男性と女性&父性と母性 ~社会的暗示という常識を疑い人間を見る~

第71回:『 男性と女性&父性と母性 ~社会的暗示という常識を疑い人間を見る~ 』
【 参照キーワード:同性婚、パートナーシップ証明書、パートナーシップ宣誓書、LGBTQ、母性と父性、社会的暗示 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

先日のTVのニュースにて、東京都の渋谷区が全国で初めて条例に基づいて、同性カップルを結婚に相当する関係であることを証明する、「パートナーシップ証明書」を発行したとの報道がなされていました。
同様に世田谷区においても、条例には基づいていませんが、「パートナーシップ宣誓書」の取扱を始めたとのことです。

 

日本では憲法において、婚姻関係は「両性」の合意によると規定されているため、同姓カップルの法律上の結婚は認められておりません。
しかし、当然のことながら、憲法であろうと法律であろうと、「人の心」を鎖で縛ることは出来ません
同姓カップルは家族ではないため、入院時の面会を断られたり、不動産の賃貸契約を結べないなどの、社会上の制約(差別?)が問題になっていました。
法的な拘束力はないものの、このような社会上の制約を取り払うべく、各関係者に協力を求めるという趣旨のものです。

 

この話題に関しても賛否両論あると思います。
また、デリケートな側面もあるため、単に賛成・反対というのではなく、受け入れられるか、あるいは、受け入れられないかという視点もあるかもしれません。
社会上の視点、また心情的な視点などが絡み合ってくる学びでもあることでしょう。
反対の中には、家族という概念が揺らいでしまうといった意見もあるそうです。
あるTVのインタビューにおいては、「自分の子どもや家族であれば反対だが、他の人のことであれば良いのでは」といった意見も報道されていました。
一見すると「無関心」であるようにも思えますが、比較的この見解は多くの方がお持ちなのかもしれません。

 

そこで今回のテーマ「男性と女性&父性と母性 ~社会的暗示という常識を疑い人間を見る~」を考えてみたいと思います。
なお、「男性」「父性」という用語が先に来ておりますが、あくまで日本語としての「男女」「父母」になぞらえてのことで、「男性」「父性」が優位であるといった意味合いはありませんのでご理解下さい。

 

「何か」を表現する時、「違い」を表す、あるいは前面に出すことによって理解が深まることがあります。
「人間」で言えば、その一表現方法として「男性」「女性」と違いを表すことによって、「人間」を知る手がかりの一つとなり得ます。
このような意味から、私は個人的には「男性」「女性」の区別は、「身体的特徴」の違いと「社会的暗示」であると解釈しています。
「人間」という身体的器から考えれば共通点も多々ありますが、やはり「男性」「女性」の間には、体の機能としての違いがあります。

 

ところで、よく「男らしさ」「女らしさ」などの言葉を聞いたことはないでしょうか?
男は泣くものではない、男は少々のことは我慢するものだ、一方、女性なんだからおしとやかにしなさい、女性は家庭を守りなさい、などと耳にされた方も多いのではないでしょうか。
これが、

 

「社会的暗示」

 

と言われているものです。
社会的暗示とは、小さい頃から親や周囲の人々に言われ続けてきたこと、社会的に良しとされていること、などが知らず知らずの内に、それが最良なんだと言われ続けている内容のものです。
いわゆる「常識」の一角として形作られているものも多くあります。

 

しかし、このような一部の社会的暗示やある種の常識は、時代や社会の変化と共に移り変わっていきます
つまり、一昔前の常識は、今の非常識に繋がってしまうケースがあるということです。
今の常識や社会的状況の下では、先の「女性は家庭を守りなさい」という暗示は非常識であったり、女性の人権を蔑ろにしていると評価されるケースが多いことでしょう。

 

勿論「社会的暗示」の中にも、不変の教えというのはあるかと思います。
目上の人を敬うとか、小さい子に優しく接する、困っている人がいたら助けてあげる、など多数にあると思います。
当然のことながら、敬うのは目下の人にも同様ですし、優しく接するのは出会う人全てに当てはまるでしょう。
また、自分が助けられることもあるのだから、その時は感謝してお世話になりなさいという意味合いも含まれています。
このような不変の社会的暗示は、物事を実践しやすくなるという側面でも有効であると考えます。
「先ず隗より始めよ」という諺にも表れています。

 

では、「父性」「母性」とはどう違うのでしょうか?