2017年の「乱れ」の根本にあるのは・・・ ~「虚」の変質~

気づく

 

ことだけです。
それであるならば、

 

「今」気づいて、「思い・言葉・行動」を変えて行く方が、よほど簡単である

 

という事です。
今回は厳しくも辛辣でもある内容になりましたが、その趣旨としては、

 

まだまだ様々な事を変化させて行く事が出来る

 

という段階でもあります。
そして、2018年に入ったからといって、何かが自動的・自然的に変化していくものではありません
変化を起こすのは・・・既に・・・「今」から始まっています・・・
そして、「思い・言葉・行動」とコメントしてきましたが、興味のある方は以下の様々な視点をご自身なりに考えてみて下さい。

 

この世界に「言葉」が無ければ、どのようになっている事でしょうか・・・?
「思い」を表現するために「言葉」が発明されたのでしょうか・・・?
「思い」は「言葉」に影響を及ぼされる事はないのでしょうか・・・?
「思い」が無ければ、何が私達を「行動」に駆り立てるのでしょうか・・・?

 

そして、少しだけ余談でありますが、今回のテーマの趣旨とも繋がってますので、先を続けます。
ここ連日、相撲の世界の事がニュースなどでは溢れかえっています。
確かに、傷害事件でもありますが、どこに真実・事実があるのかも分かりませんし、様々な理由や事情等もあるのかもしれませんし、私自身もこのニュースなどをよく見聞きしておりませんので、あくまで個人的な印象ですが、

 

ただ、この相撲協会と、とある親方の関係・・・
そして、北朝鮮と、それに対峙する各国の関係・・・

 

ここには似通った点があるように私には感じます。
どちらが良い悪いと言った意味ではありません。
良い悪いという観点は、時には「感情」に先走り過ぎる傾向を生み出し、そして、「裁く」という判断に陥りがちになりますので、ここではあくまで善悪の判断は致しませんが、もう皆さんもご存じの通り、この2つの大きな共通点は、

 

どちらも(直接)対話の道を閉ざしてしまっているのでは・・・?

 

という所です。
そして、このTOPICSでも繰り返しお伝えしている通り、

 

物事や出来事においては、大なり小なり相互に反映されている部分がある

 

という事です。
そして、この点を何故繰り返しお伝えしているかと言いますと、

 

この点を蔑ろにした結果が・・・今までの人の歴史の忌まわしい部分(人と人との殺戮など)に現れている

 

からです。
つまり、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」の現れです。
そして、仮にどうしても「経験に学ぶ」のであれば、この様々な物事や出来事における、

 

反映されている部分に気づけば・・・解決策も見え・・・過去の忌まわしい歴史を繰り返す必要がなくなる・・・

 

という方向に進んで行きます。
そして、この視点を蔑ろにしたり、あるいは、無関心を装ってしまうと、

 

より大きなものの為には、小さなものは無視して良い・・・そして、些細なものは多少の犠牲が出てもやむを得ない・・・

 

という方向に間違いなく、かつ、誤った方向に突き進んで行ってしまいます。
そして、繰り返しですが、今回のテーマの風潮として挙げたケースのどれもが、