【 何も知らされなかった消防士達 】
4月26日の午前1時23分、原子炉の制御室にいた作業員達が、緊急システム作動のテストを始めました。
すると、原子炉の温度が急激に上昇し始め、爆発に至りました。
そこで、事故の一報が消防署に入り、最初に駆け付けたのが28名の消防士達でした。
その内の一人が、ボロジミール・プリシチェパです。
そして、プリシチェパは、
単なる火災と考え・・・
いつもと同じく早く消火するだけ・・・
という、普段通りの行動を取りました。

しかし、事故から30分後の午前2時、
既に凄まじい量の放射性物質が・・・
漏れ出していた・・・
というのが実態でした。
そして、何も知らされていない消防士達は、防護服も身に付けず、普段通りの消火作業に当たりました。
そして、建屋の屋上にいた2人の消防士が、
原子炉を直接に覗き込んでいて・・・
その後の2人は・・・
入院先の病院で死亡した・・・
と、プリシチェパは回想します。
更に、
大量の放射性物質を放つ黒鉛が・・・
現場の至る所に散らばっていた・・・
という状況でした。

真夜中の寒い中での消火作業だったので、何も知らない消防士の一人は黒鉛を手に取り、暖を取っていました。
そして、同じくプリシチェパも黒鉛で暖を取った所、9年後の39歳の時までに全ての歯を失いました。
そして、プリシチェパが所属する部隊の12名全員が後にガンを発症し、その内の10名が死亡しました。
【 知らされなかったのは原発村も同じ 】
事故から4時間30分後の午前6時、現場の実態や事故の規模が明らかになるにつれ、被害の拡大を食い止める為に、作業員による命懸けの事故処理が始まりました。
しかし、同じ頃のプリピャチ市では、
市民は外出する事を含め・・・
普段通りに暮らしていた・・・
という状況でした。
なぜなら、チェルノブイリ原発の所長ヴィクトル・ブリュハーノフが、
『 屋根から出火したが、午前3時30分に火は消し止められた。 』との・・・
嘘の報告をしていた!!!
からです!

そして、事故から8時間30分後の午前10時、火災の報告を受けたプリピャチ市の幹部による会議が始まりました。
そして、当時の副市長アレクサンダー・エサウロフも、会議では単なる火災として処理されたと証言します。
しかし、事態はそれに留まらず、
所長は『 放射線量も通常通り。 』との・・・
嘘を重ねていた!!!
というのが実態でした!
そして、事故当日に撮影されたプリピャチ市内の映像を検証すると、時折、フィルムに白いものが点滅していました。
この点滅する現象は、空気中の放射性物質がフィルムに反応して写ったものでした。
つまり、
プリピャチ市内にも既に・・・
放射性物質が拡散していた・・・
という事です、、、

【 問題は過去にあった 】
実は、所長が嘘を重ね続けた事に加え、更に事故を隠蔽しようとした理由がありました。
それが、事故を起こした4号炉は、
建設当初から問題を抱えていた
という事実です。
チェルノブイリ原発の建設の際、資材不足で工期が大幅に遅れていました。
そこで、
本来は原子炉の稼働前に・・・
実施するテストを先送りし・・・
原子炉の運転を始める不正に手を染めた・・・
というのが実態でした。
そして、事故が起きた時に作業員達が行っていたのが、
先送りして来たテストそのもの
でした。
故に、所長は責任の追及から逃れる為に、嘘と隠蔽を重ね続けました。

しかし、他にも知らされていなかった事実が、もう一つありました。
それは、
今回の事故の5年前にも・・・
1号炉で放射能漏れが起きていた・・・
という事故です。
そして、この5年前の事故の時も同じく、ブリュハーノフが所長でした。
一方、同じく午前10時頃には、モスクワにも事故の報告が届いていました。
故に、ソビエトの指導部たる通称クレムリンでは、首相を含む政治局員が緊急招集されました。
しかし、同じく単なる火災なので、早く消火するようにとの指示だけで、会議は終わりました。
しかも、
最高指導者たる書記長のミハイル・ゴルバチョフにも・・・
報告が上がらなかった・・・
という実態も、後に判明します、、、
