潜在意識と魂の視点から考える「ゲーム障害」 ~依存症も含めた調和とバランスなどの視点から~ 

「ゲーム障害」も「(各種)依存症」と同じ本質が存在している

 

というのは、皆さんも何となくご理解頂ける面があるかと思われます。
それは、ギャンブル依存、アルコール依存、買い物依存など様々です。
そして、魂の視点が現実のこの世の中に現れている一つの言葉があります。
もうお気づきかもしれませんが、それが、

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し

 

です。
これは、ギャンブルをしたりお酒を飲むのが悪いという意味でもなく、ましてや、買い物などに関しては必要であり日常的に行っている通常の「行動」です。
そして、これも皆さんもご存じの通り、もの凄く極端な表現を用いますと、

 

(あくまで)程度の差

 

でしかない、とも言えるのかもしれません。
なお、違法薬物に関しては「程度の差」では済まされませんので、決して手を染めてはいけません!
では、ここから「依存(症)」に関して、魂の視点を当てはめていきます。
それは、

 

「依存(症)」とは・・・

自分の中の「何か」を・・・

埋められていない・・・

 

という「叫び」から起こるという視点です。
つまり、

 

自分の中の埋められていない「何か」を・・・

自分の「外側にあるもの」で埋めようとしても・・・

それで埋まっていく事はない・・・

 

という面に繋がり、しかし、

 

その事に「気づいていない」が故に・・・

絶えず・・・

自分の「外側にあるもの」を求め欲し続けている・・・

 

という状態という事です。
そして、魂の視点においては、

 

埋められていない「何か」とは・・・

必ず「自分の中にあるもの」・・・

 

というのが「答え」になります。
そして、このような傾向というのは、

 

「人間関係」にも多々反映されている

 

という側面も存在しています。
そして、更なる魂の視点においては、

 

自分に足りない「何か」を・・・

「埋めてもらう」事と・・・

「補ってもらう(補い合う)」事とでは・・・

全く違う・・・

 

というものになります。
そして、この「埋めてもらう」事と「補ってもらう(補い合う)」事との違いについては、私が一概にここで「答え」をお伝え出来る性質のものではありません。
なぜなら、先ほどコメントした通り、

 

その「答え」というものは・・・

必ず「自分(その人)の中にあるもの」であり・・・

人それぞれに、今までの「経験」や「知識」といったものが違う・・・

 

からです。
なお、ここでの「知識」というのは「学歴」などでは全くありません。
ただ、ここで一つの「ヒント」を差し上げる事は可能です(笑)
それは、