ギリギリの所まで来ている・・・現代(という私達)

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日来の相次ぐ台風により甚大な被害が出ておりますが、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、お怪我をされた方やお家が損壊された方、また、避難所でお過ごしになられている方なども含めまして、心よりお見舞い申し上げます。

そこで、今回は「ギリギリの所まで来ている・・・現代(という私達)」というテーマをお届け致しますが、不謹慎の誹(そし)りを免れないなどのご批判もある事も承知の上で、かつ、そのようなご意見もちゃんと受け止めた上で、私自身が「今」必要と感じている面を、率直にお伝えして参ります。

 

では、まず最初に、お聞きになった事がある方も多いかと思いますが、中島みゆき さんの「時代」という歌の前半部分の歌詞をご紹介致します。

 

『 今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
  もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

  そんな時代もあったねと
  いつか話せる日が来るわ

  あんな時代もあったねと
  きっと笑って話せるわ

  だから今日はくよくよしないで
  今日の風に吹かれましょう

  まわるまわるよ時代は回る
  喜び悲しみくり返し
  今日は別れた恋人たちも
  生まれ変わってめぐり逢うよ 』

 

では、皆さんに問い掛けます、、、

 

「今」起こっている・・・

自然災害にしても・・・

人為的な様々な出来事にしても・・・

 

「いつか話せる日が来るわ」・・・

「きっと笑って話せるわ」・・・

と、「今」、本当にそのように思い、感じる事が出来るでしょうか・・・

 

ところで、次のような言葉があります。

 

国破れて山河あり

 

これは「戦乱などで国が滅びても、山や川などの自然は元のままの変わらない姿で存在していること」を表していると言われておりますが、この言葉を自然災害に当てはめるのは「誤用」である事を敢えて承知の上で、

 

「今まで」のように何も変わらずに進んで行った時に・・・

「これから先」の光景(景色)に・・・

この言葉は、当てはまるのでしょうか・・・

 

逆に、あくまで私個人としては、仮に国がかろうじて存続出来たとしても、そこに、山や川は既に存在していないかもしれず、、、ひいては、そこ(国)に人々(国民)は存在し得るのだろうか、、、という事を、とても強く考えてしまいます。

では、このTOPICSでも何度か繰り返しお伝えして来ておりますが、少し表現を変えて、改めてお伝え致します。

 

私達(人間)は自然(界)をコントロールする事は出来ない・・・

が、しかし・・・

私達(人間)の「意識」は・・・

自然(界)に(多くの)影響を与えている・・・

 

というものですが、今回は敢えて率直にお伝えするという趣旨から、これは間違いありません。

では、ここで、今までのTOPICSにおいても自然災害に関してお伝えして来ておりますが、その幾つかの、ごく一部を抜粋して、再度ここに掲載致します。

 

まず、2015年9月11日のTOPICS「見る・聞く出来事には意味があるのか?」からです。
この時は、栃木県、茨城県、宮城県での大規模な「川の氾濫」が引き起こされ、そこから「溢れ出す」という現象をキーワードとしてお伝えしたものであります。

『 大変な困難な中でも、そこから活路・意味を見い出し、同じ事が起こらないよう出来る事は何か? 』

『 このように「溢れ出す」というテーマに対し、そこから見い出せる一つの活路・意味としては、「受け入れる力(受容力・包容力)」ということが考えられます。 』

 

次は、2016年4月16日のTOPICS「急遽:今、見つめ・気付けることを・・・」からです。
この時は、熊本で発生した大地震を取り上げました。

『 私達の意識というものは、正の面も負の面も含めて、それが多数集まることにより膨大なエネルギーが産み出されることが量子力学における数万人の実験から明らかになっています。

  その実験では、その集合した意識のエネルギーが、まずもって狂わされる可能性のない機器に影響を及ぼし、変化させていることが実証されています。 』

 

では、最後は2018年7月14日のTOPICS「自然(災害)と人間の意識(波動)」からです。
この時は、これも甚大な被害が出てしまった西日本での豪雨災害を取り上げました。

『 最新の科学の分野においては、次のような研究もなされています。

  それは、自然災害が引き起こされる際には、人間の意識(波動)が深く関与しているのではないか・・・との一説です。 』

『 良かれ悪かれ、私達人間における意識の波動を乱す元となるのは、行き過ぎた感情の波です。 』

『 自然災害が発生した場所の人間の意識(波動)が問題なのではなく・・・私達がどこの場所にいようと、自然災害がどこの場所で起ころうと・・・全ては私達一人一人の意識(波動)が関わっている・・・ 』

 

昨今の台風や大雨などに関しては、温暖化(気候変動)が理由として挙げられていますが、確かにそれも大きな要因の一つです。
ただ、このような温暖化(気候変動)を引き起こしたのも、私達(人間)です。
そして、その中には、当然ながら「私自身」も含まれておりますし、「あなた自身」も含まれております。

 

そして、先ほど『 良かれ悪かれ、私達人間における意識の波動を乱す元となるのは、行き過ぎた感情の波です。 』とのコメントをご紹介致しましたが、この「意識」そして「感情」の乱れは、現在では残念ながら「溢れんばかり」の雑多なものが存在しているのが事実ですが、その中でも、ここ最近、特に私が危惧している(気に掛けている)のが、

 

世界各国でも・・・

勿論、日本国内でも・・・

「冷笑」という空気感(雰囲気)が蔓延してしまっている・・・

 

というものです。

そこで、「ひろしま」(昭和28年上映)という映画があります。
これは文字通り、広島に投下された原爆の実態を描いた物語です。

 

そして、そのワンシーンで、戦後少し経過した後の、学校での場面があります。
そこでは、先生が生徒に、原爆を受けた人は手を挙げて下さいとの場面があります。
ちなみに、そこで手を挙げた生徒の人数は3分の1として紹介されています。

 

そして、手を挙げた中の、一人の女子生徒が次のように発言します。

『 記憶力が悪くなって、、、チョットの傷が膿んだり、、、とても目も体も疲れやすいんです。

  夏なんか、とても体がだるくて、起きていられないくらいなんです。 』

 

すると、ある男子生徒が次のように発言します。

『 夏は誰だってだるいですわ! ねぇ~ 』

 

そして、そのクラスの中で「(冷)笑い」が湧き起こり、その女子生徒は何も言えなくなり、うつむいてしまいます。
それを見た、先ほど手を挙げた中の、一人の男子生徒が席を立ち上がって言葉を発します。

『 何がおかしいんだ!

  これだから、何も言いたく無くなるんだ!

  〇〇君(先の女子生徒)の言った事は、程度の違いはあっても、原爆を受けた者が皆、苦しんでいる事なんだ。

  それに、口では言わないが、いつ原爆症に命を取られるかと思って、毎日ビクビクして生きてるんだ。

  そんな事を言えば、君達はすぐ、原爆を鼻に掛けてるとか、原爆に甘えてるとか言って笑うんだ。 』

 

そして、これを聞いた先生が発言します。

『 〇〇(先の男子生徒)にそう言われると、僕は全く弁解のしようが無いんだ。

  (中 略)

  広島に来て、原爆の事を勉強しなかったって事は、全く僕自身の怠慢で、その点、諸君にはすまないと思っている。 』

 

これを受けて、先ほどの男子生徒が更に言葉を続けていきます。

『 それは先生だけではありません。

  広島市民の大部分の人が知らないんです。

  今、新聞なんかが、原爆と平和問題を結び付けて、盛んに世界の人達に呼びかけていますが、僕は、原爆の恐ろしさと、あの非人道的な事を、世界の人達に叫ぶ前に、まず、日本人に分かって貰いたいんです。

  いえ、それよりか、広島の人達に知って貰いたい。

  もっとハッキリ言えば、ここにいる、このクラスの人達に、先生によく知って貰いたいんです。 』

 

では、この映画のワンシーンから、皆さんは先ほどの「冷笑」という空気感(雰囲気)を、どのように捉え、どのように感じますでしょうか、、、

確かに、原爆(人為的)と自然災害に差異はあるかもしれませんが、ここには、私達の「意識」、ひいては「感情」が「炙り出されて」います。

そして、繰り返しの問い掛けですが、

 

「今」起こっている・・・

自然災害にしても・・・

人為的な様々な出来事にしても・・・

 

という事に関して、

 

どうぞ皆さん・・・

「関心」を持って・・・

そして「知って」・・・

そして「気づいて」下さい・・・

 

そして、特にここ最近の風潮から「気づいて」欲しいのは、

 

「言葉」とは「裏腹」の思い(詭弁、時には嘘)

 

です。
なぜなら、

 

これらの全ても・・・

私達(人間)の「意識」の現れ・・・

 

であるからです。
そして、

 

このような「意識」の現れが・・・

私達(人間)全ての・・・

「思い」「言葉」「行動」に繋がっている・・・

 

という事に。

では、今回のTOPICSの締め括りと致しまして、冒頭にご紹介した、これもご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、同じく中島みゆき さんの「糸」という歌から、サビの有名な歌詞の一部をお伝え致します。

 

『 縦の糸はあなた

  横の糸は私

  織りなす布は

  いつか「誰か」を

  暖めうるかもしれない 』

 

自然災害にしても、、、人為的な様々な出来事にしても、、、「全て」は、、、「繋がって」います、、、

2019年10月19日 03:10

魂の視点から見る、お葬式と結婚式の共通点

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「魂の視点から見る、お葬式と結婚式の共通点」というテーマをお届け致しますが、この内容は、いわゆるスピリチュアルの雑学のような感じで進めて参りますので、全く肩肘を張る必要も無く、ただ、リラックスして、へぇ~そんな事もあるのかな?本当かな?などのように、疑問を感じても全く構いませんし、あるいは、そうだったのか~!などのように、気軽な感じで読み進めて頂ければ幸いです!
なので、今回のTOPICSでは、得るものがなかったなぁ~!?のようなご感想を抱かれても大丈夫ですので(笑)

 

ところで、人生における大きな儀式?と致しましては、お葬式や結婚式というイメージを抱かれる方も多いかと感じます。
勿論、「今、この時」に、このTOPICSをお読み頂いている皆さんにおかれましては、自らのお葬式を(まだ)体験されていないのは当たり前の事でもありますし、また、ご結婚をされている方におかれましても、結婚式はしていないという方もいらっしゃる事でしょう。

 

では、皆さんは、今まで、お葬式と結婚式に共通点はある?という事を考えてみた事はありますでしょうか?(笑)
おそらく、、、ほとんど、無いですよね(笑)
まず、誰もが思いつく共通点と致しましては、

 

(人数に関わらず)人が集まる(集まりやすくなる)場

 

という点が挙げられるかもしれません。
私のように40代の中盤にもなりますと、結婚式にお招き頂く機会は(かなり)少なくなりますが、逆にお葬式などに参列させて頂く機会は増えていく傾向があるのは、皆さんも似たような感じかもしれませんね!?

 

ところで、先日、私の父のお姉さんが他界された事で、父は身体が一部不自由な面もある為、私が父の代理も兼ね、また、私自身もご挨拶をしたいとの思いから、岩手県でのお葬式に参列させて頂きました。
結婚式でも、もしかしたら似たような側面があるのかもしれませんが、特にお葬式では、

 

所変われば品変わる

 

との言葉のように、地域性による風習の違いなどが顕著に現れてくる側面もあります。
勿論、宗派による違いもあるでしょうし、仏式とそうではない宗教での違い、また、そもそもお葬式には決められた規則やルールなどは本来ありませんので、現在では家族葬などのように、(無宗教で)自由な雰囲気で執り行う方々も増えてきております。

また、結婚式と同様に、お葬式も必ず行わなければならないなどの決まり事も全くありません。
かつ、結婚式では「当事者」がもろもろの意向や趣向などを考えて執り行うでしょうが、お葬式の場合では、他界されたご本人様のご意向が反映されるケースは、まだ少数派でもあるかもしれません。

 

では、まず最初に、魂の視点から見て、お葬式にどのような意味合いがあるのか?を少しご紹介致します。
まず、一つ目としては、

 

他界されたご本人様に向けて、死を気づかせてあげる

 

という視点があります。
これは、頭のオカシイ?オカルト風?な話に聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、突発的な事故などの場合や、意識の無い状態での入院生活が長期間続いていた場合などでは、

 

ご本人様そのものが、他界した事に気づいていない

 

というケースが(よく)あると言われております。
そのような視点からは、ご本人様が気づかぬままに、少しの混乱や困惑した状態で自らのお葬式に参加しているケースもあれば、ご本人様は他界された事に(充分に)自覚を持った上で、ご挨拶の思いを持って参加しているケースもあります。

なお、「参加」という言葉は少し変?に私も感じますが、なかなか適切な言葉が浮かびませんでしたので、ご容赦下さい(笑)
では、二つ目としては、

 

ご遺族などの心の整理(区切り)の為

 

という意味合いがあります。
これに関しては、私がこれ以上コメントするようなものでもありませんので、皆さんもご自身の経験から考えてみて下さい!
そして、これが一番大切になる三つ目として、

 

感謝であろうと・・・謝罪であろうと・・・

他界された方・・・この世にご存命の方・・・

「双方」における「思い」の交流の為に!

 

という意味合いです。
ところで、近頃の何かと慌ただしく気忙しい現代においては、お葬式と同時に、49日や100日法要なども済ませるケースがとても多くなっております。
勿論、これも否定や非難されるような性質のものではありませんので、それで良いものでもあります。
ちなみに、このような観点から、お葬式などを執り行わなかったからと言って、「浮かばれない」などのような事も決してありません(笑)

 

そこで、先ほどの私が参列させて頂いたお葬式のお話です。
なお、誤解の無きように先に申し伝えておきますが、これも否定や非難などでは決してなく、「所変われば品変わる」、つまり、仏式などでも、それを執り行うお坊さんや葬儀会社などによって違いがあるという趣旨でご紹介致します。

 

では、まず最初に、私がお葬式に参列させて頂く時の、私の「思い(スタンスや姿勢)」を少しお話致します。
私が経験した多くの場合では、お葬式の場では2~3回ほどのご焼香の機会が設けられているケースが多いように感じます。
勿論、1回のケースもありますので、そのような時には、私は帰りがけに再度、ご祭壇の前に出向いてご挨拶をさせて頂いたりしています。

 

そして、1回目のご焼香時は、感謝の念を伝えたり、よく頑張って生き抜かれましたね!などの「思い」を伝えるようにしています。
また、ご病気などの場合では、もう(肉体が無いが故に)楽になって良いんですよ、などの言葉掛けをする事もあります。
そして、お葬式の最中に、自分の中で湧き出てきた「想い出」などを2回目のご焼香時において伝え、それと同時に、

 

これからも・・・

共に「叱咤激励」しながら・・・

生きて行きましょう!

 

との「思い」を乗せる(運ぶ)ように心掛けております。
そして、これは余談ですが、お葬式の場などでは、どうしても悲しみなどの空気感(雰囲気)が存するのは自然で致し方ない事でもありますが、それが強いと感じる際には、お葬式の最中に、私は「その場(の人々も含め)」に向けてヒーリングを行ったりしている事もあります。
勿論、あくまで、自分の中の「イメージ」を活用してでありますので、立ち上がって何かをするようなものでは決してありません(笑)

 

そこで、まず、「思い」を伝える(運ぶ)際にはご焼香である必要性もありませんし、どこでも、いつでも、伝える事が出来るものでもありますし、伝わるものでもあります。
そこで、先日のお葬式においては、ご焼香の機会が6回ほど設けられておりました。

 

先ほどご紹介致しましたように、あくまで私個人としては、2~3回ほどの「思い」を伝える(運ぶ)事を心掛けておりますが、例えば、それが、より増えた機会を設けられた際には、「ご遺族などの方に、私に出来る事があれば教えて下さいね」なども伝えたりします。
ただ、

 

お葬式という限られた時間の中で・・・

(あくまで良い意味での)6回ほどのご焼香の場を設けて頂いても・・・

他の人々(参列されている方々)は、何を伝えて(運んで)いるのだろう・・・???

 

と考えてしまいました(笑)
勿論、6回でも足りない!という方々もいらっしゃる事でしょうし、それが、先ほどの「どこでも、いつでも、伝える事が出来る」という事にも繋がっております。
ただ、

 

おそらく(ですが)・・・

3回以上のご焼香の場を設けられると・・・

ほとんどの人は・・・

「儀式(形式的)」に執り行っているだけ・・・なのかも???

 

などのように、「思い」からではなく、「見た目(外見)」を重視せざるを得ない?という方々は、結構いらっしゃるようにも感じます(笑)
例えば、ご焼香をしている際に、何か急かされている?ような感じを持った事はありませんでしょうか?(笑)
勿論、このような事も、良し悪しや是非という問題ではありませんが、皆さんは今までのお葬式という場において、どのような体験や感じ方をされた事がありますでしょうか???

 

そして、魂の視点においては、他界された方々の多くは、ご自身のお葬式などにちゃんと参加しており、そして、参列している私達の「思い」もちゃんと届いているという観点からは、

 

お葬式の場などにおいては・・・

(あまり)「儀式(形式的)」に捕らわれ過ぎる必要もなく・・・

逆に・・・

お坊さんや葬儀会社などが、その趣旨(魂の視点)を汲み取り・・・

(これからは)「創意工夫」を込めていく・・・

 

事も必要なのでは?と個人的に思ったりもしていました(笑)
なぜなら、

 

(何度も繰り返される)ご焼香の場などにおいて・・・

何の「思い」も込められていないのであれば・・・

他界された方が、どう思い、どう感じているのか・・・???

 

に「思いを馳せる」と、自分が送られる側であれば何を素敵に感じるかな?という点は、薄々お気づきになるかとも思われます。
そして、おそらく?率直に言って、

 

仮に、「思い」が(全く)込められていない・・・

(何度も繰り返される)ご焼香の場などにおいては・・・

参加している他界されたご本人様も・・・

(もしかしたら)「苦笑」しているかもしれない・・・

 

という現象が起こっているのかもしれません(笑)
つまり、お葬式などの場においては、

 

「思い」「言葉」「行動」の一貫性

 

を考える機会となるかもしれません!
ちなみに繰り返しですが、私はご焼香の回数などに文句を付けてる訳でも、お坊さんや葬儀会社を非難している訳でも決してありませんので、重々誤解の無き用にお願い致します(笑)

 

では、お葬式では、他界された「当事者たる」ご本人様も(多くは)参加されているとお伝え致しましたが、そうは言っても「見えない」「聞こえない」「感じられない」というケースが圧倒的でもある事と思います。
しかし、結婚式においては、それこそ、もろに、結婚をされる「当事者」は存在し、目の前に見え、お話も出来、一緒に写真を撮るなど触れる事も出来ますよね(笑)

 

ところで、スピリチュアルなものが好きな方はご存じの方も多いでしょうが、「アカシックレコード」という概念?が存在しています。
では、簡単にご説明致します!

 

アカシックレコードとは・・・

この宇宙での全ての出来事・・・

「私達の全て」を記録(保存)しているもの・・・

 

と言われております。
つまり、

 

私達の瞬間瞬間、全ての・・・

「思い」「言葉」「行動」の・・・

データベース・・・

 

とも呼べるものでもあります。
ちなみに、これもご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、エドガー・ケイシーという人が存在しておりましたが、この人は、カウンセリングやガンなどの病気への対処法を知りアドバイスをする為に、このアカシックレコードにアクセスして情報等を得ていたと言われております。

これも、俄(にわか)には信じられない!という方も多いかと思いますが、少なくとも、量子力学などの最先端科学においても、意識は貯蔵され、その情報がどこかに存在しており、それにアクセスする事も(理論上は)可能であるとの方向性を既に示しております(笑)

 

では、結婚式には皆さんも出席された事が少なからずあるかと思われます。
そして、多くの場合では、おめでとう!などの祝福の「思い」を抱いての事かとも思われます。
ただ、中には、

 

チクショー! 羨ましいじゃないか!

 

などの、ポジティブとも?ネガティブとも?取れるような「思い」を抱く方もいらっしゃるでしょうし、子どもさんなどの結婚に対して、はらわたが煮えくり返る!?ような「(結婚に反対の)思い」を抱いて列席される親御さんなどもいらっしゃるかもしれません。
勿論、「内心は自由」ですので、どのように思おうと構わないものでもあります(笑)
そして、このように、結婚式においては、

 

どのように「思って」いようとも・・・

「言葉」と「行動」には現れない(現れづらい)為・・・

「当事者」に気づかれる事は・・・

ほぼ、無い・・・

 

というのが実情です(笑)
ただ、そうは言っても、

 

(もし、仮に)アカシックレコードなるものが・・・

本当に存在しているとすれば・・・

(そこでの)あなたの「思い」「言葉」「行動」の全てが・・・

記録(保存)されている・・・

 

という事にもなります(笑)
では、少し話は逸れますが、このアカシックレコードというのは、「走馬燈のように想い出が蘇る」という捉え方も出来ますし、「閻魔(えんま)さんから裁きを受ける際の調書(資料)」のようなものと捉える事も可能です。
勿論、閻魔さんは存在しておりませんし、そのような「裁き」を誰かからされる事もありませんが、

 

(魂の視点の上での)真実としては・・・

自らで自らの「思い」「言葉」「行動」を・・・

振り返させられる(省みさせられる)機会が・・・

例外なく、誰にでも、必ず・・・訪れる!!!

 

と言う事が出来ます。
そして、

 

そのような機会を設けているのは・・・

他ならぬ「自分自身」である!!!

 

と言うものでもあります(笑)
そして、結婚式では「(若い)二人の為に、御指導ご鞭撻と共に、何かの折には力になってあげて下さい!」などの祝辞や挨拶なども、よく聞かれるものでもあります。

 

では、ここ迄で、今回のお葬式と結婚式の「共通点」を皆さんなりに見出す事は出来ましたでしょうか?(笑)
では、魂の視点から私なりの「二つの共通点」をお伝え致します!

 

お葬式でも・・・結婚式でも・・・

どちらも「当事者」は(その場に)存在しており・・・

故に・・・

私達の「思い」「言葉」「行動」は・・・

(少なからず)現実(事実)として影響力を持っている!

 

というのが一点目です。
そして、二点目は、

 

お葬式でも・・・結婚式でも・・・

やはり・・・

その先(今後)に向けて・・・

「共に」これからも続いていく人生(や生命活動)における・・・

お互いにとっての「叱咤激励」の場となっている!

 

と言うものです(笑)
先ほどの結婚式における「内心の自由」のように、お葬式の場などでも「この世からいなくなってくれて清々した!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんし、そのような内心においても、誰も制限などを掛ける事は出来ません。
そして、これは、結婚式でもお葬式の場でも、何も「崇高な思い」などを持ちましょう、という意味合いでも決してありません(笑)
ただ、

 

私達の「思い」「言葉」「行動」の全ては・・・

必ず「見られて」おり・・・

それを「見ている」のは・・・

他ならぬ「自分自身」でもある・・・

 

という視点を活用してみると、結婚式ではそんなに大差はないのかもしれませんが、少なくともお葬式の場においては、他界されたご本人様は勿論、「あなた自身」においても何かしらの「変化」を感じ取る素敵なキッカケとなるかもしれません!?(笑)

ちなみに、他の事例としては、コンサートや演劇などでは、「チケットのいらないお客様(が今日は多かった)」などという事がよく聞かれるものでもあります(笑)

 

そして、最後に少しの余談ですが、これは今回のテーマとも「源」が繋がっておりますのでコメントさせて頂きます。
現在、関西電力の原発(誘致)を巡る金品等の問題が明らかになりました。
そこで、

 

死んだ人の事を悪く言うものではない・・・

 

との言葉もありますが、これはその通りでもありますし、そのような「スタンスや姿勢」は大切なものでもあります。
ただ、ただ、ただ、

 

自らのした(行った)事に対しては・・・

死に逃げは出来ない・・・

 

と言うのも、魂の視点における真実でもあります。
故に、このような視点というのは「悪口」などのような性質とは一切違うものでもあります。
そして、これが、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております、

 

自らのした事は、自らに反ってくる!

 

というものであり、

 

この反ってくるとは・・・

この世でも・・・あの世でも・・・

全く同じものであります(笑)

2019年10月12日 03:10

「枠」を取り払うと・・・変化を起こしやすくなる!?

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、早速ながら今回は「「枠」を取り払うと・・・変化を起こしやすくなる!?」というテーマをお届け致しますが、特に今回は私の見解や視点などは幾分かを省き、出来るだけ皆さんにとっての「考える素材」を提供する事を趣旨としたいと思います(笑)
そこで、ある一つの番組の一部と、ある一つの出来事(ニュース)の紹介を交えて進めて参ります!

 

では、まず一つ目の素材は、ウワサの保護者会「校長先生 中学校を変える!」という番組から一部をご紹介して参りますが、この番組内でのコメント等につきましては、読みやすく(理解しやすく)する為に、私なりの補足や簡略化している箇所もございますので、その点は予めご了承頂ければ幸いです!

 

そこで、この番組では「公立」である東京の世田谷区立桜丘中学校が取り上げられておりました。
現在では、この中学校に転入を考える見学者の方が増え続けており、1年生190人の内、半数近くが学区外から通学しているそうです。
そして、この学校では、

 

《 インクルーシブ教育 》:障がい、国籍、性差などに関わらず、様々な子どもが共に学べる環境を整えた教育

 

を方針として運営されているとの事です。
そして、このような方針の実践の現れとして、

 

生徒の自主性を重んじる観点から・・・

校則を無くした(徐々に減らしていった)!

 

という取り組みを行ったそうです。
例えば、

 

・ 茶髪、ピアス、メイク、アクセサリー、サングラスなどもOK!
・ (休憩時間中の)スマフォでのゲームもOK!
・ チャイムを無くした!

 

などなど、色々行っているそうです。

私の中学生時代では、とてもとても考えられない、まるで異世界の出来事のようにも思えますし、このTOPICSをお読みになって頂いている皆さん自身の中学生時代を思い返してみても、校則が無いなんて信じられない!という感想も多いかもしれませんね(笑)

ちなみに、私の通っていた公立の中学校では、男子は原則として皆、坊主の時代でした!
私は野球部でしたので、この点はあまり困りませんでしたが(笑)

 

では、話を本筋に戻しますね!
そこで、この校則を取り払った事に関しての、校長先生とインタビュアーのやり取りの一部をご紹介致します。

 

校長先生:
『 最初に来た(この学校に赴任して来た)時は、当然(ながら)普通の学校で、不良も(いて)、言う事を聞かない生徒もいて、毎日のようにケンカはするし、、、。

  (生徒という子ども達はそのような)パワーを持っているので、抑えつけて(校則を守らせる)はムリだろうなぁ、、、という事で考え出したのが初め(のキッカケ)です。 』

 

インタビュアー:
『 生徒達に任せて不安は無いのですか?

  自由という事は(生徒である子ども達が)どんなデザイン(ある種のルール作り)をしてくるのか分からないという恐さと背中合わせだと思うのですが、、、。 』

 

校長先生:
『 (大人が)待つ事が出来るかどうか。

  何年かかるか分からないけれど、待てれば不安はない。

  待てないから(大人が)不安になる。 』

 

とのやり取りです。
そして、校則を取り払った現状についてのやり取りに進みます。

 

インタビュアー:
『 「校則 = ルール」であるけれども、ルールがある事による安心感もあるので、ルール(という校則)が無いと、(生徒である子ども達は)考えなきゃ、、、となるものですか? 』

 

校長先生:
『 小学校では6年間、皆と同じにしなさいとの教育を受けてくる。

  うち(の中学校)は180度違うので、最初は1年生は大変です。

  どうしていいのか分からない、好きにしていいよって言われても、、、(何をしていいのか分からない)。 』

 

とのものです。
では、ここで、この番組内で紹介されていた、当事者である生徒さんの感想や意見を少しご紹介して参ります!

 

生徒Aさん:
『 時々、チョット自由を勘違いしている人(生徒)達がいて、なんか、そこは自分でちゃんとケジメをつけなきゃいけないと(私は思います)。 』

 

生徒Bさん:
『 むっちゃ(とても)ルール(校則)が厳しい所よりも、ここの方が、僕は厳しいと思う。

  もっと楽に言うと、難しい。 』

 

とのものでした(笑)
そして、この中学校では、校則を無くす以外にも、様々な取り組みをしている事が紹介されておりましたので、少し見て参ります!

 

この中学校では、廊下にたくさんの机とイスを置いて、授業中でも、誰でも使えるようにしているそうです。
これは、元々は学習のスピードが速く、一人で勉強したい人の為に用意したスペースだそうですが、様々な理由や事情で、教室に入りづらい人や、自分の興味や関心のあるものに取り組む際にも活用されているそうです。
そして、このスペースを活用している、前の学校で不登校だった生徒さんが次のようにコメントしておりました。

 

生徒Cさん:
『 前の学校よりも、もっと気楽に(学校に)来れるので、、、

  (前の学校では)結構、一日過ごすと、すごい疲れちゃったりした、、、

  (今は)自分のペースで(色々な事が)出来るので、そこが、いいなぁって、、、 』

 

とのご感想です。
また、別の取り組みとしては、帰国子女の方などの場合では、英語は既に出来るので、英語の授業中は図書館(や先ほどのスペース)などで、自分の関心のある事の自習(や塾の宿題)をしているそうです。
そして、このような自分に関心のある事として、貧しい国の支援をする活動を行っている帰国子女の生徒さんは、次のように述べておりました。

 

生徒Dさん:
『 日本の学校は、目立っている人はダメという雰囲気を感じるけど、(この中学校では、そのようなものが少ないので)活動がしやすい。 』

 

と。
では、ここ迄においても、賛否両論を含め、様々なご意見やご感想が出て来る事と思われます(笑)

自分が中学生の時に(校則が無いという)体験をしたかった!でも、校則が無かったら、果たしてどうなっていたのだろう?などのご感想もあるかもしれませんし、現に今、子どもさんを学校に通わせている親御さんなどにおいては、校則やルールが無いと不安や心配で堪らない!自分の子どもがルールや規範というものを学べずに大人になったらどうしよう?や、中には、子どもを甘やかし過ぎだ!世の中や社会はもっと厳しいんだぞ!などのご意見もあるかもしれません(笑)

 

そして、ここで今一度、想い出して下さいね!
今回は「考える素材」の提供である趣旨を(笑)
なので、ここ迄のご紹介の内容におきましても、「正解や答え」を求めるようなものでは決してありません(笑)
では、ここで、実際に現場を預かっている先生方の感想を少し紹介してみます!

 

別の学校から赴任して来たA先生:
『 大変かと言われたら、たぶん大変です。

  校庭で遊んでいる子たちがいて、私が放送で「雨が降っているから中に入りなさい」ってやったら、すごい怒られたというのがあったりしたんです(笑)。

  そんなの子ども達が考えればいいんだ。そんな考え古い!って(怒られた)。 』

 

この学校が教員として初赴任となったB先生:
『 これは出来たよね。ここはどう思う?っていうような、子どもが前向きになるような考え方をする声掛けは、やっぱり凄く考えますし、そういった所は、もう常々、頭でフル回転してます。 』

 

とのものでした。
そして、このような教員に対する校長先生からの言葉というのが、次のようなものでした。

 

校長先生:
『 自分は教員だとか、自分は大人だとか、自分は男性だとか、そういう考えを全部剥ぎ取って、素の人間で接しなさいと、、、

  そうすると深い人間関係が出来て、それが面白い。

  教員と生徒の関係だけじゃつまらない。

  人と人との関係になるから(面白い)。 』

 

とのコメントでした。
そして、最初にご紹介致しました、《 インクルーシブ教育 》の取り組みの実践としての、校長先生の考えとして、次のように述べておりました。

 

校長先生:
『 違っている方がいいと言う価値観。

  自分は何で出来ないんだって考える必要はない。

  私は私、これが私って言える(環境)。

  出来ない事を出来るようにするのではなく、出来る事、好きな事を伸ばしていく。 』

 

では、一つ目の素材の紹介はここで終了ですが、繰り返しになりますが、今回ご紹介した内容は「私の意見」という趣旨でもなく、肯定否定などのどちらかのスタンスに立つものでもありませんので(笑)

 

では、二つ目の素材の、ある出来事(ニュース)とは、つい先日のものです。
これも、とある市の、「公立」である市立小学校と市立中学校での出来事です。
もしかしたら、既にご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)

 

その出来事(ニュース)とは、これもご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、この小中校の授業で、スクールカウンセラーの方が、いわゆる「トロッコ問題」を取り上げた事について、このような内容の授業を行う事に対して、保護者から不安などの声が上がった、とのものです。
では、紹介されていた記事から、簡単に「トロッコ問題」をご紹介致します!

 

『 トロッコの向かう先の線路が左右に分岐しています。

  一方の線路には5人、もう一方の線路には1人が縛られて動けなくなっています。

 

  そして、その分岐点の所に、トロッコの行く先を決めるレバーを操る人が存在しています。

  このまま何もせずにトロッコが進めば、その先には5人が線路上に横たわっています。

 

  あなたがレバーを引けば、1人が横たわっているだけの道になります。

  トロッコにはブレーキは付いていません。

  あなたは、、、レバーを引きますか?、、、それとも、、、そのままにしますか? 』

 

とのものであり、この出来事(ニュース)を報じていた記事では、生徒に対し、何もせずに5人が死ぬ運命にするのか?あるいは、自分でレバーを引いて1人が死ぬ運命にするのか?との「選択肢」が問題用紙に書かれていたとの事でした。

 

これは、以前のTOPICSでも取り上げた事がある、言わば私の子ども時分にも流行った「究極の選択」という(遊び)と同じ(似たような)性質の問い掛けでもあります(笑)
なお、ここ最近のTOPICSにおいては「(あまり)二者択一に陥らないように」ともお伝えし続けておりますが、今回はそのような趣旨で素材として取り上げた訳ではありません(笑)

 

では、ここ迄で、皆さんにおかれましては、この二つの素材の内容におきまして、どこに「共通点」があるのか?という点を様々に考えて頂ければ、今回のTOPICSの目的は果たした事になります!
勿論、この「共通点」にも、絶対的に決まった正解や答えがある訳でもありませんし、それを求めている訳でも決してございません(笑)

 

そこで、あくまで「私の視点」(の内の一つ)を少しだけご紹介させて頂きます!
それは、

 

校則という「枠」で「行動」を囲みたがるのも・・・

選択肢という「枠」で「考え」を囲みたがるのも・・・

全ては・・・

大人の恐れ!

 

です。
そして、これは、

 

裏を返すと・・・

大人が子どもを信用していないから!

 

でもあります。
そして、ここには、

 

大人は子どもから学ぶ姿勢を失って(忘れて)しまっている!

 

からでもあります。
なお、「公的」な機関や場などで活躍されているカウンセラーなどの方々におかれましては、どうしても「公的」という「枠」の中で解決を図らねばならず、その「枠」を逸脱してはいけないとの思いから、どうしても、更にその「枠」を狭めざるを得なくなっているのが、おそらく、このようなカウンセラーの方々などは心苦しく感じていらっしゃる方も多いかとも感じます。
また、このようなケースは、もしかしたら、心療内科や精神科などの医師の方々においても、同様に感じている方は(少数ながらも)いらっしゃるかもしれません。

ちなみに、私がこのTOPICSでお伝えしている「魂の視点」などは、「公的」な機関や場などでは、即刻、論外!!!言語道断!!!退場!!!となってしまうのが、この世の風潮でもあります(笑)

そして、毎年毎年、多数の法律や規則が作られたり改訂されたりなどしておりますが、

 

このように多くの規則やルールが無ければ・・・

私達という大人は・・・

自らを律する事が出来ないのか・・・???

 

というのが、現状でもあります。
勿論?中には必要最低限度の法律などもある事とも思いますし、一足飛びに全てを撤廃出来るものでは無い事は、未熟さが多々ある世の中や社会においては、ある意味、「必要悪」という考えも成り立つのかもしれません。

しかし、このような沢山の規則やルールがありながらも、次々と明るみに出て来る、(大)企業や政治家などの不正行為などが後を絶たない状況も嘆かわしい事実です。

そして、このような大人が創り出している世の中や社会の様子や構図などを、

 

子ども達は・・・ちゃんと見ている!

 

のも真実です。
そして、先程からの、

 

恐れ・信用・学ぶ姿勢・自らを律するに「共通」してくるのが・・・

「真の動機」はどこにあるのか・・・???

 

を探し出し「考える」事が必要になってきます。
そして、

 

本当の「真の動機」においては・・・

必ず・・・

「なぜなら~」という理由が説明出来るもの!

 

という性質が備わっています。
ただ、「真の動機」においても、それこそ、そこに存するのは「良し悪し」であったり「清濁」などが含まれており、「真の動機」が必ずしも「汚れの無い清浄なもの」という意味では決してありません(笑)
どちらかと言えば、現在では「汚れの無い清浄なもの」としての「真の動機」は圧倒的に少ない事でしょう、、、

そして、もの凄く過激で極端な?表現を活用しますと、

 

地獄(あるいは、閻魔(えんま)大王)は確かに存在はしていないが・・・

地獄(閻魔大王)が意味(表現)している所を・・・

私達という大人は今一度・・・

胸に手を当てて「考えて」みる必要がある・・・

 

と、個人的にはもの凄く強く感じております!

今回の二つの素材におきましても、様々な校則がある中で、仮にその校則が必要なのであれば、その「理由」を大人がちゃんと説明出来ているのでしょうか?また、トロッコ問題にしても、仮に選択という「決定」を促すものであるとしたら、なぜ「その選択」をしたのかを大人が「理由」や「是非」を付して説明出来るものなのでしょうか?もしかしたら、大人であってもトロッコ問題においては「決定」は出来ないのではないのでしょうか?

 

そのような「考える」という姿勢や、発想や想像力を刺激するという「理由」からも、私個人的には、小学校であろうと、幼稚園や保育園であろうと、トロッコ問題などのような問い掛けを「考える」事は、とても大切で役立つものと感じております!

なぜなら、、、「肉体の年齢」と「魂の年齢」は違う、、、からでもあります(笑)

そして、今回の出来事(ニュース)に様々な声が上がったのは、おそらく、スクールカウンセラーの方に悪気などがあった訳ではなく、どちらかを選ぶという選択肢に焦点を当ててしまった事が、少し配慮を欠いていたのかも?という面があるようにも個人的には感じております(笑)

 

今回の素材のように、(無意識ながらも)自分自身に設けている「枠」というのは、確かに自分では気づき辛いものでもあります。
それは、私自身も同様です(笑)
なお、この「枠」というのは、「普通」「常識」「思い込み」あるいは「(自分の)軸」のように捉えて頂いても大差はありません。

このように、「自分の内面」にあるものに関しては、なかなか気づき辛いが故に、「自分の外側」とでも呼べる世の中や社会で起こっている様々な出来事について、出来る範囲内で構いませんので、自分の事であったらどうするだろう?などのように、宜しければ、少しだけでも「関心」を持ってみるようにしてみて下さい!

 

ちなみに、警察官による発砲により重傷者まで出てしまっている、香港におけるデモにおいても、自身の将来を見据えて、多くの中学生の方々が参加されているとの事でもあります。
別に私はデモを勧奨している訳でもありませんし、暴徒化(取り締まる側も含め)するのは全く本末転倒の別次元の、行ってはいけない行動であるのは間違いありませんが、ただ、「今の日本の大人」は「考える」という事を、残念ながら放棄してしまっているような感を、、、私個人としては、とても強く感じております、、、

 

それと、「真の動機」に関するほんの少しの余談ですが、消費増税も実施になり、その「理由」として社会保障費の増大なども挙げられておりますが、その全てが「嘘」とまでは申しませんが、やはり、増税の「真の動機(目的)」は別にある点と、(各企業の独自の取り組みなどは別ですが)私個人的には不公平感満載!?と感じている、キャッシュレス決済による還元制度を行う「真の動機(目的)」も別にある点などは、皆さんも、よくよく「考えて」みて下さい、、、

ちなみに、S.Light.Mでは今回の増税に際し、(今の所は)料金変更をせずに、据え置きにしておりますので!(笑)

2019年10月5日 03:10

魂の視点に「普通(の人)」って有り?無し?

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

徐々に秋めいて来ておりますが、寒暖の差も激しくなっていく頃合いでもありますので、どうぞ体調の変化にはご留意下さい。
ところで、前回のTOPICS「ヒプノ(催眠)と魂の視点から考える「HSC(HSP)」」においては、

 

『 いわゆる「普通」と言われる人々では・・・ 』

 

などのように、「普通」という言葉を、敢えてカギ括弧(「  」)付きでコメントして参りました。
また、枕詞(まくらことば)のように、わざわざ「いわゆる」という表現を付しましたのも、そこには、ある種の皮肉?も込めてお伝えして参りました(笑)

また、前回のTOPICSでも参考までにご紹介致しました、2018年6月16日のTOPICS「発達障害から学ぶ様々な視点」においても、

 

『 「普通(あるいは、人並み)」って・・・何なのだろう??? 』

 

ともコメントしております事から、今回は「魂の視点に「普通(の人)」って有り?無し?」というテーマをお届け致します!
では、最初に皆さんに問い掛けを致します。
それは、

 

皆さんは・・・

「普通」って何ぞや?って事を・・・

「普通」に考え、「普通」に理解しているでしょうか・・・???

 

とのものです!
禅問答みたいですね(笑)
では、まず、結論から申しますと、

 

魂の視点においては・・・

「普通」って・・・

いわゆる「普通の人」って・・・

存在していない!!!

 

というものです(笑)
また、これは、誰もが文字通りに理解出来る事でもありますが、

 

皆・・・誰しもが・・・それぞれ違う

 

という事も意味しておりますが、実は、この点はさほど重要ではありません(笑)
なぜなら、このような事は、誰かに言われたり、教えて貰うような事でもなく、

 

当たり前(至極当然)の事である・・・

 

からです(笑)
ちなみに、以前に流行したSMAPの「世界に一つだけの花」の歌詞の『 もともと特別なOnly one 』や、映画アナと雪の女王の主題歌であった「レット・イット・ゴー」の歌詞の『 ありのままの~ 』などを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでの意味合いは若干違ってきます(笑)

 

ところで、皆さんも、親御さんやお子さんなどのご家族、知人・友人、あるいは、職場の人など、あなた自身を取り巻いている人間関係というものを、それぞれに築かれている(創り上げている)事と思います。
そのような状況の中で、

 

あなたが・・・あなた自身を・・・「普通(の人)」・・・と捉えるという事は・・・

「あなた以外の人」は全て・・・

「普通」ではなくなる(「普通」ではいられない)・・・

 

という帰結になってしまいます。
勿論、ここには「あなたの愛する人」も含まれてきます(笑)
なお、この帰結とは「屁理屈」でも「天の邪鬼(あまのじゃく)」でもありませんので(笑)
そして、

 

もし、あなたが・・・

理屈がどうであれ・・・

色々と考えた末でも・・・

「私」は、やはり「普通(の人)」だ!!!

 

と、自分自身の事を捉えたとすると、

 

あなたは・・・

この世もあの世も宇宙全体も含め・・・

唯一無二の・・・

「普通の人」になる・・・

 

という事は可能なのかもしれません(笑)
またまた禅問答のようで、足がしびれて来た頃合いかもしれませんね(笑)
そして、このような禅問答に、飛躍した?誇張した?魂の視点を当てはめてみます!
それは、

 

もし、仮に・・・

「普通の人」が存在しているとすれば・・・

 

それは・・・

地球上の人間が言う所の・・・

いわゆる「神」となる・・・

 

という事になります(笑)
ただ、これも正確ではありません。
なぜなら、

 

「神」という存在がいるとすると・・・

「神」の「本質」とは・・・

「普通」ではなく・・・

「普遍」である・・・

 

からです(笑)
では、ここで、少し国語の解説を致します!
広辞苑(第六版:岩波書店)によると、

 

「普遍」:あまねくいきわたること。すべてのものに共通に存すること。

「普通」:ひろく一般に通ずること。

 

と掲載されておりました。
そして、他の辞書などで調べてみると、

 

「普遍」の対義語は・・・特殊、固有 など

「普通」の対義語は・・・特殊、特別、特異、異常 など

 

となっている模様です。
では、ここ迄お読みになって頂いた皆さんを裏切る?あるいは心苦しく?感じながらも、先ほどとは少し矛盾した結論を申し上げます!
それは、

 

魂の視点においては・・・

「普通(の人)」って存在はしていないが・・・

「普通(の人)」って・・・「有り」でも良く・・・「無し」でも良い・・・

 

というものです!
これも、このTOPICSで繰り返しお伝えしております通り、「二者択一」という問題ではないからです(笑)
そして、ここでの「なぜなら、、、」というのは、最後にお伝えして参ります!

 

では、ここからが今回のテーマの真の目的に入って行きます!
と言うのは、

 

現在の世の中や社会における「普通」とは・・・

「多数派」である事を「普通」と捉えている・・・

 

という傾向がとても高くなっています。
そして、ここまでなら、仮に100歩譲って「まだしも、、、」となる事もあり得るのかもしれませんが、

 

近頃の世界(各国)でも、日本においても・・・

(それこそ、過半数にも満たない)「多数派」が・・・

権力や差別などの鎧を駆使して・・・

自分達こそが「普通」である!

 

という論調や現象が、とてもとても頻繁に見受けられるようになっています。
そして、このような論調や現象が行き過ぎを見せてくると(既にその兆しも現れていますが)、

 

自分(達)だけが「普通」であり・・・「特別」であり・・・

「普通でない人」は・・・

自分(達)より・・・劣っており・・・異常であり・・・(生きる、生き残る価値が無い)・・・など

 

という、様々な悲劇を引き起こした「優生保護思想」などと、いとも簡単に繋がってしまう危険性がとても高くなります。
そして、私達の日常の会話においても、

 

「普通」に考えれば・・・分かるでしょ

 

などの使い方もよくしますよね(笑)
そして、これは、

 

「常識的」に考えれば・・・分かるでしょ

 

の表現に、これもいとも簡単に置き換える事が出来ます(笑)
そして、このTOPICSを継続してお読みになって頂いている方は、もうお分かりかと思いますが、

 

世の中や社会で使われている「常識」の中の「一部」には・・・

(他の)人をコントロールする為に、生み出されたものも(多々)ある・・・

 

という点です。
そして、そもそも「常識」というのは、国や文化や時代や年齢など、様々な要素において、様々に存在し、様々に違っているのが自然なものです。
これが「郷に入れば郷に従え」とも(ポジティブな面で)言われているものです(笑)

そして、これも幾度もお伝えしておりますように、顕著になって現れてきているのが、

 

(行き過ぎた)〇〇ファースト

 

です。
スポーツなどの分野では、アスリート ファーストなどとも言われたりしますが、オリンピックにしても、開催時期や競技開始時刻などにおいて、TVの放映権などの関係で調整?優先?されているのは、かなり前から指摘されているものでもありますし、「商業主義・商業オリンピック」などと呼ばれて(揶揄されて?)久しくもなっています。
そして、

 

(行き過ぎた)〇〇ファーストとは・・・

ネズミ講と同じように・・・

生き残れるのは・・・

たった「一人」だけ・・・

 

という帰結に結び付きます。
そして、これも繰り返しですが、

 

この世に・・・

たった「一人」しか存在していなければ・・・

その人は「自分(自身)」を認識出来ない・・・

 

という本末転倒な現象にまで行き着いてしまいます。

そして、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、奇しくも?国連で先日まで行われていた気候変動サミットにおいて、グレタ・トゥンベリさん(16歳)の気候変動への訴えの演説がニュースでも取り上げられておりました。
その各国の首脳やリーダー(大人たる私達も含め)へ向けての彼女の訴えが、

 

『 絶滅の始まりという危機に瀕しているのに・・・

  金の話や永遠の経済成長という、おとぎ話ばかり・・・

  How dare you!(よくもそんなこと言えるわね!) 』

 

とのものでした。
賛否も含め、様々なご意見やご感想などもある事と思いますし、また、ここでも、「右(派)」だ「左(派)」だなどの、相変わらず?の「二者択一」からの個人攻撃や非難もなされている模様であるのは、とても悲しくて嘆かわしい事です、、、
そして、勿論、お金や物(質)も必要であり大切なものでもありますし、今さら電気も使えない原始時代に戻れない事は火を見るよりも明らかです(笑)
ただ、彼女の演説内容には、

 

魂の視点からの・・・注意喚起(警告)・・・

 

というものも含まれているとも、個人的には感じております、、、
そして、ここで最大のキーポイントとなるのが、

 

調和とバランス(をどう保つのか?)

 

という視点になります。
そして、

 

バランスにおいては・・・

一見すると「5:5」で釣り合いが保たれているようにも感じるが・・・

ほんの少しでも、どちらかに傾き始めると・・・

(瞬く間に)不均衡が生じてくる・・・

 

のはご理解頂けるかと思います。
そして、

 

調和においては・・・

(例えば)「7:3」でも「9:1」でも調和を保つ事は可能であり・・・

これには無数とも言える組み合わせが存在しており・・・

 

そもそも・・・

調和には「重なっている」という本質も備わっている・・・

 

ものにもなります。
そして、

 

このような調和とバランス(を保つ)という中において・・・

「普通」という要素は含まれているのか・・・?

 

そもそも・・・

「普通」に調和とバランスを保つ事は・・・

果たして「普通」に可能な事なのでしょうか・・・?(笑)

 

宜しければ、今回のTOPICSは、「当たり前」と捉え、「当たり前」と感じている、「普通(の人)」って何ぞや?を、改めて「考える」素材にでもしてみて下さい!

2019年9月28日 03:09

ヒプノ(催眠)と魂の視点から考える「HSC(HSP)」

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、今回は「ヒプノ(催眠)と魂の視点から考える「HSC(HSP)」」というテーマをお届け致しますが、皆さんは、この「HSC(HSP)」という言葉をお聞きになった事はありますでしょうか?
この言葉は、ここ数年で少しずつ聞かれるようになって来ているものでもありますが、ご存じ無い方も多くいらっしゃるかと思いますので、まずは最初に、「HSC(HSP)」の簡単なご説明から進めて参ります!

この言葉は、米国の心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した概念であり、

 

「HSC」とは、「ハイリー センシティブ チャイルド(Highly Sensitive Child)」と言われ

「ひといちばい敏感な子ども」と日本語で訳されている

 

ものです。
ちなみに「HSP」とは、「HSC」の「C(Child)」を「P(Person)」に置き換えたものであり、「ひといちばい敏感な大人(人)」と捉えて頂ければ理解しやすくなるかと思います。
そして、この分野の研究においては、

 

この「HSC(HSP)」には「5人に1人」が該当する(と言われている)

 

との報告がされているそうです。
また、これは医学的な概念では無い為に、(現在の所では)「治療の対象」とはなっていないとの事でもあります。
そして、ここでの「敏感」については、程度の差も含まれてきますが、様々な表現がされていますので、イメージとして捉えやすくなるように、幾つかの実際によく見られる(現れる)ケースを列挙してみます。

 

〇 (赤ちゃんの時に)あまり寝られずに、よく泣く
〇 音や言葉(の刺激)に敏感で傷付きやすい(傾向が高い)
〇 強いこだわりを持っている
〇 思い通りにならない時に癇癪(かんしゃく)を起こしがちになる
〇 感受性が豊か

 

などがよく言われているものです。
そして、このようなケースなどから「我が儘であるなどの誤解を受けやすい」という事も多々起こるそうです。

また、このようなケースでは「発達障害」とも「重なる(似ている)」面もある事から、医師の中でも「HSC(HSP)」を知らない場合では「発達障害」と診断されているケースもあるとの報告もされております。

そして、「HSC(HSP)」と「発達障害」の一般的な線引きとしては、

 

「発達障害」では、(他の)人の気持ちを考えるのが苦手(な傾向が高い)

と言われているのに対し、逆に、

「HSC(HSP)」では、(他の)人の気持ちを(ある意味、必要以上に)推し量る(傾向が高い)

 

という基準が用いられているそうです。
そして、この基準においては、語弊があるかもしれませんが、世の中や社会においては、「空気を読む・読めない」などと言われている事象と似通っているようにも感じます。

ちなみに、「発達障害」に関しては、2018年6月16日のTOPICS「発達障害から学ぶ様々な視点」でも取り上げておりますので、関心のある方は、宜しければそちらも参考にしてみて下さい。

 

そして、「HSC(HSP)」の特徴(傾向)と考えられているのが、以下の「DOES」として挙げられている、4つの指標となっているそうです。

 

【 D 】:深く考える(Depth of processing)

【 O 】:過剰に刺激を受けやすい(being easily of Overstimulated)

【 E 】:感情の反応が強く、共感力が高い(being both Emotionally reactive generally and having high Empathy in particular)

【 S 】:些細な刺激を察知する(being aware of Subtle Stimuli)

 

では、ここ迄において、「HSC(HSP)」の大体のイメージは捉えられてきている事かと思います。

「HSC(HSP)」においては共感力が高い、人の気持ちを推し量れるなど、逆に、いわゆる「普通」の人にもっと備わっていて欲しい?あるいは、ちゃんと気づいて欲しい?とも思えるような、「素晴らしい個性」も含まれておりますし、芸術性が高いなどでは「発達障害」における「個性」とも「重なって」いる面も見受けられます。

 

ところで、このような「HSC(HSP)」や「発達障害」に関しても、その情報や対応法などは、ネットやSNSなどにおいては沢山の紹介がされておりますし、役立つものもあるかと思われます。
そのような中で、ご自身(あるいはご家族など)において活用出来そうだと思われるものは、取り入れて試してみるのも宜しいかと感じます。

 

そのように、様々な捉え方や対応法がある中で、今回のTOPICSにおいては、あくまで「私自身の個性を表現」するという観点からも、ここからは「HSC(HSP)」における「ヒプノ(催眠)と魂の視点」を当てはめて考えてみます!
なので、正解や正しい方法という趣旨では無いという点をご了承頂ければと思います。

 

そして、このように様々な情報や対応法が紹介されている中で、(あまりにも多すぎて)何を取り入れたら良いのか分からなくなってしまう、あるいは、多くの事を取り入れてみたけれどあまり効果が感じられない、などの感想をお持ちの方もいらっしゃるかと思われます。
そこで、ここからご紹介するのは「ヒプノ(催眠)と魂の視点」からのものではありますが、

 

様々な情報や対応法がある中において・・・

それらの「土台・基盤」となり得る・・・

(自分の中の)「心持ち(焦点の向け方)」に活用してみる・・・

 

という面を少し考えてみます。
では、まず、ここ迄においても出てきましたように、「HSC(HSP)」においては、

 

「敏感」

 

というのがキーワードになり得る事と感じます。
ところで、ヒプノセラピー(催眠療法)においては、「年齢退行療法(インナーチャイルド)」という手法も有名ですが、これは、幼い時分に遡って出来事や物事から「気づき」を得る事により、現在の自分を癒したり、症状等の改善に活用したり、新たな視点を身に付けたりといった幅広い効果が認められております。

そして、この「年齢退行療法(インナーチャイルド)」を行うと、

 

「胎内(記憶)」にまで遡る・・・

 

という方も結構いらっしゃいます(笑)
そして、そのように「胎内(記憶)」にまで遡るケースにおいて、意外にも?多くの方が発言するのが、

 

(この世に)産まれる直前(出産間近の産道の辺り)になって・・・

尻込みをした・・・躊躇いを覚えた・・・怖じ気づいた感覚があった(恐怖を感じた)・・・

 

というものです。
ちなみに、私自身もヒプノセラピストの認定を受ける為の講義と実技において、練習台としてこの「年齢退行療法(インナーチャイルド)」を幾度も受けましたが、その際の一つのテーマとして「焦り」を試してみた事があります。

と言いますのも、周りからどのように見られているかは分かりませんが、私は結構「せっかち」な方に当たります(笑)
何か、物事や出来事の向かう先やゴールが見えてくると、妙に?無性に?「焦りを覚える」という感覚があったからです(笑)
そこで、試しに行ってみた所、

 

産まれる直前になって・・・

少し、足止めを喰らった・・・???

 

ような「胎内記憶」が出てきて、(出産時に)自分では早く産まれて楽になりたい!!!と感じているのですが、なかなか(胎内の)外に出る事が出来ずに、ヒプノの最中に息苦しさを感じました(笑)
既に母は他界しておりますので事の真相は分かりませんが、この時からは、先に向かう際にもそれほど焦りを覚える事もなく、焦りを感じている時でも、その焦りに「気づく事が出来る」ようになっていきました(笑)

 

少し話が逸れたので元に戻しますね!
そこで、

 

産まれる前の私達は・・・

意識(魂)そのものであり・・・

その意識(魂)の振動数(波動)は、かなり高い・・・

 

という本質が備わっております。
しかし、

 

産まれ着いた・・・

この世の振動数(波動)は、かなり低い・・・

 

ものであります。
そして、

 

この産まれる「前と後」の振動数(波動)の違いにより・・・

『尻込みをした・・・躊躇いを覚えた・・・怖じ気づいた感覚があった(恐怖を感じた)・・・』

 

という「感受性」に繋がっている可能性は(かなり)高いと感じています。
そして、多くの場合では、この振動数(波動)の違いに自然に慣れたり、また、その後の成長と共に「潜在意識」への周りの人々からの働きかけ(一部の常識などを教えられる)が為される事で、ある意味、この世や社会において「生きやすくする」為に振動数(波動)を低くする方向性に向かっていく、という仕組みが活用されたりもします。
勿論、周りの人々からの働きかけというのは、善意からのものでもあり、無意識の上での行動でもありますが、、、(笑)

 

しかし、中には、比較的、産まれたままの振動数(波動)を保ちつつ成長を遂げていく人もいらっしゃいますので、このような場合では「敏感」になるというのも、自然な流れでもある事です。

では、ここで、赤ちゃんや小学生低学年頃までの対応法の一つをお伝え致します。
それは、

 

赤ちゃんの場合では、「肉声」での子守歌などを聴かせてあげる

小学生低学年頃の場合では、「歌詞の入っていない」メロディーを聴かせてあげる

 

というものです。
なぜなら、

 

発せられる「言葉」や「音」には・・・

固有の振動数(波動)が伴っている・・・

 

からです。
皆さんも、好きな(歌)声や、心地よく感じる音などは実感としてある事と思います(笑)
川のせせらぎであったり、焚き火のパチパチする音などなど、、、
なお、好きな(歌)声というのは、高い声や低い声、あるいは、シブ~イ声などの、「単に感覚器官に届く」という性質とは若干違いますので(笑)

そして、何故「肉声」かと言いますと、これは、「胎教」などでも知られている通り、

 

産まれる前から既に・・・

親御さんなどの「声」の振動数(波動)に親しみを感じている・・・

 

からであり、

 

親しみを感じるというのは・・・

「安心感」に繋がっている・・・

 

からです。
そして、「歌詞の入っていない」メロディーというのは、「言葉の持つ意味の響き(という振動数(波動))」が関係してくるからです。
例えば、誰かから「ガミガミ」怒られた、あるいは、「チクリチクリ」と嫌みを言われた、などの経験は皆さんもあると思います(笑)
そのような観点からは、小学生低学年頃にまでなると、(多少の)言葉(の意味)も理解出来ているようになりますので、「絵本の読み聞かせ」なども効果を上げる対応法となっていきます。

そして、このTOPICSでも幾度も取り上げております、20世紀最大の催眠療法家であるエリクソンは、

 

クライアントが大人であれ子どもであれ・・・

クライアントの「潜在意識」に(直接)語り掛ける・・・

 

という事を行っておりました。
でも、ここで、「潜在意識に(直接)語り掛けるって、、、どうやって行えば良いの?」というご質問が真っ先に出てきますよね(笑)
では、この誰にでも出来る簡単な方法とは、

 

出来る範囲内で構わないので・・・

発する一言一言に・・・

心(という思い)を込める・・・

 

というものです!
なぜなら、

 

このように心掛けているだけで・・・

語り掛けるペースは自然と緩やかになり・・・

そこには無意識の上でのメロディーライン(話すテンポ)が自然と出来上がっていく・・・

 

からです。
これは、絵本の読み聞かせでも普段の会話でも同じ事です。
大体にして、怒っていたり、感情優位になっている時には、誰もが自分でも気づかぬ内に「早口でまくし立てる」という「行動」を取っているものですし、絵本の読み聞かせを「早口でまくし立てる」というやり方は誰もしないですよね(笑)
そして、

 

エリクソンの「潜在意識」に(直接)語り掛けるというのは・・・

「潜在意識」という「魂」に(直接)語り掛けている・・・

 

のと同じ事になります(笑)
そして、

 

この「込める」という姿勢が・・・

自然とあなたの振動数(波動)を高める事に繋がっており・・・

それにより「(相手が感じる)安心感」にも繋がっていく・・・

 

という仕組みでもあります。
そして、このような「姿勢」というのは、「祈り」にも「重なって」きます。
なお、ここでの「祈り」とは、神や仏に対してではなく、宗教的な要素や儀式でもなく、ましてや、片膝をついたり地面にひれ伏すようなものでは全くありません(笑)

 

以前のTOPICSでも少し触れた事がありますが、この「祈りの効果」というのは、海外の大学病院などではご病気の方々に向けて、何度も実証実験が試みられており、「祈りの仕組みの証明」は出来ていないが、確かに祈られた方々は治癒率が高まったり、早く回復していくというのが統計上でも明らかになっており、その幾度もの結果から「祈りには何かしらの効果がある」との結論付けもなされております。
ちなみに、ここでの実験の「祈り」は宗教などの宗派に関わらず(そのような宗教的関与を含めずに行われており)、医学的にも効果が認められているものでもあります。

 

そして、先ほど、『これ(「HSC(HSP)」)は医学的な概念では無い為に、(現在の所では)「治療の対象」とはなっていない』との説もご紹介致しましたが、

 

個性や性格は・・・

「治す」ものではなく・・・

(変えたければ)「変えて」いくもの(変えていけるもの)・・・

 

でもあります。
特に日本においては、世界各国と比較しても、精神に関する事柄においては「過剰薬物投与」が深刻な問題になっております。
勿論、私は医師ではありませんので、薬物投与の是非などにコメントは出来ませんし、する気持ちもありません。
また、症状を少しでも和らげていく為に薬物投与が必要な場合もあるでしょうし、それを否定も非難もしておりませんし、有効に活用するので良いとも思います。

 

ただ、これも先ほどご紹介致しました、『医師の中でも「HSC(HSP)」を知らない場合では「発達障害」と診断されているケースもあるとの報告もされております』のように、疑問などはちゃんと医師の方に訊ねてみて下さい。
その際に、医師の方の説明が「早口でまくし立てる」ような感じでなければ、信頼を置ける医師の方であるかもしれません(笑)

ここでも話が逸れてしまい申し訳ございませんが、では、この「祈り」をどのように活用するのかと言いますと、

 

〇〇さん(お子さんや知り合いの方など)にとって・・・

「最善の」学び(あるいは状況など)として進みますように・・・

 

などで大丈夫です。
ここでは、例えば「落ち着いて欲しい」「変わって欲しい」「治って欲しい」などの内容になってしまいますと、「祈る側のエゴ」が含まれてきますし、結果的には「祈られる側の人をコントロールする」事にも繋がりかねませんので、「最善の〇〇として」という点は意識に入れて置いて下さい!

なお、この祈りには「回数」も「やり方」もありませんし、何時でも何処でも、ほんの数秒で構いませんし、「込める」事が行われていれば充分ですので、「どういう方法が良いの?」などのように、「頭で考え過ぎない」ようにするのがコツでもありポイントです(笑)

 

では、ここ迄はどちらかと言うと「C(Child)」という子どもさんの方々に向けてではありましたが、「P(Person)」の方々においても同様に活用出来るものでもあります。
そして、「P(Person)」という大人の方々に向けては(なお、「一緒に考える事が出来る」という意味で、ここでの大人には小学生高学年以降の方も含めます)、

 

卑屈にならない(卑屈になる必要性は全くない)!

 

という点を、まずは、しっかりと心に刻み込んでみて下さい。
そして、その上で、

 

コミュニケ-ションと創意工夫を活用する

 

という面に意識を向けてみて下さい。
これも「発達障害」においても、例えば、周囲の音が入り過ぎてしまう事により、大学などの講義の場では、ノイズキャンセリングのイヤホンを活用したり、また、光や情報などの刺激が目から大量に入って来るが為に、誰かとお話したり会議の場などでサングラスを活用するのと同じ事です。

そして、これは私からのお願いとでも言えるのかもしれませんが、

 

どうぞ、「普通」と言われている人々に・・・

ご自身の感じている事を伝えて上げて下さい・・・

 

なぜなら、

 

「普通」と言われている人々は・・・

教えて貰わないと・・・

(なかなか)「気づけない」・・・

 

からです。
伝えても理解出来ない、あるいは、理解しようとしない人もいらっしゃる事も事実ですが、どうぞ、私を含め、是非教えて下さい!
必ず、理解し、そして、必要な際には手助けしてくれる人はおりますし、何より、(失礼な物言いかもしれませんが)お手伝いをさせて貰う事で、私を含め色々と学ばせて貰ってもいるからです!

 

では、最後に今回のテーマに魂の視点を当てはめてみます!
それは、

 

子どもは親を選んで産まれてくる・・・

そこには・・・

この親なら「安心して」自分の学びが出来る!

 

という魂の視点からの「信頼」が存在し、それと同時に、

 

子どもが選んだ学びを・・・

親自身の魂の視点でも「同意」している・・・

 

という事があります。
この視点により、

 

親としては・・・

どうして我が子が・・・

どうして私(達)の家だけが・・・

 

とのスパイラルに陥るのを防いでくれる事になります。
そして、子どもは大人という「人(間)」に成長していきますが、そして、先ほどの「卑屈にならない」事の繋がりとしても、

 

いわゆる「普通」と言われる人々では・・・

世の中や社会の振動数(波動)の乱れを感じ取る事が出来ず・・・

その乱れの原因や理由から「目を逸らして(無関心で)」いるが故に・・・

「鈍感」になり過ぎている・・・

 

のが現状における事実です。
それに対し、「敏感」であるという事は、陰にも陽にも「気づける」ように光を当ててくれているという役割をお持ちの方々でもあります。

このような「学びや役割」という表現をすると、誤解を生むのも承知の上ですし、(辛く苦しい思いをされている)障がいやご気をそのように捉える事に非難が出るお気持ちも分かりますし、ましてや、運命論などと言うものでもありません。
ただ、繰り返しになりますが、

 

変えていける(可能性のある)もの

 

でもあるからです。
勿論、産まれつきの先天性の場合や、後発的な障がいなどの場合でも、中には、「充分に満足出来る」迄には変えていく事が難しいケースが実際に存在するのも承知の上です。
ただ、

 

「生き辛い」と感じるものは・・・

世の中や社会の一人一人が・・・

思いやりや・・・想像力や・・・考えるという事で・・・

必ず「変化を遂げる(状況や環境を変えていける)」事が可能なもの・・・

 

でもあるからです。
そして、このような世の中や社会に対する「特効薬」というものはありません。
やはり、

 

池に波紋が広がり・・・

その波紋が相互に干渉し合う事により・・・

波紋はドンドン広がっていく・・・

 

のと同じで、一人一人が「考える」事が、「急がば回れ」のように「一番の近道」になっています。
そして、今回の「HSC(HSP)」や「発達障害」であっても、あるいは、その他の何かしらの障がいやご病気と呼べるようなものにしても、

 

そのような方々が「生きやすい!」と感じられる世の中や社会であれば・・・

いわゆる「普通」と言われる人々においても・・・

同じく「生きやすい!」と感じる!

 

のは、「子ども」でも「大人」でも、同じ「人(間)」として簡単に理解可能だと思うのですが、、、
そして、「生きやすい!」と感じる「下ごしらえ(土台・基盤)」には、「安心感」というキーワードも深く関与しておりますので!

ちなみに、お気づきになられましたでしょうか?、、、『その波紋が相互に干渉し合う事により・・・波紋はドンドン広がっていく・・・』というのは、、、「一人一人の振動数(波動)が高くなっていく」、、、という「潜在意識」に届きやすくなる、ヒプノセラピーにおける簡単な「メタファー(比喩)」という手法が活用されている事に(笑)

と、解説している、『お気づきになられましたでしょうか?』という「問い掛け」を最初に持ってくるのも、「意識の焦点を絞る」為のヒプノの手法でもあります(笑)

2019年9月21日 05:09

私自身のブラック企業!?体験談(笑)

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、前回、前々回のTOPICSでは、青森(五所川原)でS.Light.Mを開設する以前である、東京在住時における6~7年程前のカウンセリング、ヒプノセラピー(催眠療法)、レイキ ヒーリング(遠隔ヒーリング)からの「実例」をご紹介して参りました。
そして、何故、このような「実例」も紹介しているのかと言いますと、

 

このTOPICSにおいて、お伝えしている内容は・・・

理想論や空想論でもなく(時にはそのようなテーマもありますが(笑))・・・

日常生活に活かす(役立たせる)為の視点!!!

 

を重視しており、「魂の視点」(やスピリチュアルな観点)も多々ご紹介しておりますが、それも現実逃避の手段とするものではなく、やはり少しでも「日常や人生」に結び付けて活用して頂ければとの「思い」から様々なテーマを設定しております。

 

そこで、今回は「私自身のブラック企業!?体験談(笑)」をお届け致しますが、私が行っているカウンセリングなどにおいても、やはり「人間関係」にまつわるご相談がとても多いです。
そして、「人間関係」ですので、これは会社や職場に限られず、夫婦や親子などの家族関係など、幅広く当てはまるものでもあります。
また、体調不良や体の症状などのご相談においても、「源」を探していくと「人間関係」に行き着く事も(往々にして)あります。

 

ところで、近頃では権利(人権)意識の高まりなどから、セクハラやパワハラやイジメなどに対しては、それなりの対策も取られつつあるようになって来ているように見受けられる面もあり、これはこれで素晴らしい事ではあるのですが、ただ、

 

物事や出来事には・・・

揺り戻し(反動)という事象も(時には)発生する事からも・・・

 

最近では、以前にも増して輪を掛けて・・・

開き直り???とでも呼べるような・・・

逆行に向かっている事象も(多々)見受けられる・・・

 

ようになって来ている側面も、残念ながら、よく見聞きします。
いわゆる、加害者側の逆ギレ状態です(苦笑)
そこで今回は、会社や職場に焦点を合わせつつも、「人間関係」の視点から私自身の体験談をお伝えして参りますが、私の体験談など興味も関心も無い!という方々もいらっしゃるかと思いますが、一つの「実例」としての「物語(メタファー)」として捉えて頂いても構いませんので(笑)

 

それと、「体験談」である事からも、お伝えする内容は多少の「削ぎ落とし(緩やかな表現にしている)」という側面はありますが、「話を盛っている」という側面は全くございません(笑)
そして、ここはとても大切な点ですので、予めご理解頂きたい所ですが、

 

今回の体験談(という内容)をお伝えするのは・・・

その当時の悪口でもなく、過去への愚痴でもなく・・・

「今まで」も役立って来ており・・・

「今ここから」も更に役立てていく為に!!!

 

という「思い」から発しているものですので、その点は誤解の無きよう、宜しくお願い申し上げます(笑)

では、進めて参りますが、今回初めてこのTOPICSをお読みになる方もいらっしゃるでしょうし、私がまだお目に掛かっていない方々も多くいらっしゃるかと思いますので、最初に少しだけ経緯としての「私の物語」を簡単に語らせて頂きますので、少々のお時間、お付き合い頂ければ幸甚です!

 

私は2浪の末、1994年に大学に入学しました。
そこでの大学生活は、それはそれは楽しくて楽しくて、サークル活動やら合コンやらと遊び呆けておりました(笑)

そして、その入学した年の8月に、父がクリニックを開業する事になっていました。
私は車の運転免許の取得も兼ねて、7月から8月末頃迄、夏休みで五所川原に戻っていましたが、その間、多くの方々が同じ方向を向き、共にクリニックの開業の為に、尽力頂いている姿や光景を数多く目にしていました。

東京に戻った私は、そろそろ遊ぶのも飽きてきたなぁ~と感じ、一応?将来も考え、何かを始めたい気持ちにも駆られるようになっていきました、、、

 

そして、夏休みの光景も想い出しながら、「一から何かを創り上げていく」という仕事をしてみたいと思い始め、そこで浮上してきたのが「行政書士」というものでした。
ただ、これはやりたいから出来るというものでもなく、国家試験に通る必要性がある事が分かりましたので、その年の秋口から少しづつ勉強し始めました。
ちなみに、この当時は大学での勉強は、ほとんどしておりませんが(笑)

 

そして翌年の大学2年生時の秋の試験日に向けて進めていきましたが、その試験が行われる数ヶ月前に、野球で腕を骨折して入院・手術となった事から、その年の行政書士試験は断念せざるを得なくなりました(苦笑)
また、その翌年の大学3年生時の試験では、見事な成績!で不合格となりました(笑)

そして、大学3年生の秋口では、周りの友達が就職活動に勤(いそ)しむ様子も目の当たりにしながら、色々と考えて?あるいは、賭けにも近いもので?就職活動は一切せずに、大学4年生の秋の行政書士試験と、大学院の入試へと同時に取り組む事を決意し、卒業目前の大学4年生の冬に、どうにかこうにか両方の試験に合格する事が出来ました(冷汗)

 

その後、大学院2年生(なお、大学院の修士課程は2年で修了になります)のGW明けから、行政書士事務所への就職活動に取りかかりましたが、その頃の東京でも求人募集は皆無であり、自筆で100通近くのお手紙を書いて、片っ端から送る手段を取りました。
その中で、求人はしていないがお話を聞くだけならとの有り難いお返事も幾つか頂き、色々と出向いてお話を聞かせて頂いておりましたが、ようやく卒業間近の冬の頃に、今回のテーマでもある行政書士事務所の所長が求人という意味で面接してくれる事となりました。

 

そして、晴れて?採用となったのですが、その時の面接を受けた部屋の壁に、ニュースウィークという雑誌が掲げられており、その表紙の写真には、その所長がスッポリと収まっておりました。
それを見て私は、凄いものだなぁ~と感心したのを覚えておりますが、、、

ちなみに、この時に、お手紙にお返事を頂き、色々お話を聞いて頂いた方々の中に、後の2番目の事務所となる先生も含まれており、その時、既に「ご縁」というものを築かせて貰ってもおりましたが、「その当時の私」には知る由もありませんでした(笑)

 

このような経緯を辿り、今から20年程前の2000年の春に、1番目となる行政書士事務所で働く事と相成りました!

そして、働き出す事になりましたが、その事務所には、私より年齢は2~3歳ほど若いですが、二人の男性先輩社員がおりました。
では、ここで、少し時間を早めて、初給料日の事です。
その日の朝、先輩社員から『給料を欲しいと言わないと貰えないよ』と言われました。

それを聞いた私は当然の事ながら???になりました。
すると、その先輩社員も『仕事を覚えさせてやるんだから、給料なんて要らないだろ』と言われたとの事でした。
確かに、面接の際にも給与などの事は話が出ませんでしたし、正直な所、私自身も給与などの話を自分から持ちかける事は出来なかったのが、当時の偽らざる私の本音です(苦笑)

 

しかし、そこまで私も弱く?はありませんので、朝礼が終わった後に給与の事を所長に尋ねてみました。
色々と、う~ん、どうかな~などと言われましたが、生活に直結する事でもあり、給与は貰える事となりました。
そして、4月1日から日割り計算として、頂いたのは5万ちょっとの現金でした。
ちなみに、健康保険も厚生年金も掛けられておりませんでしたので、手取りで5万ちょっとではなく、まさしく、5万ちょっとです(笑)

そして、給与に関しては、試用期間の3ケ月は月10万円となり、その後は交渉次第という事になりましたが、結果的には1年半ほど働いた上での最後は月15万円か13万円だったかと記憶しています。
なお、この当時は、月曜から土曜(午前8時~午後6時)迄の週6日勤務でもありました(笑)

 

ここから、まだまだ続いていきますが、もうお忘れになっている頃?かもしれませんので、今回は「その当時の悪口でもなく、過去への愚痴でもなく・・・」という点を改めてお伝えしておきます!

そのように、チョコチョコと先輩社員から仕事を教えて貰いながらやっておりましたが、この事務所では、不動産業(宅建業)もやっておりました。
そうこうしていると、よく近くの銀行の人が所長に会いにやってくるのですが、その度に所長からは『不在と伝えて』と言われるのです。
私は全く訳が分かりませんでしたが、言う通りにしてました、、、

 

そして、このような状況を観察していた所、年配の数人の男性がよく事務所に来訪してくる事も分かりました。
それで、いつも、何やらヒソヒソと話をしていました。
気になったので先輩社員に聞いてみた所、その地区の不動産業での支部長選挙があるとの事で、所長が当選する為に怪文書を流す文章を練るために集まっているとの事でした。
そして、その選挙資金の為に銀行からお金を借りている事も分かり、、、ここで『不在と伝えて』の意味も分かりました。
手っ取り早く言えば、銀行の取り立てです(笑)

 

では、ここまでは如何でしょうか?
よくありがちのブラック企業!?でしょうか?(笑)

 

では、進めて参りましょう!
そのように働いていると、一人目の先輩社員が、2週間置き位に所長と口論(という喧嘩)をしており、時には事務所内で取っ組み合いになる事もありました。
その都度『表に出ろ!』となるのですが、向かいのファミレスで話をして戻ってくるのが落ちでもありました(笑)

しかし、その一人目の先輩社員が愛想を尽かして辞めた後、その矛先?が二人目の先輩社員に向き始め、程なくして、その方も辞める事となりました。
このようにして、入所僅か3ケ月足らずで、私一人が残り、当然ながら私が一番の古株となってしまいました(笑)

 

しかし、行政書士試験を通っているからと言って、それで仕事が出来る訳では全くありませんし、それほど甘い世界でもありません。
そこで、私は以下のように決意しました。

 

早く仕事を覚えて、早く独立出来る力をつけて、一刻も早く今の事務所を辞めてやるぞ!

 

と(笑)
そして、「人間万事塞翁が馬」や「禍福は糾える縄の如し」などの諺もありますが、このような私にとっての最大の幸せな環境?というのが、

 

その所長は・・・全くと言っていいほど・・・仕事が出来なかった!!!

 

というものです(笑)
繰り返しですが「悪口」ではないですよ(笑)
そこで、私は書籍を読み漁ったり、役所の人から教えて貰ったりなど、自己流で経験を積んでいきました。
なぜなら、お仕事を依頼してくれる方々にとっては、結果を出すのが当たり前であり、事務所の「内情」などは知ったこっちゃない!からです(笑)

 

ところで、法律職においては、弁護士・公認会計士・司法書士・社会保険労務士などが存在していますが、それぞれの職分(領域)は法律で定められております。
なので、他の職分の仕事は、その資格を持っていないと出来ません。
しかし、その事務所では、税理士の職分である確定申告や、司法書士の領域である登記業務なども請け負っていました。

そして、行政書士業務においても、決算書の見方や、登記簿謄本の仕組みなどを知らなければ円滑に業務を遂行していく事は出来ません。
そこで、当時の私は、このような職域範囲外の業務を請け負っているのは所長であり、その責任も所長にあるのだからと開き直り?、

 

(他資格者の職域であろうが無かろうが)片っ端から出来る事と経験を積んでいく!

 

という事をしてました。
勿論、これは決してお勧め出来ない、、、と言うより法律違反でもありますし、今で言えば「内部告発」などの範疇に入るのでしょうが、当時の社会環境も、「私の考え」もそこまで追いついてはおりませんでした。
また、当然ながら?社員の私には、所長から言われる仕事を断ったり拒否する事も出来ない状況でもありました。
ちなみに、私のこのような行動もいわゆる「カルマ(業)」にはなりますが、それに関しては、果たし終えた!?、、、とも思っております(笑)

 

ここ迄においても、色々な事が出て参りましたが、もしかしたら、皆さんの参考?になっていくのが、ここから先の辺りになっていくかもしれません!?

 

このように他の社員が辞めた事で、私一人で仕事をする事になっていきましたが、その間も、新しい人が入っては「辞めて」、入っては「辞めさせられて」の状況が続いていました。

ところで、この事務所に入った時から、時折一人の女性の方が出入りをしておりました。
先輩社員に聞いたら、所長とお付き合いしている人(事務所内の私達は、俗に言う愛人と呼んでおりましたが(笑))という事であり、先ほどの「入っては「辞めさせられて」」の中には、新しく入ってきた女性社員の方も含まれております、、、

 

そして、穿った見方かもしれませんが、朝礼や会議の場などでは、(ざっくばらんに、ここからは愛人と表現して参りますのでご了承下さい)いつしか、その愛人の方も参加する事になり、特に会議では、新しく入った女性社員の方が発言をすると、『人生経験が足りないくせに!あるいは、所長に反論するの?』などで発言が遮られたり、また、所長に色目を使っているなど、何とも子どもじみた嫉妬やイビリなどが原因で、女性社員の方は数ヶ月後に辞めさせられる事(と言うよりも、居るにいれない状況)になってしまいました。

ちなみに、この愛人の方は、私を怖い?と思っていたのか、あるいは、「今」辞められては困る?と思っていたのかは分かりませんが、私には面と向かって何かを言ってくる事はありませんでした。
が、私が「不在」の所では、生意気だ!などの、なかなか?の事を話していたのは私の耳にも入っておりました(笑)

 

そして、これもそうこうしている内に、事務所内にその愛人の方が介護会社を設立するとの話が湧いてきました。
その立ち上げに際して、多くは女性の方々が加わっていき、そちらはそちらで進んでいる中で、行政書士の事務所としては、私よりも年配の方が幾人か入ってきて仕事を回していくようになりました。

そして、私は入所して1年3ケ月程経った頃に、『3ケ月後の10月末で退職させて下さい』と申し出ました。
勿論、これ以上、このような環境の中では良い仕事が出来ないと感じていた事もあり、また、先ほどコメントした「ご縁」のあった先生が私を採用してくれる話も進んでいたのも一つの理由でした。

 

それで、辞める迄の残り3ケ月の中で、他の人に仕事を覚えて貰うのも勿論ですが、『私が扱われた状況(給与や休日面など)では、この先も同じように人が集まらないし、集まってもすぐに辞めていきますよ』などの話も、退職話と同時に、率直にさせて貰いました。
別に自分を良く見せようという事では全くありませんが、なぜなら、

 

誰かが言わないと・・・何も変わらない(変わっていかない)・・・

 

からでもあります。
そして、何より、

 

このような環境が変わらないままであれば・・・

(行政書士という仕事に)夢や希望を持って入ってくる人々の・・・

落胆を誘う・・・

 

事にも繋がるからです。
このようにして、私は退職と相成りましたが、当時の私としても「立つ鳥跡を濁さず」の言葉にあるように、自分なりにはちゃんと退職までの期間も設け、喧嘩をする事も一度もなく、また、10月末での退職でしたので、その年末の事務所の大掃除には参加させて貰いました。
これは、あくまで「自分の心の中」をスッキリさせたいという、ある意味の「自己中心」でした事であり、このTOPICSで自分を良く見せよう!との趣旨では全くありませんので、誤解の無きようお願い申し上げます(笑)

 

そして、その後は採用して頂いた2番目の事務所に移る事となりましたが、実は、私がその2番目の事務所で社員として働いている時も、そして、その2番目の事務所の経営者となった時も、この1番目の事務所で出逢った(年齢は上ですが)後輩の方々に入所して頂いて一緒に働いたり、独立した後輩でも、その人の得意な分野などで仕事をお願いしたりといった、自分で言うのも変ですが、素敵な関係を築かせて貰い、それぞれ遠くに離れてはいますが、今でもお付き合いをさせて貰っています(笑)

そして、「ご縁」があって私を採用してくれた、その先生においては、私は未だに感服と言いますか、自分も見習わねば!と忘れずに敬意を持っている「姿勢」を常に想い出しますが、それが、

 

私を引き抜いてくれた(実際には救ってくれた)、その先生は・・・

その後に、お一人で・・・

私が在職していた1番目の事務所の所長の元に出向き・・・

(私を引き抜いた(採用した)事に対する)「筋」(という謝罪)を通した(そのような「行動」をした)・・・

 

という所です。
『私の都合で勝手に(1番目の)事務所を辞めたのですから、そのような事は本来は必要ないのでは?』との旨も、その先生にはお伝えも致しましたが、この先生の「姿勢」というのは、一生涯?いえいえ、来世を含めて忘れる事は無いと感じています(笑)

また、この先生は、私の母の一周忌の際も、自発的にわざわざ東京からお越しになられたりと、とてもお世話になった先生でもあります。
寂しい事に、この先生は数年前に他界されてしまいましたが、その他界後も、2018年3月3日のTOPICS「一人で簡単に出来る「年齢退行(インナーチャイルド)療法」」においても、当時の「実例」としてご登場頂き、そのような意味からも、今回のTOPICSも含め、「今でも」お世話になり続けている次第です(笑)

 

と、まあ、長々とした私の体験談となってしまいましたが、お伝え出来る?お伝え出来そうな?範囲内では書き連ねてきましたが、他にも書けない内容はまだまだありますが、ブラック企業!?という観点から、皆さんはどのように感じましたでしょうか?
「腐っても鯛」という言葉もありますが、また、20年程前の出来事とは言え、法律を扱う職場でもありました(笑)
そして、繰り返しですが、今回は「その当時の悪口でもなく、過去への愚痴でもなく・・・」という事ですので!

 

ちなみに、この1番目の職場は、今でこそ韓流の聖地とも呼ばれている大久保にありましたが、また、これはブラック企業とも関連はありませんが、その当時の大久保には、今で言う反社会的勢力(の会社)が多数存在していました。
私も風俗営業許可関連で仕事をしましたし(先ほどコメントしましたように、社員の私には断る権限もありませんし)、これは以前のTOPICSでも少し触れた事がありますが、そのような仕事においては脅しなども受けた事があります(苦笑)

また、たかだが1年半程の職場ではありましたが、事務所の前で発砲事件が起こった事もありますし、他には、許認可を取得する事で、補助金や助成金を搾取(詐欺)する為に利用された事もあり、報酬を貰えないまま、その会社が夜逃げしてしまったケースもありました(苦笑)
このような事も含め、良い経験!とまでは言えませんが、「今では」それなりの体験をさせて貰ったとも感じています(笑)

 

では、今回のテーマの本当の趣旨に入って参りますね!
お仕事をされている方々におかれましては「釈迦に説法」ですが、やはり、

 

(社員などの)人の出入りがしょっちゅう変わる(出入りが多い)職場では・・・

何かしらの「問題」を抱えている・・・

 

のは事実です。
私も行政書士の仕事において、直接間接を含めると、数千程の色々な会社や職場の状況を見聞きしてきましたが、そのような経験からも、この「問題」を抱えているというのは、事実として捉えて頂いて構いません。
また、社員に限らず、取引先がしょっちゅう変わるケースでも同様です。
ちなみに、先ほどの愛人の方が設立した介護会社の立ち上げに関わった方々とのお付き合いも、私が退職した後も数年間続いてましたが、私が退職してから1年程で、その方々のほとんどが、その介護会社を辞めていきました(笑)

 

そして、会社や職場などでの「人間関係」に悩みをお持ちの方々も多いかと思われます。
そして、今回のTOPICSのように、ブラック企業!?を形成しているのも、結局は「人間」です。
そして、昨今の少子高齢化というのは、一朝一夕に解決出来るものでもありません。
そして、様々な状況や環境をポジティブに活用するという意味では、

 

少子高齢化による人手不足は・・・

この先も加速度を増して続いていく・・・

 

のが実情でもあります。
勿論、行き過ぎた「堪(こら)え性の無さ」などから、頻繁に転職を繰り返すのは、また別の問題になりますのと、わざわざ転職する事を勧めている訳でも決してありませんが、視点を変えるという意味では、

 

私達は「仕事」をする為に産まれてきたのではなく・・・

「生きる」一部に仕事も関係している(部分がある)・・・

 

という点を、今一度、想い出してみて下さい。
そして、出来るのであれば、

 

仕事の中に「喜び」を見出す事も大切であるが・・・

「自分の喜び」が(部分的にでも構わないので)含まれている仕事を選択する・・・

 

という「姿勢」も、やはり、今後は特に大切になってきます。
なぜなら、

 

「今」仕事をしている私達(大人)を・・・

子ども達や若い世代が・・・

私達という大人が・・・

どのように(仕事を通して)自分自身を「体現」しているのか・・・?

 

という「姿勢」をちゃんと見ているからです。
これが先ほどコメントした「落胆を誘う・・・事にも繋がるからです」の部分と大きく関係してきます。
なお、ここでの「喜び」においては、ご病気などで働けない方々や、あるいは、既にお仕事を引退された方々が「喜び」を見い出せないという意味では決してございませんので、この点も誤解の無きようお願い致します!

 

今回は私自身の長々とした体験談発表みたくなってしまい、大変申し訳ございませんが、私のような体験を皆さんはする必要性もありませんし、ましてや、子ども達や若い世代の方々でも同様です!

また、今回のテーマにおける私自身のブラック企業!?体験談よりも、より過酷な状況にある方々も多いかと思われますし、私の体験談ほどでは無いという方々もいらっしゃるかもしれませんが、敢えて、繰り返しですが、

 

誰かが言わないと・・・何も変わらない(変わっていかない)・・・

 

という点と、それでも(仮に言ったとしても)体質が変わらない会社や職場があるのも事実でもありますので、そのような際には、

 

「自分の喜び」を考え・・・

それを「体現」出来る(出来そうな)選択肢(職場)・・・

 

は必ずありますので、

 

「今(の場所)」であれ・・・「その先の別(の場所)」であれ・・・

あなた自身が「夢や希望を持って入ってくる人々」の体現!!!

 

との心持ちを持って臨んでみて下さい!

そして、今回の内容においては、その渦中にいた「過去(当時)の私」では気づけていませんでしたが、「今の私」では、それなりには気づけている様々な視点が含まれておりますので、その辺りも探してみて頂いて、そして、「今の皆さん」自身に当てはめて活用してみて下さい!

ちなみに、前半部分に出て参りました、「ニュースウィークという雑誌が掲げられており、その表紙の写真には、その所長がスッポリと収まっておりました」の箇所は覚えておりますでしょうか?
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この写真は「フェイク(ニセモノ)」であり、所長自身が遊びで?勝手に創作した写真でありました、、、
そして、当時の依頼者の中には、当然ながら、この写真が「嘘」と気づかず、また、「嘘」と知らされないままになっている方々もいらっしゃいました(苦笑)

2019年9月14日 03:09

遠隔ヒーリングから考えさせられた「寿命」 ~実例から~

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、前回のTOPICSでは、今から6~7年程前、私が青森に戻って来る前の、東京で色々と準備をしていた当時のカウンセリングやヒプノセラピー(催眠療法)に関する実例をご紹介致しました。

ちなみに、前回のTOPICSをお読みになって頂けた方の中には、お分かりになった方も、もしくは、お分かりにならなかった方もいらっしゃるかと思われますが、このTOPICSでも繰り返しお伝えしておりますように、ヒプノセラピーとは必ずしも目を瞑(つぶ)ったり、リラックスチェアで受けたり、静かで薄暗い?環境でなければ出来ないというものではありません。

 

ヒプノセラピーの本質は「コミュニケ-ションを活用したセラピー」でもあり、私の場合では、クライアントの方に役立つ面を感じ、そして、望んでいる方向性への後押しのような感じで、通常のカウンセリングの中にも取り入れたりしております。
勿論、クライアントの方は、私と話している会話の中にヒプノセラピーの手法が活用されている事には気づきませんし、単に普通に話しているようにしか感じていない事が圧倒的に多いかとも思いますし、それで全く構いません(笑)

なお、クライアントの方の意思に反するような、また、クライアントの方をコントロールする(操る)ような目的では一切活用しておりませんので(また、そのような事は不可能でもありますので)、どうぞご安心下さい!!!

 

少し話が逸れましたが、この当時は、同時にレイキ ヒーリングに関しても、1年程の期間を掛けて、色々な講義や実践・修練を積んでいた時期でもありました。

そのような中、レイキ ヒーリングにおいては、直接のヒーリングも数多くさせて貰いましたが、遠隔ヒーリングの方がご依頼もしやすい(遠方である、体調が悪く外出が難しい、自分ではなくご家族にして欲しい)などの理由で、結構な数の遠隔ヒーリングもさせて頂きました。
そこでの遠隔ヒーリングの実例において、私が深く「寿命」というものを考えさせられた、お二人のケースがございますので、今回は「遠隔ヒーリングから考えさせられた「寿命」 ~実例から~」というテーマをお届け致しますが、皆さんも何かの折の考える素材としてみて下さい!

 

なお、今回の実例に関しては、「死」との直面という性質のものが含まれますが、そこで「(笑)」の表現を用いるのは不適切感を免れないかもしれませんが、このような「死」との直面を避ける方向性に向かってしまうと、結局は、何も考えたりしなくなる事こそが一番の損失?とも呼べるものでもありますので、出来るだけ皆さんのご心情を損なう事の無きよう、また、可能な範囲内で今回も今までのTOPICS同様、「(笑)」の表現も活用して参りますので、是非、皆さんも、あまり肩肘張って固くなる必要性もございませんので、いつも通りお読み進め頂ければ幸いです!

また、「寿命」というテーマではありますが、今回は「魂の視点」は活用致しませんので(笑)

では、まず、最初に、

 

「寿命」に関しては・・・

私にも未だに答えのようなものは見つかっておらず・・・

日々、考え続けている所・・・

 

というのが、正直な本音でもあり、事実でもあります(笑)
ただ、あくまで、「今の私」が感じる部分ではありますが、

 

生命(活動)においては・・・

「入り口」と「出口」があるのではなく・・・

「入り口」と「出口」は同じものであり・・・

「双方向性」で繋がっている・・・???

 

というような感触を受けています。
勿論、この先には、この感触も変わる事もあるかもしれませんが(笑)
では、ここからは、有り難く遠隔ヒーリングをさせて頂いた、お二人の実例からご紹介して参ります。

 

なお、ここでの遠隔ヒーリングの実例においては、私一人だけが行ったものではなく、複数の方々が関与され、故に、遠隔ヒーリングが施された時間や回数なども、関与された人それぞれで違いもあるのが前提の上で相成った結果(事象)である事は、正確性を期す為にも、事前にご理解頂ければと思います。

また、今回のお二人に関しては、私は、ほぼ毎日、30分~1時間程の遠隔ヒーリングをさせて頂いたものでもあり、それと、遠隔ヒーリングをさせて頂いたお二人に関しては、そのご本人様は遠隔ヒーリングを受けている事は全く知らないという状況のものです。

 

では、まず、お一人目は、お母様が長年脳腫瘍を患っている事による、娘さんからのご依頼でした。
そのお母様は脳腫瘍の影響で、次第に両目が失明の状態になり、体調も悪化して入院した所、医師からは、ほぼ保たないでしょう、、、と告げられ、治癒を望んでいるのではなく、『母に僅かでも(目に)光を取り戻させてあげたい』とのお話でした。

 

そのような状況の中、3~4日ほど遠隔ヒーリングをさせて頂き、娘さんからお母様の状態のご連絡を頂きました。
すると、お母様が『以前のような真っ暗闇ではなく、ここ何日かは、(目の中に)時折チラチラしたものを感じる』とお話されているとの内容でした。
そこで、お互いに喜ばしくも感じ、引き続き遠隔ヒーリングを続けさせて貰う事となりました。

 

そして、期間の定かな記憶は忘れましたが、2~3週間ほど経った頃に、お母様が確か緑膿菌による院内感染を発症し、医師からは菌の数値を下げる治療に変更するとの方針になったと、娘さんからご連絡を受けました。
そこで、私も遠隔ヒーリングの内容を(目から菌へと)変更して続けて行う事に致しました。

 

そして、1~2週間ほどヒーリングを行っていた所、菌の数値は正常に近づきつつあり、娘さんと共に安堵しておりました。
が、しかし、その直後、心不全か肺炎だったかは定かではありませんが、お母様は他界されました。
このように(勿論、全く関連性が無いとは言えないケースもある事と思いますが)元になっている病気が原因ではなく、別の(あるいは重なったのかもしれない)と思われる原因で他界されるというのは、確かに起こりがちであるのかもしれませんが、これが一つ目の実例です。

 

では、次のお二人目は、これもお母様に持病があり、在宅療養をされていた所、体調が悪化して寝たきりになり、訪問医に診察して貰った所、ここ1週間ほどかもしれません、、、とのお話で、幾分かでも救いになればとの娘さんからのご依頼によるものでした。
そこで、2~3日の遠隔ヒーリングをさせて頂いた所、布団から起き上がれるようになったのみならず、大好きな家事や洗濯までして、お母様は活き活きし出したとの嬉しいご連絡を貰いました。

 

そして、その数日後に、、、ご自宅にて、お母様は他界されました。
その死因の診断をした訪問医によると、虚血性心疾患による血栓が原因であり、『これは予期する事がほとんど出来ないものですが、おそらく寝ている間の出来事で、お母様は気づく事も、苦しむ事もなかったと思いますよ』とお話されたとの事でした。

 

そして、このお二人の娘さんからは、感謝のご連絡を頂き、そして、悲しく寂しくはあるものの、この先のご自身の人生を精一杯生きていきます!との、力強いお言葉も添えられておりました。

では、今回の二つの実例はここで終了ですが、このような実例からの「寿命」の捉え方においては、ともすると、

 

治ったのであれば、それは「寿命」ではなかっただけ・・・

(結果として)他界したのであれば、それは「寿命」と(都合良く?)解釈しているだけ・・・

 

との見方も成り立ちますし、そのようなご意見の方が多いのかもしれません。
これはこれで、良し悪しの問題でもなく、また、言い訳や弁解の類いとも違う性質のものでもある事でしょう。
ただ、私個人としては、

 

治ったから「寿命」ではなく・・・他界したから「寿命」である・・・

 

との見解は取らないように心掛けております。
なぜなら、「治る = 寿命ではない」「治らなかった(他界された) = 寿命であった」と捉えてしまうと、

 

これも・・・

「二者択一」という視点に陥りやすくなる・・・

 

と捉えているからです。
そして、何故、この「二者択一」に陥るのを防ぐのかと言いますと、

 

(「二者択一」にこだわり過ぎると)次第に「考える」事を放棄する事に繋がりやすくなるから・・・

 

です。
つまり、

 

治ったとしたら、それはとても喜ばしい事ではあるが・・・

仮に、治らなかったら・・・どうしよう・・・

という「怖れ」が・・・二の足を踏ませる・・・

 

という不作為の「行動」にも繋がりやすくなるからです。
つまり、

 

「過程」には目を向けようとしなくなり・・・

「結果」のみに目を向け過ぎてしまうが為に・・・

何かしらの「行動」に移し辛くなっていく・・・

 

という事です。
勿論、死んだら寿命!治ったら寿命じゃない!との、「大胆な割り切り」も役立つ事でしょうし、それもそれで良いと思います(笑)

また、現代では、多くの場合に、医師による治療は基本でもあり最低限として受けるケースが圧倒的に多いでしょうから、この「二者択一」においては、「治療そのものの有無」というよりも、例えば、抗癌剤の投与や延命治療などの「治療内容に関わる有無」というケースで考える事の方が多いかとも感じます。

なお、この「二者択一」に陥らないという意味においては、ヒーリングなどの活用の是非や推奨をしている訳では全くありませんので、その辺りも誤解の無きようお願い申し上げます(笑)

そして、ここが先ほどの、

 

「過程」に目を向けるとは、「考える」事と繋がり・・・

「結果」のみに着目するとは、「考える」事から遠ざかっていく・・・

 

という意味になります。
そして、ここ迄で、充分にお気づきかと思いますが、「寿命」という命題については、「理路整然」には、、、なかなか進まない、、、という点です。
書いている私も、その辺り(理路整然としない点)は充分な「自覚」を持って今回は進めております(笑)

そして、

 

「寿命」に答えや正解が有るのか無いのかは分からないし・・・

答えや正解があったとしても・・・

それは複数(人の数ほど)あるのかもしれないし・・・

それこそ、間違いはそもそも存在していない・・・

 

のかもしれません。
ただ、いつの時代であっても、どのような時代であっても、答えの無い?最大の命題というのが「寿命」というテーマであるのかもしれません。
そして、答えが無い(見つからない)からといって「考える」事を放棄するのではなく、

 

答えの無い(無さそう)なテーマに行き着いた時には・・・

「考え続ける」・・・

という「姿勢」そのものが・・・

「答え」となる(なっている)・・・

 

のかもしれません。
そして、ここには、希望や生きる勇気や生き甲斐などの、ポジティブな意味での「諦めない!」という「姿勢」も含まれております!
なお、ここ迄の内容において、誤解を生じさせているといけませんので、改めてお断り申し上げます。

それは、「二者択一」に陥らないという視点と、「諦めない!」という視点においては、ご病気などの際に、何か他の色々な治療法などを積極的に試みたり導入する事を推奨している訳では決してありませんし(それの裏返しとして、新たな治療法などを否定している訳でもありません)、また、色々と考えた上で(他の治療法は選択せずに)現状の治療などに専念する姿勢などを否定する趣旨でも全くありません。

「心と体は繋がっている」との観点における、「考える」という「姿勢」についての視点でもあり、また、あくまでご本人様の意思(ご本人様が意思表示を出来ない状況ではご家族などの意思)を尊重する事が大切であり、その上で、「出来る事と出来ない事」などを「考えていく」という観点でもありますので、その辺りの趣旨に関しまして、重々取り違えの無いよう、重ねてご了承とご理解頂ければ幸いです!

そして、今回のようなテーマにおいては、

 

「寿命や死」を考えるという事は・・・

決してネガティブなものではなく・・・

逆に・・・

「今の生」を充実させる為に他ならない!

 

という点だけは、常に頭の片隅に入れて置いて頂き、そして、考える際の「出発点」としてみて下さい!
なぜなら、「寿命や死」というのは、特殊なテーマに思えるかもしれませんが、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております通り、

 

物事や出来事は・・・大なり小なり・・・それぞれを反映している

 

という側面があり、

 

「寿命や死」を自分なりに考えてみる事で・・・

全く関連性が無い(と思い込んでいた)日常の問題や課題についての・・・

「ヒントや気づき」がもたらされる事が(往々にして)ある!

 

からです。
そして、今回のTOPICSの内容は、なかなか捉えづらくもあり、読みにくさを感じた部分もあるかとも思います(笑)
そこで、今回のような答えの無い(見つけ辛い)テーマにおいて、「今の私」が考える道具?としているのが、

 

創造の源は・・・

「3(トリニティー)」にある・・・

 

という素材です(笑)
つまり、

 

これか?・・・あれか?・・・という二者択一ではなく・・・

これも!・・・あれも!・・・という発想に繋げてくれる・・・

第3の「何か」が・・・「何で」あるのか???

 

というものです。
益々、訳が分からなくなったかもしれませんね(笑)
この先は、皆さんなりの自由な発想で、今回は「寿命」という重めのテーマではありましたが、それに限らずとも、「今の生」を充実させるという観点からも、色々と考えてみて下さい!

ちなみに、今回のテーマと深い関連性があるのが、2018年5月5日のTOPICS「200回目のTOPICS ~「死」に「理由」は必要か?~」も参考になるかもしれませんので、興味のある方は覗いてみて下さい(笑)

 

それと、チョットだけ余談ですが、私は先ほど「「寿命」という命題については、「理路整然」には、、、なかなか進まない、、、」とコメント致しましたが、これが何故なのか?というのは「あらゆる面」に応用可能ですので、それをお伝え致します。
では、何故、「理路整然」に進み辛いかと言いますと、

 

(様々な事象や視点が)「重なって」いる

 

からです。
例えば、皆さんも小さい頃に、絵の具で「青色」と「黄色」を混ぜて、「緑色」を作った事があるかと思います。
しかし、

 

「緑色」という事象(現象)を目の前にして・・・

その「緑色」そのものから・・・

「青色」と「黄色」を表現(説明)するには、なかなかの困難が伴う・・・???

 

ような感じです(笑)
あるいは、ジグソーパズルの「全体(完成)像」と、それを彩っている「一片のピース」との関係とも似ています!

どのようなケースでも表現や説明が不可能という事では決してありませんが、単に、今回のテーマに関しては、私がまだ「理路整然」にお伝えする事の出来る境地?に至ってないだけの事ですので(笑)

2019年9月7日 12:09

コミュニケ-ションにおける人の評価(見方)の違い ~実例から~

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

秋口に差し掛かろうとしている今日この頃ですが、秋という季節においては、会社などでの人事異動や転勤、また、高校や大学などへの推薦入試の時期でもあり、色々と「人の評価(見方)」が気になる?頃合いであるかもしれません(笑)
そこで今回は「コミュニケ-ションにおける人の評価(見方)の違い ~実例から~」というテーマをお届け致します!

 

ところで、今回の実例というのは、今から6~7年程前の事であり、ちょうどその頃の私は、青森に戻ってくる前の、ヒプノセラピー(催眠療法)のトレーナー認定を修了して、東京で色々と準備をしていた時の事です。
そのように、私がヒプノセラピーやカウンセリングが出来るという事を知っていた知り合いから相談を受けました。

 

まず、その相談というのが、ある地元の名士と呼ばれているご祖父さんが、お孫さんの事で悩んでいるとのものでした。
そして、ちょうどその方が東京に来る機会があるので、その時に相談に乗って欲しいとの事でした。
そこで、私はある場所に出向き、お話を聞かせて貰う事と相成りました。

 

そして、まず、お孫さんには別室にて待って頂き、最初にご祖父さんからお話を窺いましたが、それは次のような内容でした。
ちなみに、このお孫さんとは(当時)高校3年生の男性の方です。

 

ご祖父さんのお話:
『 孫が何度も喧嘩をして、学校にも迷惑を掛けて、とても困っている。

  その学校の校長先生とは昔からの知り合いで、とても「立派な方」で、その校長先生にも迷惑を掛けている事が申し訳なくて。

  何とか、孫が喧嘩をしないように出来ないものだろうか? 』

 

との内容です。
そこで、その後に、私はそのお孫さんと別室において、2人きりで話をさせて貰う事に致しました。
すると、まず、そのお孫さんは、今日この場所にどうして連れて来られて、なぜ私と話をするのかの理由が分かっていない事が判明しました。

これは、ある意味、出だしから気まずさの雰囲気が漂いますよね(笑)
そこで、私が世間話をしながらお孫さんに改めて聞いた所、今日、東京に来た理由は、ご祖父さんが何でも好きな物を買ってくれると言うから一緒に来ただけ、、、というのが分かりました。

 

そのような経緯なので、そのお孫さんにとっては、どうして、どこの馬の骨とも分からない私と、しかも2人きりの部屋でお話をしなければならないのかが理解出来ずに困惑しているのも、よく理解出来ますよね(笑)
そこで、私はその本当の理由(ご祖父さんが喧嘩を止めて欲しいと思っている事)をお孫さんに告げて、少しの時間、私と付き合って貰えれば助かりますと理解して頂きました!

 

そして、喧嘩についての武勇伝?を幾つか教えて貰い、喧嘩に関するお孫さんの考えを聞く事にしました。
そこでは、

 

お孫さんのお話:
『 自分は確かに何度も喧嘩してきて、迷惑を掛けているのは分かっている。

  ただ、今まで自分から喧嘩を吹っかけた事は、ほとんど無い。

  今回も仲間が(他校の人に)ボコボコにされたから、けじめとして自分が出向いたんだ。

  喧嘩という手段が良くない事は分かってるけど、自分は仲間との絆や正義の方が大事なんだ。

  だから、今回も喧嘩したんだ、、、 』

 

との事でした。
ちなみに、今回は喧嘩の是非や正義とは何ぞや?などをテーマとしている訳ではありませんので、話の流れとして捉えて下さい(笑)
そして、最初にご祖父さんから窺ったお話と、ここでお孫さんから窺ったお話で一つの共通点が見えてきました。

それは、校長先生が「次に喧嘩をしたら、高校を退学にする!」とお話しているというものでした。

 

この退学という事態を一番怖れているのが、ご祖父さんでもあり、また、そのお孫さんも同様でした。
そして、仲間との絆や正義の話を2人でしていた所、そのお孫さんには、とても大切にしている彼女がいる事を教えてくれました。

そして、その彼女が「次に喧嘩をしたら、あなたと別れる!」と、お孫さんに話している事も教えてくれて、それに対してお孫さんは自分の中で、彼女を悲しませたくもないし「二度と喧嘩はしない!」と思っているという事もお話してくれました。

 

では、ここで一つの関門が自然とクリアされた事になります!
それは次のようなクリアであり、私は、そのお孫さんのお気持ちを「補強する」意味でも、次のようにお話しました。

 

私のお話:
『 ちゃんと、自分で素敵な答えを見つけているじゃないですか!

  彼女を大切にしたい、彼女と別れたくないと思う気持ちが本当であれば、彼女の為にも、もう二度と喧嘩は出来ないものね!

  そして、もう二度と喧嘩が出来なければ、自分の為にも、喧嘩をして退学にさせられる事も絶対に起こりようがないよね!

  それと、「次に喧嘩をしたら、あなたと別れる!」というのは、卒業してからも続くものだから、それも大切にして下さいね(笑) 』

 

と。
すると、お孫さんは、無言でニヤリと微笑んで頷いてくれました(笑)
このように「二度と喧嘩をしない」という答え(強い思い)に落ち着いた所で、そのお孫さんが本心を語り始めてくれました。
それが、

 

お孫さんのお話:
『 確かに、今までしてきた喧嘩の中には、自分が悪いものもある。

  だけど、そこから自分なりに考えて、その後の喧嘩は全て因縁などを付けられたり、仲間がやられたりなどで、自分から喧嘩を煽った事は無い。

  それまでの自分がしてきた喧嘩が噂で広まってしまった事で、自分は喧嘩をするつもりもないのに、知らない相手からも勝手に喧嘩を吹っかけられるようになっていった。

  そして、その度に校長には自分の言い分も話してきたけど信じて貰えない。

  今回の仲間の為の喧嘩も同じく、全く自分を信じて貰えず、全て自分が悪いとレッテルを貼ってきた。

  自分は、学校の中で、その校長が一番「大嫌い」だ! 』

 

と。
では、ここ迄で皆さんは、今回のテーマである「人の評価(見方)」の違いに、既にお気づきになられているかとも思います(笑)
それは、最初の方で、

 

ご祖父さんは・・・

校長先生は、とても「立派な方」で!

 

と私に伝えていましたが、

 

お孫さんは・・・

校長が一番「大嫌い」だ!

 

と私に伝えてくれました。
校長先生に対する「評価(見方)」が、真っ二つ!に別れていますよね(笑)
そこで、まず、

 

人それぞれには・・・

社会生活における「立場など」の違いがあるので・・・

「とても立派な方」と評されるのも「事実」であるのかもしれない・・・

 

という「評価(見方)」も当然ながら成り立ちます。
ご祖父さんと校長先生との間柄、お孫さんである生徒と校長先生との間柄では、違いが生じるのも、ある意味では自然な事でもあります。
しかし、ここに焦点を合わせ過ぎると、本当の答えの糸口は、なかなか見つかりにくくもなります。

 

そして、このケースにおける、本当の問題となっているポイントは、最初に出てきた「そのお孫さんは、今日この場所にどうして連れて来られて、なぜ私と話をするのかの理由が分かっていない」&「東京に来た理由は、ご祖父さんが何でも好きな物を買ってくれると言うから一緒に来ただけ、、、」という所にあります。

そして、これが、このTOPICSでも幾度もお伝えしておりますように、

 

トラブルになりがちなのは・・・

コミュニケ-ションによる意見の相違などではなく・・・

コミュニケ-ションが取れていない「隙間」に・・・

 

という意味です(笑)
そして、私はそのお孫さんに最後に質問しました。

「自分では二度と喧嘩はしないと決めていたのだから、今日ここに、このような理由で来る必要もなかったように思うけど、それ(二度と喧嘩しない)はご祖父さんには話してなかったの?」と。

 

すると、お孫さんは「ただただ校長は立派で、何でも校長の言う通りと思っている祖父に自分の気持ちを話しても信じて貰えないだろうし、自分で何とかすればいいだけの事だから話していないよ」と答えてくれました。

そして、この時は、ご祖母さんも同行していたのですが、お孫さんは、ご祖母さんは好きだが、ご祖父さんはあまり好きではないとも私に話してくれました、、、

 

このような経過を辿り、お孫さんは買い物に出掛けたので、私はその直後に再びご祖父さんとお話しました。
それは、

 

私のお話:
『 彼と色々お話をさせて貰いましたが、今時の若者としては、絆や正義感などを大切にしている素敵な思いも持っているようでしたし、彼ともここでのお話は私との間だけの事で、ご祖父さんには全てを伝えないとも私は彼と約束をしました。

  なので、その辺りはご祖父さんにもお伝えする事は出来ませんが、ただ、彼に一つだけ、ご祖父さんに伝えても良いですか?と了承を貰った事があります。

  それが、彼は「彼女の為にも、二度と喧嘩しない!」と話してくれた事です。

  お孫さんを信じてみては如何ですか? 』

 

と(笑)
では、ここからは私の推測と、少し穿った?評価(見方)も入るかもしれませんが、仮に、ご祖父さんとお孫さんが、校長先生に対する「評価(見方)」をそれ迄(ここ迄こじれる状況)の間にコミュニケ-ションを取っていたとしても、その「評価(見方)」はおそらくそれぞれ変わってはいなかった事とも感じます。
そして、それはそれで別に構わない事でもあります。

ただ、私がご祖父さんとお話していて、一点、とても気になった点がありました。
それが、

 

(この)ご祖父さんは・・・

過剰な位?に・・・

世間体を気にし過ぎている・・・

 

と感じた事です。
そして、何より、

 

その世間体というのが・・・

孫の事を思う気持ちからではなく・・・

ご自身の名声を汚されたくない?・・・

 

との思いから強く出ているのでは?と私自身としては、ご祖父さんから窺うお話の端々(はしばし)に、強く感じたのを今でも覚えております。
もしかしたら、地元の名士だから(失礼の無いように、、、)との「ニュアンス」で私が知り合いから伝えられたのと同様に、このご祖父さんも名士として多くの方から接せられてきて、また、だからこそ、校長先生にも自分がされているような接し方をしてきたのかもしれません。
これもよくある事なので、良し悪しという問題でもありません。
ただ、

 

世間体を気にし過ぎるあまりに・・・

それが「無言」でお孫さんにも伝わって・・・

逆に世間体を気にせざるを得ないような状況を創り出してきた・・・

 

のかもしれません。
そして、

 

世間体に対する「怖れ」が・・・

お孫さんとのコミュニケ-ションを取る「怖れ」に繋がり・・・

結果的に、コミュニケ-ションにおける「隙間」を広げてきた・・・

 

のかもしれません。
つまり、「お孫さんとのコミュニケ-ションを取る「怖れ」に繋がり」の、真の「怖れ」とは、

 

コミュニケ-ションを取ってみても・・・

それが自分(ご祖父さん)の期待通りにならず・・・

また、期待した自分(ご祖父さん)が裏切られたらどうしよう・・・

という「怖れ」・・・

 

です。
今回のご祖父さんとお孫さんとの間のコミュニケ-ションの「隙間」、そして、確かに喧嘩を繰り返してきたお孫さんにも反省すべき点があるのもその通りですが、その繰り返しによって「聞く耳」を持たなくなっていった校長先生が創り出したコミュニケ-ションの「隙間」も同じ事になります。

今回は「人の評価(見方)」からの実例でしたが、このようなケースは「あらゆる面」にも当てはまるものです。

 

コミュニケ-ションの取れていない「隙間」・・・

その「隙間」を生じさせるのが・・・

「怖れ」・・・

 

という視点からも、それが本当に自分が「真に怖れている」事なのかな?と、コミュニケ-ションにおける何かの折には当てはめて考えてみて下さい!

そして、「あらゆる経験」を自分一人で学ぶのは完全に不可能!!!でもありますし、今回のTOPICSのようなお話は、それこそ、日常生活や社会においては溢れ返っているものでもありますので、是非、そのような視点からも、色々な人とのコミュニケ-ションを取る事が、「自分にとっての学び」でもあるという点を、素敵に活用してみて下さい(笑)

2019年8月31日 02:08

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