【 ヒーローとなるキボキアン 】
今度のキボキアンは、医師免許が無くとも扱える素材で、確実に死に至る方法を考えます。
そして、もう一人の協力者のニールに、
一酸化炭素を作る薬品の購入を依頼
しました。
なぜなら、一酸化炭素は「無色・無味・無臭」で、毒性は低濃度でありながらも、速やかに命を奪うほど強力だからです。

そして、キボキアンは一酸化炭素のボンベから依頼者のマスクに繋がるチューブに、紐の付いたクリップを取り付け、その紐を依頼者に握らせました。
つまり、キボキアンがボンベを開いた後、依頼者が「自らの意思と手」で紐を引っ張ると、一酸化炭素中毒で死に至る仕組みです。
こうして、
ギリシャ語で「慈悲の機械」を意味する・・・
新たな自殺装置マーシトロンを開発・・・
しました。
そして、自殺幇助が実行されると、
依頼者が死に至る過程を・・・
キボキアンはジッと観察し続けた・・・
という、若かりし頃と「同じ」行動を取りました。
新たな自殺装置では、確認されているだけで1992年に5人、翌93年には12人に死を処方しました。
それと同時に、
ジャナスは自殺を遂げた依頼者の遺族会を主催し・・・
残された遺族達の連帯感を生み出し・・・
キボキアンをヒーローに仕立て上げる・・・
という事に成功しました、、、

【 壊れ始めるキボキアン 】
しかし、1994年9月11日、ジャナスが心臓発作で急死しました。
そして、このジャナスの死から、
キボキアンの歯車が狂い始める・・・
という展開を見せます。
絶大なる信頼を寄せ、様々な面で協力を仰いだジャナスを失い、キボキアンは深い傷心に陥りました。
そして、多くの女性がジャナスの「跡」を継ごうとしたものの、誰もジャナスの「代わり」にはなれませんでした。
そして、この頃のキボキアンは、
自らで作ったはずの死のルールを・・・
蔑(ないがし)ろにする・・・
ようになりました。
特に、必ず立ち会っていた検死の場に、姿を見せなくなりました。
そして、
以前と違って「公然」ではなく・・・
「密かに」自殺幇助を実行する・・・
という行動が、頻繁に見られるようになりました。

そのような折の1994年12月、ミシガン州で自殺幇助禁止法が施行されました。
これにより、キボキアンは過去4件の自殺幇助で、再び起訴されました。
そして、キボキアンは裁判で強く反論するものの、ドンドン追い詰められました。
そして、
自分は迫害を受けていて・・・
自分こそが被害者だ・・・
と主張するようになりました。
しかし、1997年3月、地元新聞が以下の記事を報じました、、、
《 自殺患者のうち、約30人は末期症状ではなく、13人は苦痛が無かった。 》
つまり、この頃のキボキアンは、自らで作った死のルールも「どこ吹く風」の如く無視し、
頼まれるがままに自殺幇助を続けていた・・・
という事実が判明しました、、、

【 初の有罪判決 】
1998年9月、130人目の依頼者が現れました。
それは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された男性トマス・ヨウクでした。
そして、キボキアンはトマスの自殺幇助を実行する際、
唯一残されていた・・・
最後のルールを破る・・・
という行動に出ました。
それが、キボキアンの以下の「言動」です、、、
キボキアン:
『 私の手で注射してあげよう。 その方がより確実で、人道的だ。 』
そして、2ヶ月後の11月22日に実行され、これが冒頭で紹介したアメリカ全土に波紋を呼んだ、テレビ番組で放映された場面です。
なぜなら、キボキアンの言動の通り、
キボキアンが自らで注射する場面が・・・
映像にハッキリと残っていた・・・
つまり、自殺幇助ではなく・・・
この行為は殺人そのもの・・・
だったからです、、、

実は、この一件にニールも関与していました。
故に、ニールは『 その行為は、もはや殺人で間違いだ。 』と忠告するものの、キボキアンは一切聞く耳を持ちませんでした。
しかも、キボキアンは番組に招かれ、司会者の質問に映像を観ながら解説する始末でした。
こうして、番組の映像が証拠となり、1998年11月25日、トマス殺害の容疑で逮捕されました。
しかし、裁判が始まるとキボキアンは「自らで自らの弁護」に立ち、
安楽死の概念を持ち出し・・・
無罪を主張する・・・
という戦略に出ました。
しかし、禁固10年から25年を言い渡され、
キボキアン初の有罪判決
になりました、、、
