【 無知は罪 】
ゴルバチョフはクレムリンの対応に業を煮やしたかの如く、グバレフに電話を掛けました。
そして、グバレフはゴルバチョフに全ての事実を率直に伝えました。
すると、至急モスクワへ戻り、取材で得た情報を全て教えて欲しいとゴルバチョフはグバレフにお願いしました。
これが、冒頭の「前回のおさらい」の箇所で登場した、極秘文書に繋がります!
そして、極秘文書には、
避難を遅らせた政府の責任は然り・・・
原発周辺は高い放射線量が持続している・・・
などの事実も、忖度無しに書かれました。

そして、事故から18日後の14日、ゴルバチョフはニュースを通じて、
危険は未だに去っていない事実を・・・
自国民に正直に伝える・・・
という風に、自らで自らの襟を正しました。
そして、このような事態に陥る迄に、
遅れに遅れを取り・・・
後手に回った原因は・・・
自分も原発に無知だったから・・・
と、後にゴルバチョフは打ち明けています、、、

【 あの世で何を想う 】
原発事故調査委員会の委員長を勤めた、科学者のワレリー・レガソフは、
事故から2年を経て・・・
初めて真の原因を語る・・・
という行動を取りました。
しかし、この行動を起こした時、
レガソフは既に・・・
この世を去っていた・・・
という状況でした、、、

遡ること、事故から3ヶ月後の8月25日、事故調査委員会の記者会見が行われました。
そして、記者会見では、事故の事実は認めるものの、
話をはぐらかすかの如く・・・
原子炉の耐久性の凄さに言及するなど・・・
原発政策の擁護が繰り広げられる・・・
という体たらくでした。
しかし、先の小林さんがレガソフに改めてインタビューを申し込んだ所、記者会見とは別の回答をしました、、、
レガソフ:
『 作業員は訳も分からないまま、仕事を受けただけであって、事故当日の試験(テスト)が、こんな危険とは誰も予想していなかったでしょう。 ですから、緊急事態の為の技術的対策は、想定されていなかった。 それこそが、設計上の大きなミスでしょう。 』
そして、この発言から2年後、レガソフは自ら命を絶ちました、、、

【 人命よりも経済至上主義 】
実は、レガソフ本人は事故当日から記者の質問に答えるなど、事故対応に関与していました。
そして、プリピャチ市民の一斉避難を市に提言したのも、レガソフでした。
なぜなら、
レガソフの役目は・・・
事故原因を究明し・・・
クレムリンに報告する事だった・・・
からです。
そして、レガソフが目を付けたのが、自動で原子炉の温度調整がされるはずのシステムが、作業員が安全装置を外して、手動で温度調整が出来る仕組みに変えられていた点でした。
そして、
これが最大の事故原因!!!
と、レガソフは指摘しました!

しかし、この指摘は、
ソビエトの原子力開発の権威である・・・
二人の長老を敵に回す・・・
という事態を意味しました。
その一人が、長年に渡りソビエトの原子力行政を一手に担って来た、中型機械製作省大臣のエフィーム・スラフスキーです。
もう一人が、チェルノブイリ型原発を設計した大御所で、ソビエト科学アカデミー総裁のアナトリー・アレクサンドロフです。
特に、アレクサンドロフは若き日のレガソフに目を掛け、要職に抜擢するなど、
レガソフには恩師に当たる人物
でした。

そして、会議にはゴルバチョフを始めとする政治局員と政府関係者、そこに二人の長老とレガソフが参加しました。
そして、まず最初に、ゴルバチョフが質問します、、、
ゴルバチョフ:
『 長きに渡って、不完全な原子炉が実用化されていたという事ですか? 』
すると、アレクサンドロフを擁護しつつ、スラフスキーは答えます、、、
スラフスキー:
『 チェルノブイリ型原子炉は、もう30年ちゃんと動いています。 何も事故は起きていません。 』
しかし、原発所長のブリュハーノフは曝露します、、、
ブリュハーノフ:
『 実は、年に一度や二度、事故が起きていました。 』

そして、ゴルバチョフはレガソフに質問します、、、
ゴルバチョフ:
『 事故が起こるという事は、我が国の原子炉は十二分に研究されていないという事ですね!? 』
すると、レガソフは率直に、正直に答えます、、、
レガソフ:
『 はい、そうです。 』
しかし、恩師のアレクサンドロフは反論します、、、
アレクサンドロフ:
『 私が設計した原子炉は改善出来ます。 暴走を止められます。 命を懸けて保証します。 』
しかし、レガソフは恩師と袂(たもと)を分かつべく、毅然とした態度と言葉で答えます、、、
レガソフ:
『 もう我々の原子炉は、時代遅れなのです。 』
このように、レガソフは皆の前で断言しました!

しかし、会議直後に作成されたマスコミへの発表文(草稿)では、発表直前に首相のニコライ・ルイシコフが会議の内容を隠蔽する判断を下しました。
更に、レガソフが指摘した設計上の重大な欠陥も、無かった事にされました。
その理由に関し、後にルイシコフは話します、、、
ルイシコフ:
『 もしあの時、原子炉の欠陥を公表してしまったら、ソビエト国内の全ての原子炉が停止へと追い込まれたでしょう。 そうなったら、国を支える電力供給は一体どうなりますか。 事故が起きたからと言って、原発の重要性を忘れてしまうようでは、いけないのです。 』
【 長いものに巻かれた 】
しかし、先に紹介した8月25日の記者会見で、レガソフは次の通り話しました、、、
レガソフ:
『 試験(テスト)の準備段階で原発職員が行った様々な間違った行動が、事故を引き起こした事が分かりました。 専門家が言うには、もし仮に作業員達の幾つかの間違った行動の内、一つでも無かったなら、今回の事故は起こらなかったであろうと断言しています。 』
つまり、レガソフは、
既に気づいていたにも関わらず・・・
事実と自説をねじ曲げ・・・
作業員に責任転嫁し・・・
設計上の重大な欠陥の明言を避けた・・・
という不作為の行動を取りました。
そして、1987年7月に開かれたチェルノブイリ裁判では、事故の責任を追及され、逮捕されたのは所長のブリュハーノフ以下、作業員6名のみでした。

【 生き様とは 】
1988年4月に自らで命を絶ったレガソフですが、実は、友人のグバレフに真相を託していました。
グバレフがレガソフの葬式に赴いた所、レガソフがグバレフ宛てに手紙を残している事が分かりました。
そして、手紙の中にはレガソフのノートが入っていました。
そして、ノートを最後まで読み終えたグバレフは、その内容をプラウダ(ソ連共産党機関誌)に掲載する事を決意しました。
そして、レガソフがノートに残した通り、原子炉に関する異常なまでの不十分な設計、安全管理システムの欠陥などを、プラウダに公表しました。
そして、プラウダにはレガソフの写真と共に、次のタイトルを付しました、、、
《 これを語るのが私(レガソフ)の義務 》

その後、レガソフが指摘した点を含め、チェルノブイリ型原発には幾つかの改良が施されました。
一方、アレクサンドロフは科学アカデミーの名誉総裁として、死ぬまで君臨しました。
そして、アレクサンドロフは1994年のインタビューで、次の通り断言しました、、、
アレクサンドロフ:
『 (自分が設計した)原子力潜水艦や砕氷船は今も動いていて、我が国で活躍しています。 』
そして、時を経た2019年、石棺で覆われていた原子炉は、新たな鋼鉄製のシェルターで、更に強固に覆われました。
しかし、現在進行中のロシアの爆撃により、
シェルターで火災が起こり・・・
穴が空いている・・・
という状態です、、、

では、前回と今回の2回に分けた番組の紹介も終了し、締め括りに入ります!