コロナ禍での初詣など ~意識の力~:時間や空間に捕らわれないという本質

神社やお寺さんでの参拝にしても・・・

お仏壇やお墓などでのご供養にしても・・・

「御利益(自分にとって都合の良い事)」をお願いするものではなく・・・

 

「あなた自身」の「誓い」を「宣言」し・・・

その「誓い」を成し遂げる為の・・・

「導き(やサポート)」をお願いするもの!!!

 

というのが、参拝やご供養などの「本質(性質)」になります。
そして、この事から、

 

「導き(やサポート)」をお願いした後には・・・

「あなた」の「思い・言葉・行動」を大切にし・・・

そこから起こってくる「結果」に(過度に)「執着」せず・・・

「あなた」に求められる事は・・・

「出来る範囲内」での「最善」を尽くす事だけ!!!

 

となります。
つまり、例えばですが、

 

「あなた」の「思い・言葉・行動」を大切にするとは・・・

「思い立ったが吉日」という事でもあり・・・

 

そこから起こってくる「結果」に(過度に)「執着」せずとは・・・

「果報は寝て待て」という事でもあり・・・

 

この「二つ」を「繋げて」そして「重ねて」みると・・・

「人事を尽くして天命を待つ」という事となり・・・

 

つまり・・・

「出来る範囲内」での「最善」を尽くす事だけ!!!

 

という「体現」となっていきます。
では、ここで少し視点を変化させてみますが、律儀な人におかれましては、『 「意識(焦点)」を「対象(場所など)」に当てるのは分かったけれど、「お賽銭」を払わなくて良いの??? 』と思われるかもしれません(笑)

 

そこで「お賽銭」についてですが、これは神社やお寺さんなどにおきましても、その使途というのは、そこで働いていらっしゃる方々の人件費であったり、建物などの修繕・維持費、また、景観を保つ為の清掃などに当てられております(勿論、これ以外にも使途はありますが)。
そして、「お賽銭」を払わない事について、どうしても「罪悪感」などを感じてしまうという場合におきましては、

 

「今」既に「存在」している方法を活用する!!!

 

という事でも可能となります。