「夢」は覚えていることもあれば、全く覚えていないこともあり、そもそも「夢」を見たことすら覚えていないことも多々あります。
そして、私達は「夢」を見ている時、そして、「夢」の中にいる時には、
心が解放され、本来の自分自身を取り戻している
という状態になっています。
そして、皆さんの中にも、「夢」を見たかどうかは覚えていないが、何となく起きたらスッキリしている、心が軽やかな感じがする、という経験をしたことはないでしょうか?
勿論、このような時には肉体的にも疲労が取れたという側面もあります。
ただ、このような時に起こっているのは、
「夢」の中で本来の自分自身を取り戻している時の「感情」を覚えている
という側面があります。
そして、本来の自分自身を取り戻しているというのは、肉体的なことのみならず、
あなたがこれから先、なりたい自分になった時の「感情」を先取りしている
という側面もあります。
このような「感情」には、ほぼポジティブな思いが伴っていることと思いますが、
ここで感じた「感情」を辿って日常を送っていくことで、なりたい自分への早道となる
というように活用することが出来ます。
そして、このような状況があると共に、「悪夢」を覚えているという経験もあることと思います。
これには、「夢」を覚えているからこそ「悪夢」と感じているという側面がありますが、ここでの「悪」と見ている光景などは、
あなたの中にある、ある種の思い・観念を表現したシンボル・象徴
ということがあります。
故に、仮に全く同じ内容の「夢」であったとしても、その意味合いは人それぞれ違ってきます。
そして、このようなシンボル・象徴としての「悪夢」を見たと感じる時は、
そろそろあなたの中に手放しても良い思い・観念がありますよ
との、潜在意識から届けられるメッセージであることがあります。
なので、もしこのような「悪夢」と感じられるような「夢」を見た時は、
その中に出てきたシンボル・象徴に対して、自分はどう感じるか?
あるいは、
その中のシンボル・象徴に対して、自分はどのような意味付けをしているのだろうか?
という「感情」を探すことで、手放しても良い思い・観念を見つけ出す手掛かりとしての活用も出来ます。
また、時には知人などが亡くなる「夢」を見て、暗い思いに駆られるようなケースもあるかもしれません。
確かに、この世を旅立つ直前や直後に、「夢」において挨拶に来てくれたということはあり得ることかと思います。
ただ、このような「夢」における多くは、
その知人の内面の変化
という側面を、死というシンボル・象徴として表しているということもあります。
なので、その後にその知人と会った時に、
何か印象が変わったかな?
と思えるケースもありますし、内面の変化が外見上に表れてそのように感じるケースもあります。
そして、「夢」の中には何か予言めいた予知夢的なものもあるケースも稀にありますが、このような「夢」は、
今の状態(思い・観念)のままで進んで行くと、こうなる可能性がありますよ
と知らせてくれているケースもあります。
つまり、このような「夢」においては、