断捨離における「視覚」と「感情」 ~物にまつわる想い出と感情の整理が大切~

断捨離とは・・・

「物」を整理していると同時に・・・

本当は・・・

自らの「感情」や「想い出」を整理している・・・

 

という側面がある事はお分かり頂けるかと思います。
そして、実際の断捨離の作業においては、処分や整理をする際に、

 

「物」を見るという「視覚」を活用

 

します。
そして、「物」を見て、「想い出」を思い出すという時には、

 

(意識的であろうが無意識であろうが)必ず「視覚」というイメージを活用して思い出している

 

という面が働いています。
例えば、ここで皆さんに昨日の夕食を思い出して頂ければと思います。
そこで、昨日の夕食を答える事が出来るというのは、「視覚」を通してのイメージが必ず活用されています。
つまり、表現を変えると、私達が思い出すという作業をする時には、

 

「言葉」ではなく「視覚」を活用している

と言う事でもあり、また、思い出す作業というのは、

「言葉」では思い出す事が出来ず

必ず、

「視覚」を通してしか思い出せない

 

というのが、私達のような肉体(脳)を持った存在の機能でもあります。
そして、「視覚」を通して思い出す事の出来る、

 

「想い出」そのものは単独では存在しない・・・

つまり、

「想い出」には必ず「感情」が伴っている・・・

 

と言う事になります。
そして、断捨離の真の目的とは、

 

「感情」の整理統合をすること

 

とも表現出来ます。
「感情」とは大雑把に大別すると「喜怒哀楽」とも表現出来ます。
しかし、実際に私達が感じる「感情」においては、

 

複数の「感情」を同時に感じている

 

という事がほとんどです。
そして、このような「感情」においては、時には、

 

相反する「感情」が同居する自己矛盾も含まれている

 

という場合があります。
例えば、「愛憎」という言葉があります。
そこで皆さんにご質問致します。
例えば、喜びでも悲しみでも何でも構いませんが、

 

皆さんは「感情」というものを・・・

誰かに教わったのでしょうか・・・

あるいは、意識的に学んだのでしょうか・・・

そして、教わり学んだとすれば、「愛憎」のような矛盾が同居している「感情」を、

どのように説明されて納得したのでしょうか・・・

 

意地悪な質問ですいません(笑)
赤ちゃんを観察すれば、「感情」は教わったり学んだりして身に付けたものでない事は、誰の目にも明らかであるかと思います。
ただ、私達は、

 

「感情」を伝える為の、「言葉」は教わって学んでいる

 

というのは真実でもあります。
そして、繰り返しですが、

 

「物」には「想い出」が伴い・・・

「想い出」には「感情」が伴い・・・

「感情」は誰しもに自然と備わっている・・・

 

という観点から、断捨離をしていて、

間違って処分や捨ててしまった!

というケースにおいても、