赦しを学ぶには身近な所から ~この世で全てを明らかにする必要は無い~

【 赦しもコミュニケーション 】

そして、犯罪の加害者と被害者という構図は分かりやすいですが、

 

赦しも「どちらか一方」だけでは成り立たない

 

のが事実です。

そして、

 

コミュニケーションとは「思い・言葉・行動」の総体

 

です。

このような、

 

人の「思い・言葉・行動」は時に人を「殺し」もする

 

のも事実です。

つまり、

 

裏を返せば人を「生かす(活かす)」事も出来る!!!

 

という事です!

 

 

「(過度な)二者択一」「どちから一方(だけでは成り立たない)」そして「コミュニケーション」という視点は、どれも「同じ意味」です、、、

 

【 魂の視点からの「子はかすがい」 】

今回の殺人事件の事例と経済(お金)を同列に語る事は勿論出来ません。

そして、TOPICSでは、

 

《 子どもは親を選んで生まれて来る 》

《 子どもは目的の一つに親(など)を助ける為に生まれて来る 》

 

という視点も幾度も伝えています。

しかし、特に今回紹介した事例に当てはめると、

 

到底この世の私達には「理解」が及ばない

 

のも事実であり真実です。

 

しかし、だからと言って殺傷の「言い訳」にも出来ません!!!

また、生まれる前から決まっている「運命」では全くありません!!!

故に、「駄目なものはダメ!!!」も当然必要です!!!

 

 

そして、殺傷などのケースに限るものではなく、身近な人間関係でもトラブルは多々生じます。

「不本意」を含めながらも、「赦す」事が解決への第一歩となる事も多々あります。

そのような場合には、自分で出来る範囲内で構わないので、

 

この世で全てを明らかにする必要は無い

 

という視点と同時に、

 

他者にも自分にも「赦し」という視点を取り入れる

 

という事を試してみて下さい。

「子はかすがい」の視点を広げると、

 

誰もが「誰かと誰かとのかずがい」である

 

というのが「この世」です、、、