【 当初の二人の真の動機 】
二人はそれ迄も様々な実験を共同で取り組んで来ました。
ピエールはラジウムを自分の腕に貼り経過観察する「人体実験」に取り組みます。
すると、腕は火傷のように赤くただれ、細胞がダメージを受けるいわゆる「放射線障害」となりました。
しかし、ピエールとマリーは「常人では」抱き難い想いを「共有」していました。
知人に宛てたピエールの手紙:
『 火傷が出来て嬉しい。 妻も私と同様に喜んでいる。 』
そして、細胞を破壊するラジウムの放射線は病気の治療に応用出来ると考えます。
つまり、ラジウムでガン細胞を殺せると考えました。
この二人の姿勢はマイナスをプラスに変える「逆転の発想」と言われています。
そして、ラジウムとマウスを同じ容器に入れ経過観察をした実験では、9時間で全てのマウスが死亡しました。
マウスの肺から非常に強い放射線が検出され、白血球のほとんどが破壊されていた事が分かります。
それでも二人はラジウムは「必ず役に立つはず」と考え研究を続けていきます。
あくまでこの時の二人の「真の動機」は人類に貢献する為だったと考えられています、、、
マリー:
『 人生には恐れなければならないものは何もありません。 理解しなければならないものがあるだけです。 』
【 すれ違いを見せ始める二人の真の動機 】
この頃になると、「産業界」がラジウムに注目し始めます。
ピエールは家計が苦しかった事もあり、ラジウムに関する「特許の取得」をマリーに提案します。
しかし、マリーは「科学の精神」に反すると、ピエールの提案を拒絶します。
そして、最終的に二人は特許を取得せず、ラジウムを取り出す技術を全面的に公開しました。
また、放射能の研究が進むよう、他の研究者にもサンプルを提供します。
そして、二人は更に研究に邁進していきます。
ただ、ピエールはノーベル賞受賞式の記念講演スピーチで次の事を語っていました。
ピエール:
『 ラジウムは使い方次第で人類にとって大きな害になる可能性もある。 』
そして、マリーも危険性は「よく理解して」いました、、、
【 夫ピエールの死と人が変わったマリー 】
1906年4月19日の事です。
この頃のマリーは子育てに追われ、ほとんど実験が出来ていませんでした。
ピエールは仕事に向かう前に「もう少し実験に参加するように」とマリーに話します。
しかし、「今の状況では無理」とマリーは答えました。
そして、ピエールは仕事に向かいます、、、
長年の放射能の研究で、ここ数年のピエールは体調不良に悩まされていました。
そして、道中で足元がおぼつかなくなり、よろめいたピエールに馬車が衝突し即死してしまいました。
この時、ピエール46歳、、、
これを機にマリーは再び研究の日々に戻りますが、それと同時にマリーの人格も変わってしまいました、、、
その頃のマリーの心情が日記に綴られています。
マリーの日記:
『 あなたとの思い出に心を浸し、あなたの誇りとなることだけが私の生きる支えです。 』
マリーは子どもの事も構わなくなり、早朝から深夜まで実験に没頭するようになっていきます、、、
マリーの日記:
『 どちらも優しく、かわいく、いい子です。 ですが、娘たちでは私の生命力を呼び覚ますことは出来ないのです。 』