【 「右肩下がり」の米沢藩 】
上杉鷹山(ようざん)は、名君と呼ばれた米沢藩主です。
ちなみに、鷹山は九州の高鍋藩からの「養子」でした。
上杉謙信をルーツに持ちますが、その後を継いだ上杉景勝の時代に会津へ移り、120万石を治める大きな藩へと「成長」しました。
しかし、関ヶ原の戦いで西軍に付き敗北し、領地を米沢へ移され、30万石に削減されました。
更に、その後の3代藩主が跡継ぎを決めないまま急逝した事で、その責任を取らされ15万石まで減少しました。
この状況を救ったのが、鷹山です!!!
ところで、先ほどは国の税収は過去最高とコメントしましたが、
「予算」も毎年過去最高を計上(継続)している
のが現状です。
しかも、その大半を、
国民の「借金」(国債など)
で賄っているのが実状です。
そして、同じくTOPICSでは、
「右肩上がり」の経済成長は幻想
と伝えています。
これは、バブル期に「経験済み」です。
しかし、政府や政治家は「決まり文句」の如く、若い世代にツケを残さないと喧伝しますが、
死に逃げは出来ない
という事を、「あの世」で気づいても遅いです。
そして、世界の状況を見渡しても「混迷」に拍車が掛かっています。
そして、TOPICSでは、
混迷の時代には、(一見すると)「強い者」に任せ切りにして(依存して)はならない
と伝えています。
その表現を変えたものが、
一人一人が救世主!!!
です!
しかし、鷹山を取り上げた点から、「矛盾」していると感じるかもしれませんね(笑)
その「理由」も、この先に明らかになります、、、
【 責任転嫁せずに向き合う姿勢 】
明和4年(1767年)、鷹山は17歳で藩主になります。
そして、「自らの誓い」を記した誓詞(せいし)を神社に奉納します。
その誓詞には、
《 藩の再興の取り組みを怠ったら、神罰を受けて良い 》
と書き記しました。
当時、近隣の庄内藩は14万石で、2500~3000人の家臣を抱えていました。
一方、米沢藩は15万石で、5000~6000人の家臣を抱えていました。
しかし、鷹山は家臣に今で言う所の社宅を供給し、120万石時代から仕える家臣を養い続けました。
当然ながら出費がかさむので、商人から借金をしてやり繰りするものの、次第に返済が滞り「信頼」を失い、最終的には借金すら出来なくなりました。
そして、家臣の給料を半分カットするものの、借金の総額は16万両(藩の年間総支出額の5年分)に膨れ上がります。
そこで、鷹山が着手したのが「大倹約」でした。
「自ら率先」して食事を一汁一菜にし、安価な木綿の服を着用し、生活費を7分の1にまで削減します。
同じく、家臣にも厳しく命じるものの、一部の家臣から反発を招き、事態は「すぐには」好転しませんでした。
ところで、初詣など神社仏閣にお参りする人も多いでしょう(笑)
そして、お賽銭を入れ、「望み」を叶えて欲しいと、、、
しかし、これもTOPICSでは、神社仏閣のお参りは、
(過度な)「現世利益」をお願いする場ではなく・・・
望みを叶える為の、自らの誓いを「宣言」する場である・・・
と伝えています。
これは、お墓参りの「供養」も同じです。
つまり、
誰かや何かに責任転嫁せずに・・・
自らの出来る事に取り組む!!!
という姿勢が、あの世の大切な人を「安心させる」生き方という事です!