第513回:『 判明する新たな事実の意味とは ~桜田門外の変と量子力学から~ 』
【 その他参照ワード:井伊直弼、徳川斉昭、ペリー 】
S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!
近年、考古学でも新たな遺跡や遺物の発掘が相次ぎ、それと同じく歴史でも新たな古文書の発見が相次いでいます!
つまり、
私達は今、新事実の判明により「従来の説」が覆されるケースを目の当たりにしている
という事です!
そして、TOPICSでは特に今年は、
一見すると「美談」に思える話に惑わされないように
と伝えています!
では、ここから『 歴史探偵 』(NHK)という番組の「桜田門外の変」の回を少し紹介し、そこに現在に当てはまる視点を加味していきます!
【 桜田門外の変とは 】
「桜田門外の変」とは、徳川幕府の最高職である大老の井伊直弼(彦根藩主)が水戸(藩)の浪士達に暗殺された事件です。
これにより幕末の「動乱期」へのキッカケとなりました。
1860年(安政7年)3月3日、井伊家の屋敷は桜田門と目と鼻の先の近さ(距離にして約400m)にあり、屋敷から桜田門に向かう道中、桜田門まで僅か数十メートルの場所(現在の警視庁の前)で暗殺されました。
そして、
《 従来の説 》では雪降る中での武士(侍)同士の斬り合い・・・
と「語り継がれて」来ました、、、
ちなみに、桜田門は江戸城にあった門で、現在は皇居南側の入り口になっています!
ところで、オカルト話では全くありませんが、古い建造物などは多くの人の念が籠(こ)もっている事も多いです。
故に、取り壊して新たな建造物を構築する際には、それなりの「思い込めて伝えて理解して貰う」事が大切になります。
これは、お墓参りの供養も然り、特に最近の「墓じまい」でも同様です!
近年は自然災害により「樹齢を積み重ねて」来た大木の被害も相次いでいます、、、
【 暗殺の謎 】
当日は大雪で、井伊直弼は籠(カゴ)に乗っていました。
約60人が井伊直弼を守る為に随行する、いわゆる大名行列で進んでいましたが、彦根藩の一行は雪に濡れないようにカッパを着て、刀に袋を被せていました。
そして、襲撃した水戸の浪士達は18人です。
人数の差も然りですが、井伊直弼は居合いの達人で自らで新心新流という流派を興(おこ)す程の剣の達人でしたが、それなのに何故、斬り合いもせずに殺されたかが謎のままでした、、、
ところで、源義経や織田信長もそうですが、少数が多数を打ち倒す史実(物語)が語り継がれる傾向はとても高いです。
一方、現在は「多勢に無勢」のように最初から諦めていたり、「長いものには巻かれろ」のような風潮が目に余る状況です。
いわゆる「忖度」ですが、国家が国民に忖度するならともかく、国民が国家に忖度するようになれば、その国家も国民も間違い無く崩壊します、、、