ人は異質な存在と見做されて来ました。
故に、中世以来のユダヤ人は、
ヨーロッパ各地で迫害を受けて来た
という歴史があります。
更に、19世紀末になると、ロシアや東欧ではユダヤ人に対する、
ポグロム(集団虐殺)が繰り返されて来た
という歴史もあります。
故に、同じく19世紀末から、
ユダヤ人が安全に暮らせる場所を作る事を目的とした・・・
シオニズム運動が始まる・・・
という流れになりました。

そこで、ユダヤ人が目指した地が、
古代イスラエル王国があった中東のパレスチナ
という事です。
しかし、第二次世界大戦の終結後、ナチによるホロコースト(大量虐殺)を生き延びた多くのユダヤ人がパレスチナへ向かったものの、パレスチナでは長きに渡り、
アラブ系の住民が暮らして来た
という歴史がありました。
こうして、
ユダヤとアラブの二つの民の間で・・・
衝突が始まる・・・
という事態に陥りました。

そこで、1947年、国連はパレスチナを、
ユダヤ人国家(ユダヤ側領地)とアラブ人国家(アラブ側領地)に分割する
という案を決議しました。
こうして、翌1948年、決議に基づき、
ユダヤ人国家のイスラエルが建国
されました。

【 ドイツの過去と思惑 】
更に翌1949年、西ドイツが建国されました。
そして、西ドイツはナチの手により600万人ものユダヤ人が殺害された、
ホロコーストの責任を認め・・・
国家としての贖罪を表明し・・・
ユダヤ人国家のイスラエルに賠償すると共に・・・
イスラエルへの支援を国是とする・・・
という道のりを歩んで来ました。
しかし、1990年、
東西ドイツが統一
されました。
ただ、統一は喜ばしい出来事であるものの、
1950年代の東ドイツは・・・
西ドイツによるナチの罪は自らの歴史とは切り離す・・・
という方針でした。
なぜなら、ユダヤ人を強制収容所から解放したのはソ連である事に加え、第二次世界大戦後の東ドイツは、
ソ連の衛星国家であったが故に・・・
自らを加害者とは見做していなかった・・・
という背景がありました。

このように、統一は果たされたものの、ユダヤ人に対する贖罪や支援は、
東ドイツの立場では押し付けられた形になり・・・
東西ドイツで真逆の歴史観を抱く・・・
という流れになりました。
ただ、西ドイツの方が経済的にも繁栄していた事に加え、東ドイツからの亡命者も受け入れるなど、西ドイツが主導権を握る方向で進んで来ました。
そして、統一が実現した頃から、
ドイツはイスラエルへの武器供与を本格化させる
という行動を加速させました。
また、
イスラエルは核兵器保有を公式に認めていないものの・・・
イスラエル海軍の原子力潜水艦の建造費を・・・
ドイツが肩代わりしている・・・
という事実も明らかになっています。
