スピリチュアルの本質&そこに神は存在するのか? ~常に機能し働いている自然法則~

「自然法則」とは・・・

信じる信じないに関わらず・・・

知っている知らないに関わらず・・・

常に機能し働いているもの・・・

 

でもあります。
なぜなら、自然や宇宙や様々な生命活動において、当たり前?に思えてしまう現象や光景において、

 

私達の身の周りを見渡してみても・・・

欠けている(欠落している)「現実」というのは・・・

存在していない・・・

 

からです。
少なくとも私個人としては、周囲を見渡してみても、どこかがポッカリと欠けている(抜け落ちている)「現実」を見た事はありません(笑)
そして、このような視点からは、ある一つの迷いや疑問を生み出している傾向も見て取れます。
それは、

 

欠けている(欠落している)部分や面が無いという事は・・・

それは「完璧」を意味するはずなのに・・・

なぜ・・・イジメや犯罪や、時には戦争などが存在するのか・・・?

 

というものです。
そして、この答え?においては、

 

イジメや犯罪や戦争などは・・・

「人間」の未熟さが引き起こしているものであり・・・

神という「自然法則」とは関係ない・・・

 

との視点です。
勿論、「自然法則」としての「自分のした事は自分に反ってくる」という働きは常に機能しておりますが、このような世の中や社会における、所謂、正義とは思えないと感じている現象を神と結び付けて捉えてしまう所に、やはり、どこか神を「擬人化」している傾向が高いという面が見受けられます。

なお、「自然法則」という視点においては、地震や台風などの自然現象なども含まれますが、このような現象は一義的には、地球が自らを調整する事による側面がある一方で、「人間」による「環境破壊」や、「人間」の「意識(波動)」も関係しているのでは?などの研究も進められておりますが、だからと言って、自然災害などで人が傷付いたり他界したりする事を肯定している趣旨でもありませんし、致し方ないという諦めの趣旨でもございませんので、その点は重々ご了承頂ければと思います。

そして、このような観点からは、スピリチュアルの本質とは、

 

スピリチュアルとは、そもそもが「自然法則」を意味しており・・・

私達が「どのような生き方をするのか?」・・・

という思索における「(役立たてる為の)基盤・ベース・指針」を意味している・・・

 

という事にもなります。
また、先ほどコメント致しましたように、私がご質問やご相談を受ける内容においては、スピリチュアルな観点に今まで馴染みがあまりなかったので分からない、あるいは、よく知らない部分がある、というケースも勿論多いですが、中には、

 

数十冊、あるいは、数百冊ものスピリチュアル関連の書籍を読んできたけれども・・・

「学べば学ぶほど」・・・

迷いに入って、分からなくなってきている・・・

 

という方も結構いらっしゃいます。
そして、このようなケースにおける視点としましては、先ほど来から、スピリチュアルとは「自然法則」の事とお伝えしておりますように、書籍などを通して、ほんの幾つかの「自然法則」を学ぶ事は役立つ事でもあり、理解を進める上では必要になるものではあります。
しかし、この、ほんの幾つかの「自然法則」に触れた後においても、

 

数十冊、数百冊の関連書籍を読み進めたけれど、迷いに入ってしまうという事は・・・

実は・・・

「(ほんの幾つかの)自然法則」を様々な表現(書籍など)から「知る」という作業を(延々と)続けている事で・・・

日常の実生活において「活用・行動・実践」する(落とし込む)という「学び」に繋がっていない・・・

 

という面から来ております。
つまり、