【 戦勝国も嘘という二枚舌 】
1945年7~8月、戦勝国によるポツダム会談が開かれました。
そして、戦勝国たるアメリカ・ソ連・イギリスが、敗戦国たる日本やドイツの戦後処理を協議しました。
その結果、
ソ連とポーランドは領土を更に拡大し・・・
ドイツの領土は縮小・・・
されました。
そして、先ほどの通り、東欧に移住組のドイツ人と、東欧が故郷組のドイツ人を合わせた約1500万人が、ドイツ本国へ追放される事も決定されました。
そして、1946年1月、追放が開始され、
歴史上最大規模の「人間」の移動
となりました。

しかし、特に東欧が故郷組のドイツ人にとっては、「一夜」にして故郷を追われる事態となり、移動を拒否し、自殺する人もいました。
そして、ポツダム会談の「建前」では、
「人道的」な方法で移送させる
という取り決めでした。
しかし、「本音」が体現されたが如く、
人道的配慮は皆無どころか・・・
暴力的な追放・・・
という実態でした。
そして、収容所に集められ、ナチ・ドイツがユダヤ人を強制収容所に送ったのと同じ貨物列車で、移送される事が決まりました。
そして、伝染病防止の薬剤を全身に散布され、
老若男女を問わず・・・
貨車にすし詰め・・・
という状態で、移送されました。
そして、ポーランド国境でドイツ人の聖職者が目撃した際の証言です、、、
ドイツ人の聖職者:
『 貨車1台から10体もの遺体が運び出され、その辺の棺桶に放り込まれるのを、この目で見た。 更に、錯乱状態の人もいて、汚物まみれになっている人もいた。 余りにギュウギュウに詰め込まれていたので、用を足す場所に移動する事が出来なかったのだろう。 』

そして、徒歩移動を強いられたドイツ人も数多くいました。
故に、特に老人や子どもの多くは飢えと疲労で、命を落としました。
更に、道中では略奪に遭うのは然り、暴行(強姦)や殺人などの犯罪も数多く起こりました。
こうして、
本国ドイツに辿り着く前に・・・
多くのドイツ人が命を落とした・・・
というのが実態でした、、、

【 本国ドイツも地獄さながら 】
命からがら、ようやくドイツに辿り着いたものの、
ドイツは既に瓦礫の街と化していた
という実状でした。
故に、ドイツ人は路上に捨てられた馬の死骸に群がり、飢えをしのぐ有様でした。
一方、ドイツ国内で保護されたユダヤ人には、連合国から救済の手が差し伸べられ、一時的とは言いながらも、豪勢な暮らしを保障されました。
そして、ドイツ人には連合国による食糧配給が行われるものの、
当初は1日当たり1550キロカロリーの予定が・・・
日毎に量を減らされ・・・
戦前の水準の半分まで落ち込む・・・
という状況でした。
故に、
ドイツ人同士の間で食料を巡り・・・
なりふり構わぬ略奪が横行・・・
しました。
つまり、本国ドイツでは、
戦前・戦中から住んでいたドイツ人も・・・
「自分事」で手一杯で・・・
追放から辿り着いたドイツ人に関しては「他人事」であり・・・
面倒を見れる余裕は皆無・・・
でした、、、

【 分断するドイツ 】
このように、ドイツ国内で三者三様のドイツ人が集結し始めると、追放された2組のドイツ人の暮らしは、
更に一層の過酷さを極め・・・
再び様々な地へ離散していく・・・
という流れになりました。
こうして、多くのドイツ人が、
同じ国内にいながらも・・・
難民となって彷徨う・・・
という事態になりました。
そして、安全・安心な地を求め、200万人近いドイツ人がベルリンの西へ逃れるようになりました。
故に、1949年、
ドイツは東西に分断(分裂)
しました。
そして、追放された2組のドイツ人は、
東ドイツでは人口の4分の1を占める、約400万人・・・
西ドイツでは人口の5分の1を占める、約800万人・・・
が、それぞれの地で暮らす状況になりました、、、

では、今回の前半はここで終了し、締め括りに入ります!