冬至という初夢に贈る物語(メタファー) ~パート4~:丘の上の金色の窓

今回も「皆さんの自由な感性や感覚」を味わう事が大切ですし、様々な受け取り方などがあって良いものでもありますし、それはとても自然な事でもあります。

 

なお、最近では特に「偏向?」な見方をされるケースもありますので、一言お断り致しますが、物語(メタファー)の中における、「家族」や「両親」(が揃っているなど)についての視点をお届けしている訳では決してございません。
これも人それぞれの環境や状況というのは「違い」があって当然な事でありますし、そこにあるのは「差異」であって「優劣(など)」は存在しておりませんので!

また、休憩時間が1時間とはブラック労働じゃないか!などのご意見が、もし仮にあるとしても、あくまで今回はそのような趣旨でもなく、作者の方が生き抜かれた時代背景(1882年~1936年)という事情もありますので、どうぞご理解下さい(笑)

 

そこで、「皆さんの余韻」を台無し?にしてはいけまんせんが、少しだけ、私なりの視点を囁(ささや)かせて貰います(笑)

なお、このTOPICSを継続してお読み下さっている方々におかれましては、お気づきになっているかどうかは分かりませんが、ここ最近のTOPICSでは、出来得る限り「繋がり」を持たせようと、「前回のTOPICSでは、、、」などのコメントもして来ております、、、

では、私なりの視点の幾つかをご紹介して参ります!
まず、一つは、

 

「主観」と「客観」

 

という視点です。

 

男の子は、(自分の家の方から)女の子の家を「客観」で眺めている事で・・・

キラキラと輝いている事に「気づき」ました・・・

しかし・・・

 

女の子の家まで行って「主観」で眺めて見ると・・・

女の子の家には金色の窓が無い事にも「気づき」ました・・・

 

そして、逆に、

 

男の子は、(女の子の家の方から)自分の家を「客観」で眺める事で・・・

自分の家もキラキラと輝いている事に「気づき」ました・・・

 

そして、私の視点として何よりもピン!!!と感じるのが、

 

男の子は自分の家に戻り・・・

自分の家を「主観」で眺めた時にも・・・

 

自分の家がキラキラと輝いていて・・・

金色の窓が付いている事(という象徴)に「気づけた」!!!

 

というものです(笑)
これは表現を変えると、