【 こじれ始めるキボキアン 】
その後のキボキアンは、死んだ直後の人体から血を抜き取り、それを患者に直接輸血する研究を始めました。
そして、協力したのが医療検査技師のニール・ニコルです。
そして、キボキアンは1962年に論文『 死体からの輸血方法 』を発表するものの、
医学界はキボキアンの論文を完全に無視し・・・
更に、キボキアンを一切相手にしない・・・
という態度を取りました。
すると、キボキアンは医学界に向けて、
自分の研究成果だけが正しく・・・
他の医師の言説は全て間違っている・・・
と批判しました。

このように、キボキアンの心が乱れ始めていた1985年、ニュージャージー州で昏睡状態だった女性カレン・クィンランが、肺炎で死亡しました。
実は、カレンは21歳で植物状態に陥り、快復の見込みが無いまま、延命治療で生き続けていました。
しかし、機械の力で生き長らえている娘の姿を見かねた両親は、カレンの生命維持装置を外す事を望みました。
そして、生命維持装置が外されたものの、カレンは自発呼吸をするようになり、その後も生き続けました。
それから9年後の1985年、カレンは他界しました。
カレンの死を聞き付けたキボキアンは、次のように批判しました、、、
キボキアン:
『 患者には、死ぬ時を自分で決断する選択肢が与えられるべきだ。 』
更に、1988年に論文『 計画的な死 』を発表しました。
そして、キボキアンは論文を通して、以下の主張をしました、、、
キボキアン:
『 「計画的な死」とは、人間の生命を意図的に終了させる行為である。 それには死刑執行、自殺、堕胎が含まれるが、注目すべきなのは安楽死である。 今こそ勇気を持って、死に新しい定義を与える時である。 単なる「良い死」では、十分ではない。 最も安らかな死、つまり「最良の死」を達成しなければならない。 』
そして、キボキアンは逮捕されない為に、
法の抜け道を探る
ようになりました、、、

【 自殺装置の開発に着手 】
1991年の論文『 死の処方 』では、キボキアンは自殺の方法に関し、以下の主張をしました、、、
キボキアン:
『 まず第一に、どんな方法を用いるかを決めなければならない。 即効性という点ではシアン化合物の方が上だが、その死に方は窒息と同じくらい苦しい。 バルビツール剤による昏睡の方が、間違い無く人道的であり、故に好ましい。 』
しかし、致死量に達するバルビツール剤は多量であるが故に、仮に全部を服薬出来ないと、植物状態に陥る恐れがありました。
そこで、キボキアンは安らかで確実な方法は、静脈注射以外に無いと結論付けました、、、
キボキアン:
『 だが、現行法においては、注射によって患者を殺した者は、殺人の罪に問われる。 何とかして、患者自身が打つようにしなくてはならない。 私は、それを実現する方法を思い付いた。 』
そして、キボキアンが思い付いた実現方法が、
ギリシャ語で「死の機械」を意味する・・・
自殺装置タナトロンの開発・・・
でした。

そして、タナトロンの仕組みは、以下の通りです、、、
① 患者に生理食塩水を点滴する。
② 患者は自分の意思で、好きな時間に自殺装置のスイッチを、自分の手で入れる。
③ すると生理食塩水の点滴が止まり、今度は大量の麻酔薬チオペンタールが体内に注入される。
④ それと同時にタイマーが作動し、それから60秒後に濃縮した塩化カリウム溶液が、注射針から体内に流れ込む。
こうして、
患者は麻酔薬により眠ったまま・・・
苦しむ事なく心臓発作を起こし・・・
短時間で死に至る・・・
この間、約5分・・・
という流れが作られました。
つまり、キボキアンは自殺装置を用いる事で、
自分は殺人を犯しているのではなく・・・
患者の要望を叶える為の・・・
自殺の手伝いをしているだけ・・・
との方便を用いました。
更に、法の目を「かいくぐる」為に、キボキアンは以下の通り、自らで「死のルール」を作りました、、、
1 : 耐え難い苦痛を抱えた末期患者に限定する。
2 : 患者自らに自殺の意思を表明させる。
3 : 自殺完了後は検死に立ち会い、最後の様子を証言する。

【 医師免許の剥奪 】
1989年、オレゴン州在住の54歳の女性ジャネット・アドキンズはキボキアンに連絡を取り、最初の依頼者になりました。
ジャネットは進行性アルツハイマー症と診断され、「判断能力」が失われる前に自らで命を絶つ事を、キボキアンに依頼する「前」から決意していました。
そして、実行の数日前、キボキアンはジャネットの意思表明を含む面談の場面を、ビデオで撮影しました。
1990年6月4日、キャンプ場に止めたキボキアン所有のワゴン車内で、ジャネットの自殺幇助が実行されました。
そして、自らで作った死のルールに則り、ジャネットの死後に警察を呼び、立ち会いまでを完璧にこなしました。
ところが、半年後の1990年12月3日、キボキアンはミシガン州から「殺人罪」で告発されました。
しかし、告発は10日後に取り下げられる事態となりました。
この取り下げの「決め手」となったのが、
ビデオで撮影されたジャネットの「意思表明」と・・・
ジャネットが自殺装置のスイッチを「自らで入れた」・・・
という2点でした。
そして、当時のミシガン州には、自殺幇助を禁止する法律が存在しなかったが故に、キボキアンは「無罪」となりました。

1991年10月23日、今度は同時に2人の女性の自殺幇助を実行しました。
そして、この時も殺人罪で告発されるものの、「証拠不十分」で無罪となりました。
このように、ある意味では自殺幇助を成功させ続けたキボキアンですが、実は、一人の「協力者」がいました。
その協力者とは、
2歳年上の姉マーガレット・ジャナス
です!
つまり、最初の方で『 アルメニア社会では、男子がとても大切にされる 』と紹介した箇所と関係します。
ジャナスはビデオの撮影は然り、依頼者の送迎や同意書の作成も含め、キボキアンの為に全面的な協力を惜しみませんでした。
更に、裁判に際しては敏腕弁護士も雇いました。

しかし、同時に2人の女性を自殺幇助した裁判が行われていた1991年11月20日、ミシガン州の医師会が、
キボキアンの医師免許を剥奪する
という動きに出ました。
そして、医師免許を失うとは、
医師しか扱えない自殺幇助に必要な薬物も・・・
入手出来ない・・・
という事を意味し、タナトロンの出番は無くなりました、、、
