「走れ正直者」から2021年を見据えてみる(笑) ~先を見据えるには以前を見つめる~

次は『 リンリン ランラン ソーセージ ハーイハイ ハムじゃない 』が出て参りましたが、全く意味が分からない!?と感じているかもしれませんね(笑)
ところで、2016年には次の「言葉」に注目が集まりました。
それが、

 

ポスト トゥルース

 

です。
この意味は、『 事実に基づかない、虚偽(嘘)であっても、感情に訴える方が強い影響力を持つ 』とされております。
つまり、

 

「理性」と「感情」の「繋がり」と「重なり」が断ち切られ・・・

ここにも「(過度な)二者択一」が当てはめられ・・・

その結果「理性」が働かなくなってしまっている・・・

 

という傾向に拍車が掛かっているように感じます。

次は『 なんてことは ぜーんぜん 彼女も言ってない 』ですが、とにもかくにも、

 

「(理由などの)説明」が見られなくなってしまった・・・

 

という側面が、特にここ数年は強く押し出されているように感じます。
昨年におきましては『 ご飯論法 』なるものも見受けられました。
また、このような事は、特に職場などの人間関係におきましても顕著になっています。
つまり、

 

人間関係(のコミュニケーション)を・・・

「主従」や「優劣」で捉えてしまっている・・・

 

という点に要因が考えられます。
ただ、この要因が暴走して行き着く先は、優生保護(思想)などの、

 

命や生きる事への「選別」・・・

 

という「反映」となって現れてきます。
つまり、ここでも、

 

生きる(生かしておく)価値のある人と・・・

生きる(生かしておく)価値のない人と・・・

 

のように、生き地獄のような世の中や社会になってしまう恐れがあります。
そして、

 

生かしておく(生きる価値のある人)・・・との「判断」・・・

これは「誰が」下す(下している)のか・・・

その「真の動機」は・・・

 

という点を深く見つめる(掘り下げる)必要性が急務な「時代」です。
そして、「子ども達」へ向けて「大人」が説明出来ないという事が繰り返されてしまうと、それこそ、「子ども」と「大人」の間での「分断(分離)」が生み出されてしまう恐れが出てきます、、、