冬至という初夢に贈る物語(メタファー) ~パート6~:独りよがりに気づいてみる

《 昔ある国に、とても上手に陶器を焼く名人がいました。
  この名人は、花瓶やお皿や茶碗など、数多くの銘品を作成しており、この国を訪れる旅人は皆、この名人の陶器を土産に帰って行きました。

  そんなある日のこと、殿様の家来である身分の高いお役人が、この名人の店を訪れ、手にした茶碗がとても軽く、しかも手際よく薄手に出来ていたので、この名人にお殿様の使う茶碗を依頼しようと思いました。

  役人は名人に対して、殿様が使う茶碗であるので、念には念を入れて作るよう申し渡し、城に戻って行きました。

  依頼を受けた名人も、殿様が軽く薄手の茶碗を所望しているとの役人の言葉があったので、大変名誉に思い、一層の精進をして茶碗を作成しました。

 

それから数日後、先日の役人が茶碗を受け取りに来たので、大変軽くて薄手の素晴らしい茶碗が出来ましたと伝えて、その役人に渡しました。
  それを受け取った役人は、早足で城に戻り、さっそく殿様に名人が殿様だけのために念入りに作成した茶碗である旨を告げて、殿様に献上したのです。

  すると、それを受け取った殿様も、持っているのか持っていないのか分からないほどの軽くて薄手の茶碗だったので、役人に『 茶碗の善し悪しはどうやって決まるのだ? 』とたずねました。

  役人は『 全ての陶器というものは軽くて薄手が素晴らしく、重くて厚手のものはたいそう品のないものと評価されています。 』と答えました。
  殿様はだまってうなずいて、それから三度の食事の時は、その茶碗を使う事になりました。

  ところが、いざその茶碗で食事をしてみると、毎回手が焼けるような熱さを我慢して食べなければならなくなったのです、、、

 

この殿様は自身の家来を信用していたため、こんな熱くて辛い思いをしながら食べる茶碗に疑問を抱きつつも、いや、家来は自分に苦痛を忘れてはならないという事を忠義の心から教えてくれてるのだろうと考えてみたり、また、いや、家来は自分は一番強い殿様だと思っているから、茶碗の熱さなどは問題にならないのだろうと思ったりしてました。

  しかし、身体は正直なもので、毎度の食事時になると、殿様の顔色は自分でも気づかぬうちに曇っていたのです、、、

 

  そんなある日のこと、殿様は山に狩りに出かけましたが、夜も遅くなったので、近くの百姓の家に泊まる事になりました。
  百姓は殿様が泊まるというので、なんとかもてなしをしたいと考えましたが、何もご馳走は出来ないので、せめて身体が温かくなるようにと、山の幸の鍋を作って殿様に差し上げました。

  しかしこの時、殿様は自分の手が熱くならない事に気づいたのです。
  そこで百姓に『 この茶碗は名人が作ったものか? 』とたずねました。

すると百姓は『 貧乏なもので、誰が作ったか分からない、安物の茶碗です。 なので形も悪く、ただ粘土を焼いたように厚くてやぼったいものです。 』と、大層恐縮して話すのです。

  その翌日、殿様は城に戻り、食事時になるとこれまで通り名人の作った茶碗が出てきました。
  やはりその時も殿様の顔色は曇るのです、、、

 

  それから数日後、殿様は自分の茶碗を作った名人を城に招きました。
  そして、名人に向かってこう話しました。

  『 そなたが茶碗を作ってくれた事は感謝する。 しかし、茶碗とは熱いお茶や汁を入れるものである。 だからそれを使う者が安心して食べる事が出来るようなものでなくてはならない。 いくら名人が焼いた茶碗であろうが、世間の評価が茶碗は薄いものほど高価で素晴らしいとされていようとも、使う者の事を考えて作る親切心がないと、何の役にも立たない。 私はそなたの作った茶碗で、毎日苦しい思いをしておる。 』

  その後、その名人は、要望に応じて、厚手の茶碗作るようになったという事です、、、 》

 

では、今回の物語(メタファー)はここで終了ですが、昨年、そして、今年と未だにコロナ禍は続いておりますが、このような状況では、特にお仕事の面から様々に考えされた方々も多い事と思います。