地に足を着けて生きるとは ~空と海を繋ぐ地上の空海伝説に学ぶ~

【 曼荼羅という「二次元」の活用 】

しかし、幾ら小さい仏像とは言え、それを毎回持ち運んでセットするのは手間も掛かります(笑)

そこで空海は唐から曼荼羅という二次元の「絵」を持ち帰ります。

絵なのでクルクル丸める事が出来、持ち運びも楽という利点もありますが、何よりも、

 

文字を読めない人にも伝えられる

 

というのが最大のメリットです!

仏像は「三次元」で、曼荼羅は「二次元」という、今で言う所の「TPO(時と場と場面)」を意識した宣伝上の工夫と言えるかもしれません(笑)

 

 

ちなみに、曼荼羅には二種類あります。

 

「胎蔵曼荼羅」は先程の仏像を配置した三次元の密教の世界観を二次元で表現したものです。

もう一つの「金剛界曼荼羅」は9つのマスを用いて仏になる為の道筋を表現したものです。

今で言う所の「双六(すごろく)」「人生ゲーム」のような感じかもしれません!?(笑)

そして、空海が曼荼羅を活用した理由として次の言葉が残っています。

 

空海 : 《 (曼荼羅を)一度見ただけでも成仏することが出来る 》

 

もしかしたら、視覚に加え「暗示」を活用して潜在意識への瞬時のインプット!!!という空海の思惑があったのかもしれません!?(笑)

 

 

【 日本全国に存在する空海伝説 】

北海道から鹿児島まで約3、000もの空海伝説が語り継がれています。

例えば岩手県の「甘わらび伝説」では、アク抜きをしなくても食べられるわらびを授けた。

新潟県の「宝手ぬぐい伝説」では、空海から貰った手ぬぐいで顔を拭くと若返った。

 

そして、富山県上市町に護摩堂地区という場所があります。

当時、この地には水源が無く困っていた所、空海が杖を一振りした事で水が湧き出て来たという伝説です。

そして、現在の護摩堂地区には、空海が802年の29歳の時に来たと伝えられています、、、

 

 

しかし、この802年は唐での修業前であり、この頃の空海は仏典研究に没頭していた時期と考えられています。

また、空海に関しては25歳から30歳までの記録が残っていない事も関係しています。

このような空海伝説は一体全体どういう事なのでしょうか、、、

 

【 空海伝説の真相 】

空海伝説が日本全国に存在するからくりは「高野聖(こうやひじり)」と呼ばれる僧たちが関係しています!

高野聖は平安時代の末から江戸時代に掛けて活動し、空海から授けられた説法などを行う活動をしていました。

それと同時に空海の「名を広める」役割も担っていました。

今で言う所の「営業活動」ですね(笑)

 

先程の『 空海は今でも奥之院で祈り続けている 』という話はさておき、空海亡き後の高野聖の中には「虎の威を借る狐」や、これも今で言う所の自分を良く見せる意味での「承認欲求」の人もいた事でしょう(笑)

また、話を盛ったりなどの「営業トーク」も様々な伝説に結び付いていったのかもしれません。

昨今ではSNS等での有名人の成りすまし詐欺広告や、あらぬ事実や噂による口コミ被害も後を絶ちません、、、

 

 

【 現代に通ずる!?高野山再建の手段 】

5年前に約1万基の木製五輪塔が発見されました。

これは民衆が先祖供養の為に高野山に奉納したもので、五輪塔の底には全国津々浦々の地名が書かれています。

当時、高野山に落雷があり寺の大半が焼失し、荒廃の危機に陥っていました。

つまり、高野山再建の為に高野聖が「寄進(寄付)」を求め全国行脚していた証と言われます。

これも今で言う所の「クラウドファンディング」と似たように感じませんか???(笑)