後編:この先に向けて2021年前半の振り省り(振り返り) ~想像・創造という価値~

○ 『 他人事は自分事という反映 ~ドラマJIN ー仁ー というメタファーから~ 』(6月12日)

想像力にせよ妄想力にせよ、これらが大切である理由は《 想像力が乏しければ、他人事と自分事を判別する事が出来にくくなり、他人事は他人事のままになってしまい、次第に自分事すら他人事になってしまう(他人事にしてしまう) 》という混乱した状態に陥りやすくなるからです。

《 現代の世の中や社会で進んでいる劣化という現象は、最終的には自らを裏切る行為となって自らに反ってくる 》という、やはり避けた方が望ましい方向性に持っていくのに、今ならばまだ間に合うからです。

 

上記がポイントです。
先ほどの2つ目のTOPICSと「繋がって」「重なって」きますが、ここ最近の世の中や社会では政治家や企業等による不祥事も後を絶ちません。
その度に心も思いも込められていない形だけの謝罪ばかりが行われている現状です(ポーズとは言え、謝罪があるだけ、まだマシ!?な方なのかもしれませんが)。
(心も思いも込められていない)その証として、、、(謝罪後も)同じ事が繰り返されている、、、からです。

そして、『 自分事すら他人事になってしまう(他人事にしてしまう) 』というのが「責任転嫁」です。

 

○ 『 所変われば品変わる ~刑務所から考える多様性~ 』(7月3日)

今回のテーマの趣旨というのは、「多様性」が叫ばれている中で、それをどうやって実現していくのかを眺めた時に《 最近の世の中や社会では「考える」という事をしなくなってきている傾向が見受けられ、これが「考える」事は難しい事だ!などのように意識に「反映」されていき、難しいと感じるが故に、次第に「考える」事が面倒くさくなっていき、終いには「考える」事を放棄し「無関心(無気力)」になりつつある 》という風にあくまで私個人の目には映っております。

《 「考える」一歩というのは、ある意味での「当たり前」に気づく(発見する)事であり、なぜなら、ある意味での「当たり前」に気づく(発見する)事が出来なければ、それが本当に「当たり前」の事なのか???という「疑問」も湧いてこない 》

 

上記がポイントです。
ここでの「当たり前」とは「普通」や「一般(的)」ともニュアンスは違います。
とにもかくにも、大人の世界で「当たり前」が出来ない人が増え続けております。
この原因には「考えない」事も含まれておりますが、中には「気づいている(考えている)」にも関わらず、相手を自らの意のままにコントロールしたいが為に意図して「無知を装う」事を企てる人もおります。

「無知は罪」との言葉もありますが、この真意には「自らを守る為にも」知を活用する(知るという行動に移す)という点が含まれております。

 

○ 『 砂上の楼閣という現代社会 』(7月10日)

《 砂上の楼閣とは、見かけは立派だが基礎がしっかりとしていないが故に、物事が長く維持出来ない(続かない) 》という意味になります。

《 「今」伝える必要がある事ならば、それを出来るのは「今」しかない・・・なぜなら、過去にせよ未来にせよ、どの時点であれ「その時」は常に「今」だから・・・ 》

今回の「土台」とも繋がって重なってくる《 「足元」を見つめ直す、そして、この「足元」とは「過去(過去の出来事や過去から引き継がれているもの)」である 》という風に私個人としては強く感じております、、、

 

上記がポイントです。
そして、『 「足元」とは「過去」である 』との言葉と「矛盾」して感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、現在の制度や仕組みの中には、(当時という過去にはそれなりの効用や効果があったものを全否定する訳ではなく)もはや役立たなくなっているものもあり、時には害(悪)を為す(怖れのある)ものも多々存在しております。

そして、そのように害(悪)を為す(怖れのある)ものが、何故、無くならずに「今もって」利用されているかの理由の一つには、権力という幻想に捕らわれ続けている、自らの都合の良い面を手放さない人達が現在の社会(の制度や仕組み)に影響を与え続けているからです。
これも先ほどの「優生(保護)思想」と根っこは同じです。

そして、彼ら彼女らが頑なに変えたがらない理由、、、それは、、、「変化を怖れている」、、、からです、、、
そして、これは同時に「真の動機」を見つめ直す時機に既に入っている、、、という事の現れでもあります。
このまま「放置」していくのか、、、あるいは、出来る範囲内から「行動」してみるのか、、、これが「岐路(分岐点)」という意味合いに結び付いております。