「長い物には巻かれよ」の真意 ~ヒトラーの予言者ハヌッセンの数奇な人生より~

その後の1932年1月、ハヌッセンは印刷所を買収し、自らが編集する『 週刊ハヌッセン新聞 』を発行する事になっていきます。
この新聞の内容の多くが科学的医学的根拠の無い健康法や物品販売などの記事で埋められていましたが、創刊時は8千部であったものが、1年後には15万部もの発行部数となっていきました。

ある意味では順風満帆に見えたハヌッセンでしたが、1932年5月、共産党新聞『 ベルリン・アム・モルゲン 』の紙上で、ハヌッセンは詐欺師であるなどの攻撃を受ける事になっていきます。

そこでハヌッセンは1932年7月、自らの発行する新聞で反撃に出ていきますが、それが「ヒトラーに政権を!」などの、予言や占いという形を取ってヒトラーを応援するプロパガンダ(宣伝)を自身の新聞紙上で展開していきます。
ナチ党の「敵」はドイツ共産党であり、ハヌッセンの「敵」もまた同じであり、ナチ党とハヌッセンの双方にとって相互の利用価値が生まれていきました、、、

 

このようにして、ハヌッセンとヒトラー(率いるナチ党)の間で「繋がり」と「重なり」という「反映」が体現していく事になりますが、ただ、このハヌッセンとヒトラーはお互いに「直接的」な面識があったという証拠(確証)は今でも無いそうで、その関係性は「間接的」であったと考えられているそうです。
ちなみに、この番組ではハヌッセンとヒトラーは同じオーストリアの出身で、生まれも同じ1889年であり、幼少の頃から孤独や挫折を味わって来ているとの共通点があり、そして、どちらも「人の心を操る事に長けていた」と紹介されておりましたが、皆さんはどのように思うでしょうか???(笑)

そして、今回のテーマでは先ほどの「直接的」「間接的」という関係性がとても重要なキーワードになってきますが、更に先を続けます!

 

1932年7月、ナチ党が第1党になります。
この頃からハヌッセンは更にヒトラー礼賛のプロパガンダに力を入れていくようになりました。
しかし、事はなかなかハヌッセンの思惑通りには運んでいかなくなっていきます。

と言うのも、ドイツ政府内部からも人気のあるヒトラーを首相に任命すべきとの声も上がっていましたが、当時のヒンデンブルク大統領はその提案を拒否し、その3ケ月後の選挙でナチ党は議席を230から196へと減らしてしまいました。

そして、同年の12月12日のある新聞にハヌッセンに関するスクープ記事が掲載されます。
それが《 ハヌッセンはユダヤ人である 》とのものでした。
これはハヌッセンの結婚式証明書からも明らかな事実である事が分かりました。

ナチ党は反ユダヤ主義(ユダヤ人排斥)を掲げていたので、ハヌッセンは自らがユダヤ人である事をひた隠しにしていました。
それに対しユダヤ人迫害に積極的に関わっている突撃隊の指揮官でもある友人のヘルドルフは激怒します。
しかし、ハヌッセンはヘルドルフに「嘘」をつき、その場を難なく切り抜けた!?、、、という感じでした、、、

 

このように、ユダヤ人であるハヌッセンが、何故ユダヤ人迫害を強行に進めているナチ党に近づくという危険な行為をしていったのかについて、ハヌッセンが知人に語った言葉では次のように書かれております。

『 私は ナチの反ユダヤ主義は ナチ党が選挙で大衆の支持を得るための トリックに過ぎないと思っていた 』

と。
先ほどの「人の心を操る事に長けていた」ハヌッセンですら読み違えたのか、、、あるいは「策士策におぼれる」という事であったのか、、、

一方のナチ党においても複数の幹部がハヌッセンから寄付金を受け取っていたり、ハヌッセンに借金をしていた事から、領収書や借用証書などの「弱み」をハヌッセンに握られており、これらはハヌッセンにおいては逆に「強み」ともなっていました、、、

このような状況になってしまい、ハヌッセンにおいても自らを守る為にもヒトラーを首相にするという方向に、更に強行に推していかざるを得なくなっていきます、、、