まさか今に(現在に)・・・という落とし穴 ~マインド・コントロール(洗脳)から~

また、ここでの背景についてギルモア氏は次のように述べています。

ギルモア氏:
『 世界的な精神病院であるアラン研究所を率いていたキャメロンの影響力は強大でした。
  ですから疑問の声など上がりませんでした
  「過激すぎる」とか「非人道的だ」などとキャメロンの事を非難しようものなら、精神科医としてのキャリアが潰される可能性があったのです。 』

 

こうして、「世界一の名医」とも称されるようになっていたキャメロンは、1961年に世界精神医学会の会長に就任します。
これにより、キャメロンは「世界で最も権威のある精神科医としての名声や立場」を確実なものにしていきます、、、

が、しかし、同じく1961年、アメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディは、《 MKULTRA(MKウルトラ) 》計画が10年以上に及んでも何の成果も出されていないと考え、CIAに計画の見直しを迫っていきました。

そこでCIAはキャメロンの元に現状を把握する為の視察官を派遣します。
そして、視察官が病院内で目撃したのは、、、虚(うつ)ろで焦点の定まらない目をした数多くの患者であり、、、中にはトイレのやり方も忘れてしまい失禁している患者までも、、、という光景でした。

このような光景を目の当たりにし、CIAはキャメロンは何の成果も出しておらず、CIAが目論んでいた諜報活動で使える洗脳技術なども何一つとして生み出されていないとの結論に達します。

 

そして、程なくして《 MKULTRA(MKウルトラ) 》計画は、「これまた」秘密裡の内に終焉を迎え、《 サイキック・ドライビング 》を受けた患者達の追跡調査が行われていきますが、この治療には全く効果が無い事が判明し、しかも治療を受けたほとんどの患者が記憶喪失(長期に渡る記憶の欠落も含め)になってしまった事も明らかになります。

こうして《 サイキック・ドライビング 》は「名実共に」禁止される事となりました、、、

 

そして、何の治療効果も無く、重篤な後遺症(のようなもの)を抱えてしまった多くの患者達がいたにも関わらず、何故、キャメロンが研究に「名を借りた」人体実験を行い続ける事が可能であったのか???についてのギルモア氏の見解です。

ギルモア氏:
『 本質的に効果の無い治療を施したとしても、被験者の中には「良くなった人」「変わらない人」「悪くなった人」が一定数現れるものです。
  それをいいように使ったのがキャメロンでした。
  「良くなった人」を成功例として取り上げ、それ以外の症例に関しては無視をした
  彼が研究成果を報告した論文も、そこに意図的に含めなかった失敗も、詐欺のようなものでした
  とても科学者とは言えません 』

 

そして、1967年にキャメロンが他界した事で、この一連の問題は忘れ去られていくと思われていましたが、、、

1974年、ニューヨークタイムズが《 MKULTRA(MKウルトラ) 》計画が秘密裡に行われていた事を暴き出します。
ここでは更に、総額90億円もの予算が投じられ、1万人もの患者が人体実験の被験者にされていた事が明らかになりました。
ここで初めて《 サイキック・ドライビングは人体実験であった 》という事実が「世に知られる」事となりました、、、

そして1980年、元患者9人がアメリカ政府とCIAを提訴します。
その中の一人の女性は「自分が誰であるかさえ分からなく」なり、激しい情緒不安定が何年にも渡って続いていました。
また、先程の顔面神経痛の患者が父であった女性は、後に当時の医療記録を取り寄せた所、次の内容が記録されていました。

 

1957年2月4日:
《 前々日に6度目の電気ショックを実施。
  だが以前の人生の記憶がまだ残っている。
  我々は満足出来ない
  過去からの完全なる断絶を目指す為、3日連続で電気ショックを行う事にする。 》

 

1957年2月25日:
《 電気ショックを21回行った。
  患者は自分がどこにいるのか認識出来ない
  非常に元気で子どもっぽい。
  我々が目指す段階まで導けたと思う。 》

 

そして、この女性は当時の父と面会した母から、まるで父は5歳の子どものようで、失禁しながら徘徊していたと聞かされたそうです。
そして、家に戻って来た父は「家族の事も分からなく」なっており、暴力をふるい、全くの別人(廃人)となっていたと話しています。
この女性はその後、父とは一切の会話が出来なくなり、大きなトラウマとなり一生苦しみが続くであろうと話しておりました、、、