コミュニケーションの対立と自己矛盾の解決法 ~アンチノミーを考え抜く~

【 人類を救ったハーバー 】

「後に」毒ガス開発の父と呼ばれるハーバーを有名にしたのは、

 

実は、人類を救った発明が「先に」存在!!!

 

していました!

 

 

ハーバーは研究成果を上げ続け、30代半ばに、世界中の人々が「待ち望んだ」研究に取り組みます。

なぜなら、18世紀に起こった産業革命により人口爆発(増加)が起こり、世界的な「食糧危機」が目前に迫っていたからです。

そこで、世界中の科学者が注目したのが、空気中に大量に含まれる「窒素」でした!

窒素は植物の「成長」に重要な役割を果たします。

 

しかし、植物は気体の窒素は吸収出来ない事から、空気中の窒素を液体か固体で取り出し「肥料」にする事で、一気に食料の増産が可能になると考えられました。

ハーバーは2年に及ぶ試行錯誤の上、1907年に空気中の窒素を液体のアンモニアとして取り出す事に成功しました!

 

この技術は世界に衝撃を与え、「ハーバー・ボッシュ法」と名付けられ、後の1918年にノーベル化学賞を受賞しました。

そして、作物の収穫量は10倍に増え、人類は食糧危機から救われました!

そして、この方法は「現在でも」使われています。

 

 

こうして、更なる名声を高めたハーバーは、1913年にドイツ皇帝の勅命で設立された「カイザー・ウィルヘルム物理化学・電気化学研究所」の所長に就任します。

研究所にはハーバーを慕う科学者達が、「国籍」を問わず世界中から集まりました。

その中にはアインシュタインもいて、「後に」二人は親友になります。

 

【 真の動機を取り違える 】

1914年に第一次世界大戦が勃発します。

そして、空気中に存在する窒素をアンモニアとして取り出す技術が、「再び」注目を集めます。

なぜなら、アンモニアから作られる硝酸アンモニウムは、有効な肥料であると同時に、「火薬」の原料でもあったからです。

 

つまり、ハーバー・ボッシュ法は、

 

空気があれば、幾らでも火薬が作れる技術

 

でした、、、

 

 

そして、祖国愛に囚われていたハーバーは、軍の科学部門長に任命され、新兵器開発の全権を与えられます。

 

第一次世界大戦では、穴を掘り身を隠し、敵を迎え撃つ塹壕(ざんごう)戦が主流でした。

故に、銃弾で攻撃してもお互いに戦果が上がらず、膠着状態に陥りました。

そこで、ハーバーは塹壕に潜む敵には、毒ガスが有効な兵器になると考え、次の3つの条件を満たす素材を探し始めます。

 

① 空気より「重い」

② 毒性が「強い」

③ 「大量」に入手出来る事

 

当時のドイツは世界一の化学工業大国で、石鹸などの化学製品の生産過程で「塩素」が大量に発生していました。

そこで、化学工業の「副産物」として大量に貯蔵されていた塩素に目を付けます。

そして、ハーバーは毒ガス開発に成功します、、、

 

 

【 人類初めての悲劇 】

ベルギーの国境線近くでは、ドイツと連合国軍が西部戦線を繰り広げていました。

1915年4月22日午後5時、ベルギーのイーペルという町で、

 

人類史上初めての毒ガスによる大規模攻撃

 

をドイツ軍が行いました。

 

塩素ガス5700トンが詰まったガスボンベ6千本を、全長24キロに渡って戦線に並べ、解き放ちました。

連合国軍の兵士は続々と倒れ、中毒者は1万4千人、死者5千人に及ぶと言われます。

この時、ドイツ軍技術士官として「前線で指揮」したのがハーバーです、、、