環境が人を創る事の功罪(光と闇) ~スタンフォード監獄実験&ジキルとハイドより~:前半

第2日目のシフトが交代された午前10時、昨夜の理不尽な点呼に抗議する意味合いで、一つの監房の囚人が入り口にベッドを置いてバリケードを作り、看守が入れないようにしました。
この囚人の行動に看守が《 動揺 》し、交代したばかりの深夜早朝シフトの看守を再び呼び戻し、その監房にいる3人の囚人を《 鎮圧 》しようとします。

この時、囚人3人と看守6人という《 (対立)構図 》となり、しかし鎮圧を抑える事が出来ない中、看守は突如として《 連帯責任との名目 》で対立と《 無関係 》の監房からベッドを没収しようとし始めた事で、これにより《 (無関係であった)他の監房の囚人 》とも激しい抵抗争いとなっていきました。

 

中には服まで没収され全裸にさせられたり、模擬実験でここ迄やる必要はないなどと囚人が抗議すると、その囚人を懲罰房にすぐに収監したり、罰を増やし要求を拒否し屈辱感を与えるなど、看守の行動は《 どんどんエスカレート 》していきます、、、

そして、同じ2日目の夜、ある一人の囚人が次の事を強く訴えました、、、

 

ある一人の囚人:
『 もう、目茶苦茶だ! 病院でもどこでもいい! ここには居られない! もう1日も我慢出来ない! もう頭の中がグチャグチャだ! ここを出してくれ! 今すぐに! もう耐えられない! 』

 

このように発狂寸前の如く叫び出した為に、この囚人役の大学生は安全の観点から実験から離脱させられましたが、ジンバルドー氏は《 その後も 》実験を止める事なく、観察を続けていきます、、、

 

すると、看守は今度は反抗的な囚人を次々と懲罰房に収監し始め、その扉を強く叩いたりして、囚人の《 精神をドンドン追い詰めていく 》ようになりました。
更に、他の囚人には同じように扉を叩かせて《 仲間の囚人を苦しめるよう強制 》し始めたり、夜間のトイレの使用を禁止しバケツにするよう指示したり、それと《 共に 》侮辱などの言葉を更に《 高圧的で強い断定口調 》で次々と投げ掛け、目の前で変な恰好をさせるなど、看守の言動は《 更にエスカレート 》していき、《 その頃 》の看守はそのような《 自分達の言動に喜びを見い出す 》ようにまでなっていました、、、

そして、この状況はもはや異常で虐待でもある事を《 他の研究者から指摘 》され、ジンバルドー氏は《 我に返り 》ます、、、

これに関しジンバルドー氏は次のように《 振り返って 》おりました、、、

 

ジンバルドー氏:
『 私は実験責任者の立場を忘れて、本気で刑務所責任者になりかけていた。 』

 

こうして、2週間の予定だった実験は僅か6日で中止となりました、、、
そして、この実験結果は直後に新聞報道され、今回の実験は倫理的な問題が大きいなどの批判の声が同業者からも多数上がっていきました。
そのような声に対しジンバルドー氏は、

 

ジンバルドー氏:
『 いたって善良な人々が身に降りかかる状況の力に反応し、突如、悪を行使する看守になり、あるいは尋常ではない受け身一方の囚人になった。 どんなに善良な人間であっても、誘導され、そそのかされ、けしかけられて邪悪な行動を取ってしまう恐れはあるのだ。 』

 

このように話しましたが、あまりにも残酷な実験内容(過程と結果の両方)であった事から、2年後の1973年にアメリカ心理学会は「人間の参加者を伴う研究行為における倫理綱領」を厳格化しました。

こうして、このスタンフォード監獄実験は《 事実上再び行う事は許されない 》禁じられた心理学実験となりますが、しかし、《 後に 》知られざる第2の監獄実験が始まっていきます、、、

と、それは次回の後半で取り上げて参りますが、《 共通項 》として、もう一つだけ短くご紹介して参ります!