「思い・言葉・行動」を大切にする
という事です。
この、「思い・言葉・行動」を蔑(ないがし)ろにしている結果が、今の「乱れ」に大きく関わっています。
そして、これも今年からのTOPICSでも繰り返しお伝えしているように、
「今」を生きる上でも、「あの世の視点」は役に立ち活用出来る
という点です。
これは、あの世を信じようと信じまいと、どちらでも構いません。
これは、
この世が全て・・・に端を発する、「乱れ」を伴う「思い・言葉・行動」を変化させる力を持つ
のみならず、
その先の私達、そして、その先のあなた自身に多大な影響を及ぼす
という事に繋がります。
この世においては様々な欲望があります。
勿論、私自身にも様々な欲望はあります(笑)
欲望が悪い訳ではありません。
人としての愛念を失うというのは、
欲望に全自我が支配されてしまっている・・・
そして、
その欲望を満たすためには、他の人はどのようになろうとも構わない・・・
という状態です。
そして、愛念を失う事を助長しているのが、先程来からの、
「思い・言葉・行動」を蔑ろにし・・・
「虚」の「思い・言葉・行動」に自分が支配され・・・ているにも関わらず・・・
その事に全く気づいていない・・・
という現象・事象となって現れているという事です。
そして、「あの世の視点」を活用するというのは、そのような欲望にあなたの全部が支配されてしまっているとしたら、
あなたは、どのような「あの世という世界」に移行する事になるのでしょうか・・・?
という想像力です。
そして、もし、あなたも何かしらの「乱れ」を感じ、あなたの身の周りにその影響を減らし、そして、少しでも望む良い方向への変化を求めるならば、あなたの出来る範囲内で充分ですので、
あなたの中の「思い・言葉・行動」を大切にする
そして、もし幾分かでも受け入れる余地がありそうと思えるならば、
その「思い・言葉・行動」を実践する際の判断基準として、「あの世の視点」をも活用する
という事が言えます。
この世だけが全て、と思ってしまうと、あらゆる欲望を満たそうと心がそちらに向いてしまう事も理解出来ないでもありません。
しかし、「あの世の視点」の活用を表現を変えれば、
「今というこの世」は、他界後に戻る本来の生活の場への準備になる
と少しでも捉える事が出来るようならば、「出来る範囲内で自らを少しだけでも律する」というのは可能になるかと思われます。
そして、
この世であろうとあの世であろうと、存在というのがあなた一人であるならば・・・欲望という感情すら生まれない
というのも真実です。
そして、あなたがこの世でたった一人ならば、
「思い・言葉・行動」を実践・活用する場も生み出しようがない
という事です。
私達は他界後に自動的に仏や神になる訳ではありません(おそらく、かなり努力をしても難しい事でしょうし、その前に、再三再四、生まれ変わってくる事がほとんどだと思います(笑))。
言わば、
他界後も個性は一切変わらない
という事です。
そして、ご自身において望ましくないと感じる個性を変化させていける唯一の方法は、