「寂しさ」を埋めるためにお酒を飲む、あるいは衝動買いをするということもあるかもしれません。
しかし「寂しさ」を埋めるためにお酒を飲む、あるいは衝動買いをすることが「寂しさの解消」には繋がりません。
「寂しさ」を埋めるためにお酒を飲めない人が衝動買いをすることもあるでしょうし、買い物に興味のない人は逆にお酒を飲むかもしれません。
このように、「お酒を飲む」あるいは「衝動買いをする」ということが絶対的な解決法ではないということです。
表現を換えれば「別の手段・方法」でも寂しさを埋めることが出来るということです。
そして、何かを埋めるための方法というのも人それぞれ様々です。
そして、ここに「程度」という「自分の軸」をしっかり保つことの重要性が存在します。
【 違法薬物は次元が違う 】
「違法薬物」の依存ですが、これは「違法」ということだけではなく、また「程度」の問題でもなく、「その人そのもの」を壊してしまいます。
例えば、私達は常に空気を必要としていますが、空気を意識することはほとんどありません。
ある特殊な環境下、例えば煙に巻かれている、高い山の登山をするといった時などは空気の薄さを感じ、空気を探そうとすることはあります。
空気は私達が生きていくために必須です。
しかし、同時に空気を追い求めたり意識をしていないことも事実です。
肉体は私達が意識しようが意識しまいが、常に空気を求め必要としています。
なぜなら、肉体は常に生きることに全力を尽くしているからです。
「違法薬物」の依存とは、
肉体が常に空気を欲している
ようなものです。
どれだけ止めようと意識していても、肉体が生きるがために「違法薬物」を欲してしまっている状況です。
そして、不適切な例えですが残念ながら社会には自殺もあります。
しかし、他の道具や手段を使わず意思のみで呼吸を止め、死に至ることは可能なのでしょうか???
確かに訓練次第で意識して呼吸の回数を減らしたりなどは可能です。
しかし、私は意思のみで呼吸を止め死に至ることは不可能と考えます。
ある意味、意思の力を上回る肉体の生への欲求が勝っているからだと思います。
そして、このような肉体の歪んだ欲求の現れが「違法薬物」の依存になると考えています。
故に、禁断症状では死ぬほどの苦しみ、あるいは死んだ方がマシだと思えるほどの症状となって現れてくるのだと思います。
【 長生きと自殺の両方を同時に実現するのは不可能 】
「違法薬物」に手を出すに至った理由が必ずあるのも事実でしょう。
そして、「違法薬物」に頼ってまでも「これから先も生きていきたい」との思いが存在することも事実であろうと考えます。
しかし、「これから先も生きていきたい」との思いを実現するために「違法薬物」に手を出すということは、
長生きと自殺の両方を同時に実現させようとする
のと同じく不可能です。
そして「違法薬物」の依存というのは、肉体が空気を求めるかのごとく依存性がとても強いということです。
物などの「依存症」は「心」に由来する部分が大きいですが、「違法薬物」の依存は「心」を通り越して「肉体」を蝕むという究極の「依存症」になります。
【 内省や内観の活用 】
様々な「依存症」でも「違法薬物」の依存であっても、そのような現状を変えていくには自分を省みる、あるいは内観するという作業が必要になります。