コミュニケーションに迷った時は ~私の恩師とヒーローから(笑)~

まずお一人目は、小学校の時における野球部の監督であったK先生です。
当時のK先生は今で言う所の障がいなどをお持ちの生徒さんの担当や指導をされておりました。
それと同時に野球部の監督もされておりましたが、当時の私はピッチャー(投手)をしておりました。
そして、試合で投げている時にフォアボール(四球)を出す事が多くなってくると、メガホンから大きな声で、

 

『 ヘイ! ピッチャー! 一人で野球するなよっ! 』

 

檄を込め、かつ、笑顔で声を掛けてくれました。
また練習等においても怠慢なプレーなどでは怪我をしないようにとの思いも込め、手厳しい檄を発したりという時もありましたが、その後に皆を集めて、穏やかな声で優しく、必ずその理由を丁寧に説明してくれました。

 

そして、その後もK先生と私の父と母は飲み会や旅行をしたりなど、とても素敵なお付き合いをさせて貰っておりましたが、私は東京在住という事もあり、その後はなかなかお目にかかる機会がありませんでした。
そして、青森に戻って来て、現在のS.Light.Mを設立した際にご挨拶状とパンフレットをご送付させて貰いましたが、少し落ち着いたらK先生と初めてのお酒を酌み交わしたいとの想いも持っておりました。

 

それからほんの少し経った頃、K先生が他界されたとのお電話を奥様から頂きました。
そして、奥様からK先生が私が送付させて貰ったパンフレット等をご自身の机に大切に飾っていた事を教えて頂き、奥様からは弔辞を読んで貰えないかとのお話を頂きました。
私は二つ返事で有り難くお引き受けさせて貰いましたが、少しでも恩返しが出来ていれば嬉しいのですが(笑)

 

では、お二人目はこのTOPICSでも幾度かご紹介させて貰った事もある、私が東京で行政書士をしていた時のN先生です。
ところで、行政書士の仕事にせよ、他の何のお仕事にせよ、指を加えてただ待っているだけではお仕事の依頼は入ってきません(笑)

そして、N先生は私と共に共働経営者になる以前から、他の資格者(弁護士や税理士等)の方々への営業活動を主としておりました。
私もN先生とご一緒にお仕事をさせて貰う事になりましたので、共に色々と人脈作りもしていきました。
そして、N先生は他の資格者の方からお仕事をご紹介して頂いた時に、いつも次のようにお話されてました。

 

『 瀬川さん、自分達を信頼してお仕事をご紹介して貰えるって本当に有り難い事で感謝しかないね。 』

 

と。
故に、ご紹介頂いたお客様との最初の面談、仕事の成立の有無、途中報告、そして完了後のご連絡をご紹介頂いた方に欠かさずに行っておりました。
そして、私が事務所を退職して青森に戻り、今度は行政書士ではなく今のお仕事をする旨をお話させて貰った時も、快く送り出して頂き、

 

『 瀬川さんのこれからやろうとしている仕事は必要なものだし、必ず他の人のお役に立てるよ。 』

 

と、お声も掛けて頂きました。
その後N先生は私の母の一周忌にわざわざ東京からお越しになって頂いたりなどの交流もありましたが、私が青森に戻って間もなく、N先生が他界されたとの一報を事務所の仲間から貰いました。
ご葬儀などにも参列させて貰いましたが、私に出来る恩返しと言えば、先ほどのN先生のお言葉を更に深く幅広く実現していく事です(笑)

では、恩師というテーマはここ迄に致しまして、ガラッと装いを変えてヒーローに入って参ります!