第100回:『 魂の年齢・・・という視点 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

ここ1週間ほど、東京都知事の公金の使い方について色々問題になっています。
この種の問題は本当に際限なく続いており、また、ほぼ全てが時の経過と共にうやむやになってしまう状況と思います。
私達の多くは、智恵や工夫を活用して日常の家計を送っていますが、この手の話題を「またか!」と憤っているだけでは「もったいない」と思いますので、今回は「魂の年齢・・・という視点」なるテーマでお伝えしていきます。

 

皆さんの身の周りには、いらっしゃるかもしれないし、いらっしゃらないかもしれませんが、

 

いい年をして、、、、、

 

という表現を耳にする、あるいは、言葉が口から出るという経験はありませんでしょうか?
通常、この「いい年をして、、、、、」の「、、、、、」の所には、

 

みっともない、恥ずかしい、分別がない・・・・・

 

などのように、非難めいた言葉が続いていくことがほとんどだと思います。

ところで、私がウォーキングをしていた先日のことです。
比較的暑い日でしたが、前の方をご年配の方が買い物袋を手にし歩いていました。
そのまま私も歩き続けていた所、その方が道ばたに「何か」を落としたように見えました。

落とし物だと大変ですので、私はそのまま歩き続け、その「何か」を確認しました。
すると、それは飲み終えた後の「空のヤクルト」でした、、、、、

私はそのご年配の方と面識もありませんし、お名前も勿論知りません。
当然その方の一切を知らないということと同じ意味です。
暑い日差しの中、手には買い物袋を持って歩いているので喉が渇いていたのかもしれません。
しかし、、、、、

 

一事が万事

 

という表現があります。
「一事」を見れば「他の全ての事」が推察出来るという意味です。
私はそのご年配の方の一切を知りません。
もしかしたら、その方の本質は優しさに溢れている方なのかもしれません。

しかし、私も人間ですので、このご年配の方の行動には「一事が万事」という見方をしてしまうのも本音の一部でもあります。
そして、このことは先の東京都知事のケースにも当てはまります。

私達は誰もが聖人君子ではありませんし、そうである必要性もありません。
そして、

 

年を重ねたからといって、自然と人間的に成長する訳ではない

 

ということも当てはまります。
私自身も含めて、誰もが長所と短所を兼ね備えています。
様々な経験を通じて、長所を伸ばしたり、短所を補っていく側面も確かにあります。
しかし、このようなことも、

 

無自覚では出来ない

 

ということになります。
一方で、子どもや未成年の方でも、目覚ましい考えや行動を発揮しているケースも多々あります。
「この位の年齢」あるいは「年端もいかない年齢」で、よくこのような考えや行動に移せるものだ、というように感嘆するケースもあります。
教育や環境の影響というのもあることと思います。

 

このように、「いい年をして、、、、、」と評価されることもあれば、幼いながらも凄いと評価されるケースもあります。
これは、人間的な成長という意味合いでは、ただ単に年齢を重ねるということだけでは説明がつかないかもしれません。

 

もし仮に、魂は何度も生まれ変わってくると仮定すると、単に肉体的に年齢を重ねることだけが成長ではないという見方も出来るかもしれません。
幾度もの人生を通じて得意な分野や苦手な分野も表れてくることと思いますし、経験の差、あるいは成長の度合いというのも違ってくるかもしれません。

 

注意をしたり、諭すことも勿論大切なことです。
それと同時に、もし、そのようなことをしても何も変わらないケースの場合に、「肉体的な大人」に接するというより、「幼い魂」に接するというように、「魂の年齢」という視点を取り入れてみては如何でしょうか?

そして、今回の東京都知事のケースや、道ばたのポイ捨てなどのケースのような場合、私自身も含めて自ら気づくことが出来る一つの方法があります。
それは、