「なせば成る」実践の大切さと必要性を取り戻す ~上杉鷹山に学ぶ令和と江戸の共通点~

【 背中という行動で語る 】

鷹山は、米沢織などの「新たな産業」も創出します。

原料になる絹の素(もと)を増やす為に、養蚕を農民に普及させ、武士にも副業として奨励します。

 

更に、鷹山の側室や女中、武士の妻や娘など、従来は労働力と見做されていなかった人達も「参画」させます。

つまり、鷹山は大倹約時と同じく

 

自らの背中という行動で語る

 

という「実践」をしました。

そして、藩の大きな収入源となり、領内も潤って、間引きも行われなくなりました。

故に、人口の男女比も縮まり、家族も含め、人口が増えていきました。

 

 

ところで、日本でも「赤ちゃんポスト」に代表されるように、子どもを育てられず、他者に任せざるを得ないケースも多々あります。

一方で、子どもを授かりたく、不妊治療等に懸命に取り組んでいる人も多いです。

 

しかし、養子や里親制度は充分に活用されていません。

施設に預けられても、18歳になった途端に施設を退去させられる「強制的な自律・自立」が行われるケースが多いです。

 

そして、TOPICSでは、

 

グラデーション(濃淡)の活用

 

と伝えています。

これは、

 

良くも悪くも、極端な変化は「衝撃」が強すぎる

 

という事を「回避する」視点です。

 

 

人によっては、成人後すぐに社会に適応出来る人もいますが、全ての人がそうではありません。

未成年の子どもが親の世話をせざるを得ない、「ヤングケアラー」の問題も放置されています。

 

また、同性婚やLGBTQなどの人の結婚や夫婦を認めれば、養子や里親制度にも変化が現れるでしょう。

勿論、「一足飛び」で全ての人が救われる訳ではないでしょう。

 

しかし、

 

千里の道も一歩から

 

という「丁寧さ」も必要です。

 

世界では極右の台頭が増えていると言われ、「多様性の尊重」を掲げると、左派などと「レッテル」を貼られる、オカシナ世の中や社会です。

一方で、極右と極左が「手を組む」傾向も見られ始めています。

 

 

ここでも、敢えて魂の視点を当てはめますが、

 

魂の視点には、右派や左派などは存在しない

 

のが事実であり真実です。

魂の視点に存在するのは、TOPICSで繰り返し伝えている、

 

最も問われるのは真の動機!!!

 

です!

 

【 真の智慧や叡智は残り続ける 】

文政5年(1822年)、改革の成功を見届けた鷹山は、72歳で世を去りました。

 

そして、「現在の」米沢では、米沢牛と並び、鯉のうま煮も特産品です。

これも、鷹山が鯉の養殖を奨励した事が「始まり」です。

鯉は貴重なタンパク源として、海から遠い内陸部の領民の栄養不足を補いました。

 

 

そして、次の飢饉に備えて《 かてもの 》という書物を多数印刷し、領民に頒布しました。

この書物には、山菜や野草の食べ方、魚や鳥獣肉の保存法などが掲載され、漢字も読めるようにフリガナまでふられる「念の入れよう」でした。

 

また、江戸から本草学者(薬草や植物の効能を研究する学問)を招き、現在でも「受け継がれて」いる惣菜も多々生み出しました。

故に、鷹山の他界から10年後に起きた天保の飢饉で真価を発揮し(死者がかなり少なかった)、飢饉後も人口が増え続けていきました。

 

更に、大正から昭和の戦前・戦中・戦後の「食糧難」の時も、山形県「以外の他の県」でも、《 かてもの 》の書物は行政から幾度も発行され、多くの人を救いました。

故に、「今でも」米沢市民は、

 

鷹山公

 

と呼んでいます、、、

 

では、番組の紹介は終了し、締め括りです!