冬至という初夢に贈る物語(メタファー)~パート3~:繰り返される分断には統合を

『 南の方のとある地方に、ある一つの村がありました。
  その村は、海に面している海辺村と、山に面している山辺村の、二つの地域で構成されていました。
  この村には時計というものが無かったので、長い間、村の人々は太陽の昇り具合を見て時刻の目安としていました。

 

  そんな中、海辺村のお金持ちが、文明の世の中に取り残されてはならぬと思い、町に出掛けてとても高価な時計を買い求めてきました。
  町の時計屋が言うには、この時計は標準時に合わせており、決して時間も狂うことが無いという触れ込みで、海辺村の人々も、山辺村の人々も、毎日そのお金持ちの家に行き、時計を見ては凄いものだなぁ、などと集まって話をしておりました。

 

  すると、山辺村に住む、もう一人のお金持ちが、村の人々が皆、時計のある海辺村のお金持ちの所ばかりに出入りするので面白く無く思い、自分も町に出掛けて時計を買い求めてきました。
  こちらの時計も高価であり、さらに素晴らしい装飾がなされている時計でした。
  勿論、標準時に合わせており、決して時間も狂うことが無いという代物でした。

 

  そうすると、今度は村の人々が、山辺村のお金持ちの時計を見に集まるようになりました。
  このように、村には二つの時計が存在する事となりましたが、不思議な事に、この二つの時計は30分ほど時間が違っていました。
  村の人々はどちらの時計が正しいのかを知る由もなく、それぞれのお金持ちだけが、自分の方が正しい時計だと言い争っていました・・・

 

  そのように日々が過ぎていく中で、次第に海辺村の人々は、自分達の時計が正しいと言い、山辺村の人々も、自分達の時計が正しいと言い争うようになり、平和だった村は時計の為に二つに分かれてしまいました・・・

 

  すると困った事に、6時からの集会のお触れが出されると、海辺村の人々は6時に集まり、山辺村の人々はそれから30分遅れて集まるようになりました。
  待たされる海辺村の人々は、遅れてくる山辺村の人々に文句を言い、一方の山辺村の人々は、自分達はちゃんと6時に集まっているのだと言い、集会も上手くいかないようになってしまいました・・・

 

  そんなある日、山辺村時計が壊れてしまいました。
  海辺村の人々は、これで時計が一つになったのだから、これからは6時の集会に山辺村の人々も遅れる事はないだろうと安心していたのですが、山辺村の時計は壊れているので、山辺村の人々は6時がいつであるのかさえ分かりません
  時計が二つあった時よりも、一つになってしまった事により、ますます村の集会を行う事が困難になってしまいました・・・

 

  そんな混乱が続く中、しばらくすると、海辺村の時計も壊れてしまいました。
  どちらの時計も決して狂うことが無いという触れ込みで買ってきたばかりに、その後、海辺村山辺村も時計を改めて買おうという気持ちにさえなれませんでした・・・

 

  このように、村には時計が無い前の状態に戻りましたが、頼るべき時計が無いと受け入れると、両方の村の人々は、以前のように空を仰いで太陽の昇り具合を見て、時刻を計るようになりました。
  そして、それは少しの不自由も、両方の村の人々に感じさせる事はありませんでした・・・

 

  なぜなら・・・
  太陽は決して狂うことも無く・・・
  壊れたりすることもありません・・・

 

  そうして、「太陽」の有り難さに、両方の村の人々が初めて気づき、そして感謝し、集会の時刻も太陽の昇り具合で決めるようにした為、両方の村の人々はその後、以前のように、平和に集会を行えるようになりました・・・
  村には・・・以前のような・・・平和が再び訪れました・・・ 』

 

では、物語はここで終了です。
そして、ここ数年は「分断(分離)」という傾向が見られる事は、このTOPICSにおいても繰り返しお伝えして参りました。
そして、2018年は特に、この「分断(分離)」に拍車が掛かった(掛かっている)年でもあります。
そして、この拍車を掛けている大きな要因は、