「人」としての愛念が失われつつある今にこそ・・・ ~煽り運転やドライブレコーダーからも~

例えば、テロの危険性のため航空機などの手荷物検査が強化されたり、機内には刃物やライターなどを持ち込めない・・・
あるいは、様々な盗難や通り魔などの対策の為に、町中に監視カメラを増強している・・・
また、あおり運転などに対してドライブレコーダーの売れ行きが好調・・・
などなど。

 

「今」という残念な状況においては、ある程度は自らで身を守るというのも効果があり、致し方ない点もあるのかもしれません。
しかし、このような状況が続いていくと、私達は自らの体の中にドライブレコーダーを埋めよう!という???な雰囲気が醸し出されていく事も容易に想像出来ます。
そして、このような状況の悪化が招いて行く先には、

 

「家」から一歩も出られない・・・

 

という状況が作り出されてしまう・・・
いえいえ(ダジャレではありません 笑)、この行き着く先とは、

 

「家」そのものを信頼出来ない・・・

 

という所に行き着いてしまいます。
つまり、百歩譲って「家」にいれば多少の安心感を感じられていたものが、「家」そのものがいつ崩壊するか分からない、という心の状況に陥ってしまうという事です。
そして、敢えて今回のテーマにおいて、「人」としての愛念・・・と表現したのかと言いますと、

 

「家」から一歩も出られない・・・というのは・・・「人」としての愛念が失われつつある・・・

という事を意味し、

 

「家」そのものを信頼出来ない・・・というのは・・・「魂」としての愛念が失われつつある・・・

という事を意味しています。
そして、

 

「魂」の一表現であるのが「人」

とも言えますし、極端に言えば、

「人」は「魂」の表現の一部に過ぎない

 

とも言えます。
そして、「人」としての愛念が失われる・・・「魂」としての愛念が失われる・・・という観点から考えた時に、

 

どちらがより「深刻な状況」でしょうか・・・

 

「人」としての今までの歴史においても様々な事件や出来事が起こってきました。
多少は同情や理解出来るかも?という出来事もあれば、全く理解不能な事件なども様々に起こってきました。
では、今一度ここ10日程で明らかになってきた、先ほどの事件や出来事を振り返ってみて下さい。
如何でしょうか・・・?

 

「人」としての愛念の欠如と捉える方もいらっしゃるでしょうし、「魂」としての愛念の欠如と捉える方もいらっしゃるかもしれません。
どちらの捉え方でも自由です。
ただ、次の事だけはどちらの考えの方も、今一度見つめてみて下さい。
それは、

 

どちらであっても・・・「身近」な所で起きている事象

 

という視点です。
どこか遠い世界や異次元での事件や出来事ではありません。
そして、このような事件や出来事の原因のどれもが、

 

以前(少なくとも数年前)に端を発している

 

という点です。
今回取り上げた事件や出来事は2018年になって初めて現れてきたものではありません。
それ以前に端を発し、事象となって現れてきたのが「今」である、という事に過ぎません
そして、今回の一連の事件や出来事が「人」としての愛念の欠如であるとするならば、