「令和」という時代を魂の視点で描いてみる ~「待ち」と「加速」の統合という少子化対策も~

「主」と「従」の関係というのは・・・

「上下」や「優劣」という関係ではない・・・

 

という点は、誤解の無きよう捉えて下さい。
つまり、

 

「主」を存在たらしめているのは「従」でもあり・・・

「従」を存在たらしめているのは「主」でもある・・・

 

という関係です。
そして、これを先ほどの「心(精神)」と「身体」に当てはめてみると、

 

「心(精神)」が感じたものの表現を可能にしてくれるのが「身体」でもあり・・・

「身体」で捉えた様々なものを、どのように感じているのか?という「心(精神)」の働きとしての学びに繋がっていき・・・

 

という風に、どんどん循環の輪を描いていきます。
そして、これも先ほども出て参りましたし、「平成」のTOPICSでも繰り返しお伝えしております「統合」と「分離」のテーマとも繋がっていきます。
そこで、まず、

 

「分離」は「統合」から別れた側面である

 

という前提が出発点となります。
しかし、「統合」から別れた「分離」を、仮に「分離A」とすると、

 

「分離A」は自らが・・・

「分離」という存在であるのか・・・

「統合」という存在であるのか・・・

分かりようがない・・・

 

という現象が発生します。
そこで、

 

「分離A」は・・・

「分離B」と出逢う事により・・・

自らの存在の「本質」を知り得る・・・

 

ようになっていきます。
そして、

 

「分離A」も「分離B」も・・・

自らが「分離」という存在であると知り・・・

お互いの「違い」に気づく事によって・・・

再度「統合」へと向かっていく・・・

 

という道のりを辿っていきます。
詰まる所、

 

「分離」とは決して切り離された存在ではなく・・・

「統合」と常に繋がっているからこそ・・・

「分離」という「体験」をする事が可能になっている・・・

 

という事です。
少し難しかったですかね?(笑)
そして、このような現象というのは、