聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥を考える ~千日回峰行&科学トレーニングから~

【 先人に聞く 】

千日回峰行に挑んだのが、天台宗僧侶(当時:延暦寺宝珠院の住職)の酒井雄哉さん(1926~2013年)です。

後に触れますが、酒井さんが出家したのは40歳の時でした。

そして、千日回峰行を決意したのが、49歳の時の昭和50年4月7日でした。

実は、この決意した日は、

 

亡くなった奥さんの命日

 

でした。

 

 

しかし、周囲の人の多くは酒井さんの年齢から見ても、千日回峰行に挑む事に不安や心配を覚えました。

そのような周囲の声もある中、酒井さんは千日回峰行に挑み始めました。

そして、千日回峰行を始めたものの、後の酒井さんは当時の思いに関し、次の通り振り返ります、、、

 

酒井さん:
『 回峰行から100日、何故、こんなに歩き続ける必要があるのか疑問が湧く。 回峰行から300日、亡くなった奥さんや、予科練時代の友の顔が、次々と頭に浮かんで来る。 回峰行から500日を過ぎた頃、もう過去の事は頭に無い。 行の最中に出くわす猪・鹿・野ウサギなど、今日一日無事に過ごせるかどうかだけが気になる。 』

 

そして、千日回峰行の日々を積み重ね続ける事が出来た原動力の一つとして、酒井さんは同じく当時の思いに関し、次の通り話します、、、

 

酒井さん:
『 最初は足を引きずりながら、何も分からないまま、暗い道を一つ一つ、グルグルグルグル歩く訳ですよ。 ところが、回を重ねていく間に度胸が付き、自然に美しいなとか、これは人生の姿とか思うようになっていく事は、毎日毎日、歩いている内に経験しながら、「 ああ、こういうことかな。 」とか、「 ああ、こういうことだと嬉しいな。 」とか、「 今日はキツいな。 」とか思いながら、段々段々そういう事が分かって来る訳ですよ。 』

 

 

【 堂入りを乗り越えて 】

昭和53年の52歳の時、酒井さんは堂入り(9日間の不眠不休の断食)に挑みました。

そして、堂入りの最中では、行者が外気に触れられるのは日に一度だけです。

その一度というのが、

 

真夜中の午前2時・・・

仏に供える水を・・・

井戸に汲みに行く時だけ・・・

 

になります。

 

堂から井戸までの距離は、僅か200メートル足らずです。

初日の酒井さんは、水汲みも15分で終える事が出来ました。

しかし、3日目には30分近く掛かりました。

そして、5日目になると最低限の世話をする僧侶が、酒井さんの瞳孔が開きっ放しになっている事に気づきました。

 

 

しかし、堂入りの行は、

 

問答無用で続けられる

 

というのが、先ほど紹介した通りの不文律です。

そして、9日目、見事に堂入りを果たし終えた酒井さんは、仲間の僧侶に抱きかかえられ、堂を後にしました。

 

【 動機を学ぶ 】

戦時中の酒井さんは、予科練に所属していました。

そして、戦後になると、東京で闇ブローカーやセールスマンなど、様々な仕事を転々としました。

 

しかし、酒井さんが40歳の時、結婚後間もない中、奥さんが自殺しました。

この出来事が、酒井さんが出家する大きな動機となりました。

そして、酒井さんは出家する以前の、自身の生きて来た姿勢に関し、次の通り振り返ります、、、

 

酒井さん:
『 学校行って落第したり、闇屋(闇市の店)をやってみたり、お菓子屋さんのセールスマンになってみたり、自分で商売やってみたり、そういう事をやって良かったり悪かったり、潰れたり借金を背負ったとか、お前は嘘付いたとか、そういうゴチャゴチャゴチャゴチャしながら、結局(同じ事を)繰り返して来た訳です。 今から見れば、夢見てるような、夢の一コマのような。 しっかりした生活をしてくれば、良かったなと思っています。 』

 

 

そして、千日回峰行の内、

 

700日までが自分の為の行と言われ・・・

100日の間に1日だけ・・・

他者の為の行をする・・・

 

というのが習わしです。

そして、先ほどの堂入りを無事に果たし終えた翌日に行われた、酒井さんのインタビューを簡潔に表現すると、次の趣旨になります、、、

 

常に謙虚な姿勢を忘れず・・・

全てに感謝の心を抱き・・・

新たに生まれ変わって・・・

他者の為に・・・

自分の出来る最善を尽くす・・・

 

 

そして、堂入りを終えて阿闍梨となった酒井さんですが、千日回峰行は終わった訳ではありません。

故に、堂入りを終えた翌年は1日60キロを100日、その翌年は1日80キロを100日、更にその翌年は1日40キロを100日、

 

酒井さんは再び歩き続けたが故に・・・

千日回峰行は晴れて万行!!!

 

となりました!

そして、その後も酒井さんは千日回峰行に挑み、生涯で二度の満行を果たしました。

 

そして、生前の酒井さんが知人から、次の趣旨の質問をされました。

それは、堂入りの最中に世話役の僧侶から、

 

うがいをする為の水が・・・

目の前に差し出されるが・・・

飲まず食わずの断食中なので・・・

その水を飲みたくならないのか???

 

その質問に対し、酒井さんは次の趣旨の返答をしたそうです、、、

 

酒井さん:
 《 後ろの自分 》が出て来て、「 誰も見てないぞ、飲んでも良いぞ。 」との声が聞こえるが、「 おう、(やはり誘惑が)来た来た。 」と思える。 』

 

 

では、この番組も終了ですが、千日回峰行に関しても、

 

「間接的」とは言え・・・

人間の体と精神の可能性の凄さを知る事で・・・

人々の希望となるなどの意見もあれば・・・

行によって「直接的」に・・・

他者の為に役立つ結果が見えず・・・

自己満足に過ぎないなどの意見もある・・・

 

という事です。

そして、前半のスポーツの箇所では『 こちらを立てれば、あちらが立たず 』とのコメントをしましたが、どこか似ているように思いませんか???

 

 

では、締め括りに入ります!