では、更に視点を変えて、漫画本『 美味しんぼ 』(作:雁屋 哲、画:花咲アキラ、小学館)から、第47巻掲載の「 結婚披露宴 」の一場面を「メタファー(物語や比喩・暗喩)」として少し眺めます!
【 雄山の苦悩の日々 】
山岡士郎と栗田ゆう子の結婚披露宴で、究極のメニューと至高のメニューの対決も同時に行われる事になりました!
すると、海原雄山が出した至高のメニューは、
あまりにも、「平凡かつ日常的」な惣菜料理
でした、、、
しかし、食材を含め、一品一品が「吟味」し尽くされた、絶品の味でした!!!
そして、雄山は話します、、、
雄山:
『 さて、今日この惣菜料理を披露宴の料理として選んだ理由だが、それは、 “ みすぼらしさ ” にある。 このみすぼらしさこそが、私がふたりに贈りたいものなのだ。 』

雄山は書家としても、陶芸家としても、世間から全く「認められず」、貧乏のドン底で結婚しました。
しかし、「他に生きる道」も変えられませんでした。
雄山は贅沢と美味しいものが好きにも関わらず、それどころか、その日の生活を維持するのが、やっとの状態でした。
そして、結婚して初めて迎える正月の事です。
雄山には「見栄」もあり、正月らしい正月を迎える為に金策を尽くしました。
しかし、他人に「頭を下げる」事が出来ない性格の為に、貯金も底を突きました。
そして、雄山は「打ちひしがれた心」で正月を迎えます。
すると、妻が話します、、、
妻:
『 世間様のお正月は、世間様のお正月。 私たちは、私たちのお正月を過ごしましょう。 さあ召し上がれ、ご馳走ですよ。 』
雄山は妻の言葉に「胸を突かれ」ました。
そして、至高のメニューとして出した料理が、この時に妻が作ってくれた料理でした、、、

【 みすぼらしさの真意 】
妻は、
「手間を惜しむ」事なく・・・
安価ながらも「本物の食材」を走り回って集め・・・
食材の「本当の味」を引き出す・・・
「正直な方法」で料理を作る・・・
という「実践」をしました。
まさに、「ご馳走」の言葉の由来通りでした。
雄山は妻の料理を食べ、「目から鱗が落ちる」思いをしました。
なぜなら、それまでは高価で貴重な味を漁(あさ)るのが、美味の追求だと「思い込んで」いたからです。
雄山:
『 しかし、そうではなかったのだ! 大事なのは、感動だ。 至高の口福による感動なのだ! そう悟ると、どうだ! 世の中の一切の権威と称されるものも、怖くなくなった。 何も怖いものがなくなった。 』

そして、何事に対しても「平常心」で立ち向かえるようになり、貧乏も怖いものではなくなりました。
なぜなら、
「知恵」を使えば、至高の口福を味わえる事を・・・
「肌で知った」から・・・
です。
すると、作品もガラリと変わり、今までは権威に怯え、「他者の批評」ばかり気にしていた自分に気づいた事で、道が開け、作品は世に認められるようになりました。
しかし、その後も、意に介さぬ仕事を引き受けざるを得ない場面もあり、雄山は苦しみました。
すると、その度毎に、妻は話しました、、、
妻:
『 嫌なお仕事はやめてください。 私たちは、六畳と四畳半のあの貧しい借家から出発したんじゃありませんか。 またあの借家に戻ればいいことです。 何を怖れることがあるのですか? 』
そして、再び雄山は話します、、、
雄山:
『 私は、このみすぼらしさを若いふたりに贈りたいのだ。 その中に、真の豊かさを包み込んだこのみすぼらしさ、を。 』

では、メタファーも終了です!
そして、今回はあなたなりに「考える」事が趣旨なので、私のコメントは出来るだけシンプルに締め括ります(笑)