「令和」という時代を魂の視点で描いてみる ~「待ち」と「加速」の統合という少子化対策も~

そして、少子化においては、経済的理由や、身体的事情などから、お子さんを授かりたいのに、なかなか授からないという方々もいらっしゃるでしょうし、そもそもが産む自由も産まない自由あります。
これは、また、産む産まないという問題だけではなく、どのように人生を彩っていくかなどの、LGBTの方々などにおいても、同様の自由があります。

 

そして、この少子化においては、賛否は別として、次のような意見も成り立つのかもしれません。
それは、そもそもが今ぐらいの出生率が適当であるのかもしれないし、少子高齢化とは「今」現在における、若者世代と高齢化世代の人数のギャップが大きい為であり、一過性のものなのかもしれない、、、など。
そして、先ほどの、

 

少子化(を変化させていく事)は一朝一夕には進まないが・・・

「人間」が引き起こしているその他の諸々の事柄は・・・

(さほど)時間を掛けずとも解決出来る性質のもの・・・

 

でもあります。
戦争や争いなどは止めよう!と決めさえすれば実現出来る(可能な)ものですし、不要になる軍事費などを考えれば、世界中の人々に食料なども充分に行き渡る下地があるのは、既に科学や統計学的にも証明されているものです。
これは、日本における少子高齢化での社会保障費でも同様です。

 

また、戦争をなくせば、軍人などの雇用がなくなり、兵器産業もなくなって失業者が大量に出るなどの反論?もある模様です。
これは、どこか、日本国内における原発立地(誘致)の地域事情や、諸外国における銃規制の問題と同じ臭いを感じます。
しかし、戦争や争いがなくなれば、国境も必要なくなり、どこの場所へも自由に行き来して、人生の幅を広げる事が可能になります。

また、ではエネルギーはどうするのか?などもよく言われますが、「帯に短し襷(たすき)に長し」という言葉は「役に立たない」という意味で使われますが、

 

そもそもが・・・

帯と襷という活用法に限定している為に・・・

視野が狭くなっているだけ・・・

 

という事も言えます。
この視点は、待機児童問題にも繋がっております。
話しが逸れてしまいましたので、本筋に戻します(笑)
では、少子化においては何が課題になるのかと言うと、

 

「待ち」と「加速」

 

です。
では、一見すると、この「相矛盾」する性質をどのように活用していけば良いのかという視点に繋がりますが、

 

「昭和」世代は・・・「待つ」という学びを体験してきた・・・

一方・・・

「平成」世代は・・・いかに「加速」させる事が出来るのかという学びを体験をしてきた・・・

 

という一面が読み取れます。
そして、ここから魂の視点を活用してみます(笑)