(「他界後」に相手が「出向く」という)「手間」を掛けさせたくない為なのか・・・?
それとも・・・
(「生前」に自分が「出向く」という)「手間」を惜しんでいる面はないのか・・・?
という思いや動機の上での視点を取り入れて考えてみて下さい。
繰り返しですが、私は「生前葬」を否定や非難をしている訳でもございませんし、全くの自由です。
そして、「生前葬」を考える多くの思いや動機の上では、
今までの人生における・・・
節目や一区切りを付けて・・・
新たな気持ちで出発したい・・・
という側面が、本心の上では大きいのでは?とも感じます。
そして、もし、そのような新たな前向きな心持ちという思いや動機があるようでしたら、必ずしも「生前葬」に限られる必要性もない事と、「他の場など」でも可能なのでは?と発想を少し柔らかくするチャンスと捉える事も出来るかもしれません(笑)
そして、もし、それでも迷いが生じるようでしたら、
一期一会(いちごいちえ)
という言葉からヒントを探してみて下さい(笑)
そして、魂の視点、あるいは、スピリチュアルな視点など、呼び名は何でも構いませんが、
このような視点の本質とは・・・
日常生活の様々な身の周りの状況や出来事などに当てはめて(「考える」という実践をして)こそ・・・
初めて身になる(意味が大きくなる)もの・・・
でもあります。
そこで、私は最初に、『平成の終盤は、日本を含め世界的に見渡してみても、様々な事柄が大きく変わった・・・と言うよりも、変わってしまった・・・との感が拭(ぬぐ)えない』とコメントしましたが、その「原因」というのは、既にご紹介致しましたが、お気づきになられましたでしょうか?(笑)
それは、
コミュニケーションをする(取る)「手間」を(あまりにも)惜しみ過ぎている・・・
という事です。
極端に表現すると、昨今の状況というのは、先程からの「手間」を惜しむという観点から、
「他者」とのコミュニケーションをする(取る)のが面倒くさい!!!
と、多くの方が感じ、あらゆる面において、その傾向が顕著になり過ぎている、というのが一端となっています。
そして、このような傾向に拍車を掛けている大きな要因の一つには、
「自分自身」とのコミュニケーションをする(取る)のすら億劫だ!!!
という面も多分に含まれております。
そして、このような近頃の状況においては「表現の自由」も関連しています。
「表現の自由」と聞くと、おそらく多くの方が、
「言葉」に着目する
事かと思われますが、これも自然で当然な観点でもありますが、
「表現の自由」には・・・
「思い」と「行動」も含まれる・・・
というのが魂の視点での「本質」になります。
そして、「思い」というのは、言わば「内心や思想の自由」とも言われますが、これは、あくまでご本人の中のものですので、正確な所を外から見極める事も不可能ですし、そこでの「自由」は尊重されるものでもあります。
そして、これも最初にコメントしました、『日本を含め世界的に見渡してみても』という観点では、この一年に起こった様々な事件や出来事などを振り返ってみても、