誰かに見られている?・・・という感覚の正負の側面 ~自律・自立の為の思い・言葉・行動の一貫性~ 

自分のしたことは、自分に返ってくる

 

という側面を思い出して下さい。
これは、仮にあなたが何かしらのしがらみなどで、そのようなあらぬ噂をふりまいている場に居合わせた際に、そのような噂をふりまいている当の本人を、

 

心の底から信頼出来るでしょうか???

 

ということです。
そして、自分に返ってくるというのは、噂をふりまいている当の本人は、

 

噂をふりまく度に、自分の信頼を無くしている

 

という形で体験しているということです。
そして、このような「望まない」人目や、見られていると感じる時は、

 

あなたは正々堂々と胸を張って生きていれば大丈夫

 

との強い思いを持って下さい。
そして、もし近隣のコミュニティーなどの場では、そのような噂をふりまいている人に出会ったら、

 

ニコッと笑顔で挨拶や会釈をする

 

ということをしてみて下さい。
あなたが自分を卑下する必要性もないですし、自分に自信を無くす必要性も全くありません
そして、不思議なもので、あなたがこのような行動をしていると、段々相手はあなたのことを相手にしようとしなくなってきます。
というより、

 

相手はあなたのことを、そのような相手にすら出来なくなってしまう

 

ということに次第に繋がっていきます。
そこには、そのような堂々としているあなたを目にすることで、

 

その相手は、自分の心の内は不幸だ、という面を強化されている

 

無自覚ながらも感じてくるからです。
そして、あなたの噂をいくらふりまいても、あるいは無視などの言動を取ってみても、自分の不幸を優越感に変えることはこれ以上出来ないと無自覚で気づいていくからです。
最初の慣れないうちは、そのような相手に堂々と振る舞うのは難しいと感じるかもしれませんが、行っているうちに自信もついていきますし、周囲の環境などにも変化が現れてきます。
また、「堂々とする」というのは「威圧する」という意味合いではありません。
効果的なのは「さりげなく」です。

 

そして、先ほどの車の運転のケースでの「誰かに見られている?」そして、噂話などの人目が気になるという「誰かに見られている?」という、正負の側面を解決する共通の方法となり得る視点とは、

 

常日頃から正々堂々と胸を張っていける言動や振る舞いを心掛ける

 

ということです。
これは、言わば、

 

自分を信頼する

 

ということです。
繰り返しですが、私達の誰もが完璧な品行方正ではありません。
あなたが出来る範囲で構いません。
そして、もう一つの視点として、「誰かに見られている?」というのは、実は、