可能性の発見と焦点合わせの練習法 ~路線バスの旅から~:人生は変更可能

小さい頃から無意識に植え付けられている

ことと、それが故に、

あまりにも当たり前と思い込んでいるが故に、気づきづらい

 

という特徴があるということです。
繰り返しますが、先ほどの良い大学や良い会社、あるいは、お金を稼ぐことが悪いということではありません。
ただ、そのような人生のレールに乗ることが唯一の幸せだと無意識に植え込まれ過ぎていると、

 

そのレールから外れてしまったら不幸だ

という反動の思いが生じてしまうことと、そのことにより、いわゆる、

勝ち組や負け組などの差別・格差を生む土壌になる可能性がある

 

という点です。
そして、あまりにも当たり前と思い込んでしまっているが為に、そもそも「良い」大学や会社と世間で言われているのが、何をもって「良い」と判断されているのか?本当にそうなのだろうか?などを考えることにすら気づけないという点も含まれてくるからです。
そして、世間における幸せな人生のレールから外れてしまったと思えてしまうその地点・場所は、先ほどの、

 

袋小路の中

 

という状態に繋がっていきます。
このような無意識における傾向というのは、今回のテーマである路線バスの比喩で表現すると、

 

人生においては路線バスしか使ってはならない
そして、
人生においては路線バスしか存在せず、他の移動手段はそもそも存在しない

 

暗黙に了解して、その選択肢のない袋小路から抜け出ることが出来ない状態とも言えます。
そして、このような状態の時が、意識の焦点が一点のみに向けられていて周りが見えていない状態と言えます。
言わば、

 

無意識の上で、他の「可能性」に目を背けている

 

状態とも言えます。
繰り返しですが、意識の焦点を一点に向けるというのは悪いことではありません。
それはある身近な目標を達成するのに大いに役に立ってもくれます。
そして、人生において他に選択肢がない、ということはありません。
必ず他の「可能性」という選択肢は存在しています。
では、その「可能性」を発見する数ある方法の中の一つにここまでお読み頂いて気づいたでしょうか?
それは、

 

意識の焦点をある所に合わせながらも、周りも見える状態にする

 

ということです。
皆さんも次のような経験はないでしょうか?

例えば、身体が不自由な方が何かに打ち込んでいる姿をTVなどで見て勇気を頂いたり・・・
あるいは、パラリンピックなどで、身体が不自由でない自分よりも凄いことが出来ていることに奮起を頂いたり・・・
そして、

 

今の自分は幸せだ・・・

 

思ってみたり・・・と。
ここでお伝えしたいことは、身体が不自由な方が不幸せだということでは勿論ありません。
そのような見方からは勇気や奮起を頂いたという思いにはなり得ないこととも思いますし、他者との比較の中に幸せを見つけられないことも同じことですが、「今の自分は幸せだ・・・」と思うことも偽らざる本音であることとも思います。
私もそのように思うこともありますし、勇気や奮起を頂いているのも事実です。

そして、このようにTVやパラリンピックなどを通してそのように思えるということは、

 

その時のあなたの状態は、意識の焦点もある所に合わせながら、周りも見えている状態

 

と言えます。
なぜなら、