ガンジーを反面教師にする拘(こだわ)りの功罪 ~自律・自立への活用も~

【 立ち上がるガンジー 】

南アフリカにいるインド人達は、イギリスが決めた一方的な法律で不当な税金を払わされ、様々な施設への出入りも制限されていました。

更に低賃金で過酷な長時間労働も当たり前の労働環境でした。

このような劣悪な環境や仕打ちに対し、ガンジーは人種差別を社会から撤廃する為に自らの力を活用する事を決意し、南アフリカの地でイギリスへの抗議運動を開始します!

その為にインド人達の政治団体を組織し、独自の新聞を発行して自らの意見を述べていった事で、「反英闘争の指導者」としてインド人達から注目を集めるようになっていきます。

 

 

【 「非暴力・不服従」の誕生!!! 】

南アフリカでの生活が13年ほど経った1906年8月、ガンジーが36歳の時に「アジア人登録法」(翌年の3月に制定)がイギリスから発表されます。

この法律は全てのアジア系住民に指紋を登録させ、登録証の所持を強制させる内容であり、従わなければ投獄や罰金刑を科されてしまいます。

これが契機となり、ガンジーは「非暴力・不服従」運動を訴え始めるようになります!

 

そして、この時に《 活きた 》のが留学時代に取り組んだ様々な宗教の研究でした。

ガンジーはどの宗教でも非暴力の教えが説かれている事に気づきます、、、

そして、不当で理不尽な法律には従わない、つまり不服従という「不作為の行動」で不平等と闘争する事を考えます、、、

ガンジーは自ら率先して登録証を燃やし、暴力を使わずに白人の良心に訴え掛けますが、逮捕されてしまいました。

 

しかし、周りのインド人達はガンジーの《 行動に感化 》され、ガンジーに習えかの如く逮捕される者が数千人規模に及んでいきます!

監獄は受刑者で溢れ返ってしまい、困ったイギリスはインド人への差別規定を廃止しました!

この時、ガンジー44歳、、、

 

【 インド独立運動の始まり 】

1914年の44歳の時にインドに帰国し、そこからインド独立運動を牽引していくようになります。

インドでは南アフリカでの活躍が既に伝わっていて、ガンジーは大歓迎を受けます。

この頃のインド国内でも反英闘争が起きてましたが、主に参加していたのはインテリ層や富裕層に限られていました。

 

そこでガンジーは民衆の大多数を占める庶民や貧困層に訴える為にインド全域を巡り、代わって賃上げ交渉をしてあげたりなど、各地で民衆の不平不満を解消していきます。

元々エリートであるにも関わらず、貧しい者に手を差し伸べる存在としてガンジーの支持が集まっていきます。

そして、人々からは「マハートマー(偉大な魂)」という称号を与えられると同時に、「バープー(お父さん)」との愛称でも呼ばるようになります!

 

 

【 イギリスの逆襲 】

1919年の49歳の時に反英闘争を押さえつける為に、インド人を誰でも自由に逮捕でき裁判無しに投獄できる「ローラット法」をイギリスは強引に制定し、更にインド人の人権を締め付けていきます。

ガンジーはこの頃から、より政治的な行動を始めていきますが、その為にインドのリーダー達が所属していた組織の中枢に入り込みます。

この組織が、後のインド初代首相になるネルーなどが所属していた「国民会議派」と呼ばれるものです。