赦しを学ぶには身近な所から ~この世で全てを明らかにする必要は無い~

【 自分を赦せなくなる 】

その後の大山さんは二審で弁護側の証人として出廷し、父の「死刑回避」を裁判所に訴えます。

しかし、

 

判決:
《 父も失う事は耐えられないという息子の心情は尊重すべき。 妻を失いたくないという動機は極めて自己中心的。 母を奪うという、これ以上ない不幸を息子に強いた上、犯行の隠蔽に利用する心情は理解し難い。 死刑はやむを得ない。 》

 

同じく2013年に拘置所の父から母の手帳などの形見が大山さんの元に届きました。

大山さんは「母の形見を送ってくれたのも父だけれど、母を殺害したのも父」という「事実」に再び気持ちが揺れ動きます。

そして、面会時に父から明かされた「母の最後の言葉」について、大山さんは涙ながらに語ります。

 

大山さん:
『 体を無理矢理浴槽に沈められて、その死の直前に「ヒロくん」って僕の名前を叫んだみたいで、でも僕その時、まだ小学校6年生で二階の自分の部屋で寝てて、助けてあげれなくて、、、

  何であの叫びに気づいてあげられなかったんだろうって、、、

  叫びに気づけなかった事に今でも凄い後悔してて、、、 』

 

 

父を「もう憎まない」と決めた大山さんですが、今度は赦せない感情を「自分に向け始めて」いきました。

そして、父を受け入れれば受け入れる程に「母への罪悪感」が強くなっていきました。

幾度もリストカットを試みたりなど、この2013年から取材陣に対する大山さんの音信が途絶えます、、、

 

更に、この頃の大山さんは他のメディアの取材も受け、自らの経験を語る活動を行っていくものの、SNSの誹謗中傷に晒され、心を病み「周囲との関係を断ち切って」いきます、、、

 

【 自分の心身を守る為に 】

取材陣は2022年に大山さんと再会します。

同じく名古屋市に在住し続け、仕事も変わらず風俗店員として働いていました。

そして、「住民票を置く為だけ」に家を借りていました。

 

なぜなら、「未だに」住所を知られ家に押しかけられたり、嫌がらせを受けていたからです。

それで身の危険を感じての苦肉の策でした。

 

そして、左腕には父の名前の一字と父の思いを表現した絵、右腕には母の名前の一字と母の思いを表現した絵の入れ墨を入れていました。

そして、入れ墨をした「理由」を大山さんは語ります。

 

大山さん:
『 自分にもし家族が出来た際に、同じような辛い思いをさせてしまうんじゃないか。 入れ墨はマイナスの部分しかないと思うので、少しでも結婚し辛い環境に自分を追いやる事が目的。 』

 

 

【 不安定な父との距離感に悩む 】

父の死刑執行はまだされていないものの、死刑を告げられるのは当日の朝になります。

この頃の父からは「不安定な心情」を綴った手紙が届くようになりました。

それで、大山さんも3年前から父の面会と手紙のやり取りも止めていました。

 

大山さん:
『 そろそろ執行されてもおかしくない。 面会をする事でお互いについてしまう傷が深くなる。

  手紙を書けば会いたくなるし、会ってしまえばやっぱりこちらも死に目に会いたくなるし。 父親も死刑が執行される前に、もう一度寛人に会いたいという思いが芽生えてしまう。

  お互いに何を言う訳でもなく手紙を書かなくなり、何を言う訳でもなく面会をしなくなりましたね。 』

 

そして、大山さんは覚悟を決め、これ迄届いた父からの手紙を燃やすことに決めました。

 

大山さん:
『 「明日かもしれない」という思いがより一層強くなって来ている。 毎朝毎晩、強く覚悟を決める。 執行された後にこれを読み返しても自分の心が苦しくなるだけなので、いい想い出として読み返す事はやっぱり出来ないので。 』