「人」としての愛念が失われつつある今にこそ・・・ ~煽り運転やドライブレコーダーからも~

【 「今」ならまだ・・・ 】

そして、今回の一連の事件や出来事が、「人」としての愛念の欠如であるとすれば、

 

「魂」としての愛念の欠如が生じると、どのような事態になってしまうのか???

 

という点も然る事ながら、

 

「今」は事象として現れていなくとも、既に「今」の時点で端を発しているものがあるかも・・・

 

のように、「考え・気づく」事がとても重要になります。

 

 

なぜなら、

 

「今」ならまだ・・・

防げる・変えられる事が多々ある!!!

 

からです!

つまり、「今」考えて気づき、「今」何かを変えていけば、

 

将来、「魂」の愛念の欠如で起こるかもしれない事象を、「炙り出さず」に済む

 

という事です。

 

そして、「今」炙り出されている事象が、「魂」としての愛念の欠如の「兆し」だとすれば、今一度「人」としての愛念の欠如に「目を向ける」と、様々な事が解決可能になります。

 

 

【 個人と社会・集団の関係 】

そして、その事象に気づき、変化させるキッカケになる言葉があります、、、

それが、

 

喉(のど)元過ぎれば熱さを忘れる

 

です!

これは「反面教師」として、活用出来る言葉です。

 

これまでも、様々な出来事が起こり続けて来た「歴史」を見ても明らかです。

それにも関わらず、減らないどころか、更に輪を掛けた出来事が起こっているのは、まさに、

 

喉元の熱さを忘れ、臭い物に蓋をして来た

 

のが、一番の原因です。

 

そして、反面教師の活用とは、

 

今一度、喉元が「熱かった」出来事を振り返る

 

という視点です。

 

 

これには、「個人的」な出来事も含まれますが、

 

(一見すると、自分には関係なく思う)世の中・社会の出来事

 

の方が、今後は、より重要になります、、、

 

【 無関心に注意する 】

今回の着付けの出来事も、利用者には、言わば「通り魔」的な出来事です。

前もって、その会社の財務内容を検討する事は出来ません。

ましてや、そのような事をしなければ「安全・安心」でないとすれば、社会そのものが機能しません。

 

そして、何故、敢えて「人」と「魂」を区別したかの理由が、

 

「人」としての愛念の欠如の多くは、「個人的」な喉元が熱かった出来事を振り返る事で、解決しやすくなる

 

という傾向があり、一方、

 

「魂」としての愛念の欠如の多くは、「社会・集団的」な喉元が熱かった出来事を振り返る必要性が生じる

 

という傾向があるからです。

 

 

つまり、今回の着付けの出来事にせよ、スポーツ選手の事件にせよ、「自分は成人でないから関係ない」、あるいは、「自分はスポーツ選手でないから関係ない」、あるいは、「日本から遠い国の出来事は自分には関係ない」などの、

 

(過度の)無関心が「魂」としての愛念の欠如を助長する

 

という事です、、、