誹謗中傷と非難は違う!? ~戦い?それとも、闘い?~:分離と統合の違い

そして、先ほどの反町さんの歌詞にも「戦い」という言葉も出てきましたが、これにも、「戦い」と「闘い」という言葉では違いが生じてくるようにも感じます。
そこで、この「戦い」と「闘い」の違い?につきましては、あくまで、私個人としての視点をご紹介して参りますので、ここからは皆さんも自由に考えてみて下さい!

ちなみに、辞書等におきましては、「戦い」と「闘い」の違いについて、明確な定義はなされていないようです、、、

 

まずは「戦い」の方ですが、これは多くの方が「戦争」などを連想される事と感じます。
「戦国時代」や「戦車」、また「戦闘機」に至っては「戦」と「闘」の両方が使われておりますね(苦笑)
あるいは、「作戦」や「戦略」などとも使われますが、これはスポーツなどでもよく見られる光景です。
ただ、スポーツに関しては「競技会」と呼ばれる事もあります。
おそらく、「戦い」についての一般的なイメージは掴めて頂けているかと思いますので、先に進みます!

 

では、一方の「闘い」の方ですが、これは「闘病」や「闘魂」などにも使われますし、スポーツの類では「格闘技」と言われたりもします。
また、「健闘を称(たた)え合う」などの使われ方もします。

そして、昨今の世の中や社会におきましては、「戦い」という言葉は頻繁に使われておりますが、「闘い」の方はそれほどよく見かける言葉では無いように私個人としては感じたりもします。

そして、ここからが全くの私なりの個人的な視点になります(笑)

 

「戦い」は「他者」を前提とし・・・

「他者」という「分離」を生み出し・・・

「分離」はいつしか「争い」に繋がっていく・・・

一方・・・

「闘い」は「自己」を前提とし・・・

「自己」は「統合」に向かうものであり・・・

「統合」はいつしか「成長」に繋がっていく・・・

 

と。
そこで、この「戦い」と「闘い」を、「誹謗中傷」と「非難」に当てはめてみます。

 

誹謗中傷は(ほぼ)「他者」へ向けられるが・・・

「自己」に向けられる事は(ほぼ)ない・・・

が、しかし・・・

 

「自己」に向けられる事が(ほぼ)ないが為に・・・

「鬱憤晴らし」として現れてきてしまう・・・

一方・・・

 

非難も(多くが)「他者」へ向けられるが・・・

「問い正す(問い質す)」という側面がある事により・・・

駄目なものはダメとの「忠告」にも繋がって重なっていき・・・

 

「忠告」とは同時に「自己」にも向けられるものでもあり・・・

故に「忠告」(をする)に至る前には・・・

必ず「自律(自らを律するという姿勢)」も同時に自然発生的に生み出されている・・・

 

と。
如何でしょうか???