中編:SDGsを魂の視点で眺めてみる ~真の持続可能には真の動機が大切~

7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに
→ すべての人々に手ごろで信頼でき、持続可能かつ近代的なエネルギーへのアクセスを確保する

ここではエネルギーとの文言が出て参りますが、日本は東日本大震災において悲惨な原発事故を体験してしまいました。
そして、この影響は「直接」の(故郷に戻るに戻れぬ)避難者の方々のみならず、食物等における風評被害、そして、避難地域周辺にお住まいであった方々への差別や誹謗中傷など「間接」も含めた多岐に渡る負の状況も生み出しました。

また、2018年3月17日の第193回目のTOPICS『 精神病棟の実態・・・? ~番組「長すぎた入院 精神医療・知られざる実態」から~ 』では避難地域の精神科病院に入院されていた方々も避難するのを余儀なくされた事による影響なども取り上げておりました。

 

そして、これは別の機会で触れようとも考えておりますが、現在のコロナ渦における医療逼迫の状況の元では、精神科病院でのクラスター発生等は公表されずに隠蔽されていたケースも(多々)ありますし、語弊を伴う表現を敢えて用いますが、言わば一般的なご病気やお怪我などで入院されている患者さん方には「目を向けられる」事はありましたが、精神科病院に入院されている患者さんへの応対などには、全くと言っていいほど「目を向けられる」事がなかった状態です。

 

そして、視点を少し「過去」へと向けてみますが、原子力発電の端緒になっているのは皆さんもご存じの通りの原子力爆弾(核爆弾)の「開発」です。
当時の科学者の多くはこのような爆弾の開発に手を貸している事に「知らず」また「気づかず」にいた人も多かったですが、手を引こうとすると政府等から脅しや強迫を受け、泣く泣く引き受けた科学者もいれば、喜々として自らの「名誉」と「権力」の為に手を貸した(主導した)科学者もおります。
これが魂の視点において最も問われる「真の動機(がどこにあるのか)」というものになります。
また、いわゆる「カルマ(業)」と呼ばれるものにも密接に結び付いています。

 

そして、ここでの目標には《 みんなに 》と定められておりますが、 エネルギー政策とは経済活動とも密接に関係はしておりますが、以前から全ての人に行き渡るだけの充分な量(物)があるにも関わらず「格差」が生じてしまうのは、どこかで「堰き止めて」いる者(政府や企業等も含め)がいるからだ、との指摘もされて来ておりましたが、これらにはいわゆる「陰謀論」の範疇を出ないものも数多くありました。

が、しかし、「本質」を外した「陰謀論」はさておき、前回のTOPICSでも少し触れましたが、世界各国における「ワクチン格差」を私達は現に「目の当たり」にしています。
1回のワクチンですら接種出来ない国がある中で、3回~4回と接種を進めている国、、、

そして、ここには「お金は道具である」との魂の視点が完璧に欠落しているのが大きな要因となっています。
そして、先ほどの堰き止めている者、お金は道具との視点が欠落している者、ここに共通しているのが「怖れ」という感情です、、、

 

8.働きがいも経済成長も
→ すべての人のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)を推進する

ここではいわゆる「仕事」という面が取り上げられておりますが、私達が真っ先に取り組む必要があるのが目標の中に出て来ている《 人間らしい 》という点です。
そして、魂の視点から仕事に関して密接に関係してくるのが「睡眠」です。
この睡眠に関してはこのTOPICSでも幾度もテーマとして取り上げて来ておりますが、直近では2021年7月17日の第365回目のTOPICS『 睡眠を魂の視点から遊んでみる(笑) 』もありますので、興味や関心のある方は宜しければ覗いてみて下さい!

 

と、話を戻しますが、確かに長い人生においては、お仕事においても一時は踏ん張る必要性が生じる事もあるでしょうが、これもコロナ禍における医療従事者等の方々のように、肉体的にもギリギリの中で、そして、心においても極限の(緊張)状態でお仕事をし続ける事には必ず無理が生じてきます。
これらは「燃え尽き(空の巣)症候群」などとも呼ばれたりしますが、近頃では様々な場面において「無理が通れば道理が引っ込む」との状況が意図的に造り出されたりもしています。
これではSDGsの最大の謳い文句である《 持続可能 》からは程遠いものになってしまいます。

 

そして、ご病気やお体が不自由な方、また、障がいをお持ちの方の中には働く事が出来ない方も多数いらっしゃいます。
そして、魂の視点からは「病気等の方々は学ぶ機会を与えてくれている」というのが成り立ち、この視点からはご病気等の方々は迷惑を掛けている訳でもなく、何かのお荷物のような存在でもなく、ご自身の治療等に懸命に取り組んでおられると同時に、そのような「姿勢」だけで充分に様々な人へのお役に立っている事になります。

このような視点は誤解や語弊を生みやすい側面もあり、今までのTOPICSではあまり表立ってはお伝えして来ておりませんでしたが、この視点に「繋がって」「重なって」くるのが、生きる価値のある人と、生きる価値のない人に選別する「優生保護(思想)」であり、それと同時に「安楽死」と「尊厳死」という問題にも深く関わってきます。