語るに落ちる・・・ではなく・・・語らずとも落ちている ~無関心が生む不作為という行動~

【 愛の反対に気づく 】

ここから、今回のテーマの趣旨に入ります(笑)

それは、同じく先ほどコメントした、

 

「不作為」も「行動」の一種である事に気づけなければ・・・

「優しさ」や「思いやり」にも気づき辛くなる・・・

 

という「本質」があります。

勿論、「優しさ」や「思いやり」は、目に見える「具体的な行動」に現れるケースもあります。

 

ただ、例えば、

 

ギャンブルで浪費する事が・・・

分かっていながらお金を貸す・・・

 

などは、本当の「優しさ」や「思いやり」ではありません。

つまり、このケースでは、

 

本人を想っての事であれば・・・

お金を貸さないという「不作為」の「行動」が・・・

本当の優しさ」や「思いやり」!!!

 

という事です!

 

 

あるいは、「見守り」や「寄り添い」も同様です。

そして、

 

「具体的な行動」は目に見えやすいが・・・

「不作為」という、目に見え辛い「行動」に・・・

気づけるかどうか???

 

という視点を意識し、活用出来るようになると、

 

人生の幅や奥行きが深まる!!!

 

という事に繋がります!

そして、ここ迄の政治家や官僚の「不作為」という「行動」は、「反面教師」として活用しました(笑)

 

 

ところで、私はキリスト教徒でもなく、無宗教ですが、マザー・テレサの言葉に、次のものがあります、、、

 

《 愛の反対は無関心である 》

 

そして、再び政治家や官僚に目を転じ、頑なに拒否・抵抗という「不作為」の「行動」を取るとは、

 

「無関心」を意味しており・・・

詰まる所、国民に対して「無関心」であり・・・

国民を「愛していない」・・・

 

という事です、、、

 

 

【 言葉を裏切らない 】

他にも、「語るに落ちる」の典型例を眺めます!

一つに、

 

様々な疑念や疑惑を問いただされても・・・

現在、調査及び検討中であるが故に、答弁を差し控える・・・

 

と回答します。

その一方で、

 

まだ、何も聞かれていないのに・・・

政府の関与は一切ない!!!

 

言い切ります!

 

しかし、

 

調査も検討も終わっていないにも関わらず・・・

どうして言い切る事が出来るのか???

 

というのは、紛れもない「言わずもがな」です!

 

 

そして、

 

詭弁(きべん)の「詭」という字は・・・

「危(ない)」+「言(葉)」との成り立ち・・・

 

という事です、、、

 

そして、それと同時に、

 

「誰かや何か」の責任にするだけで・・・

自らで何も「行動」に移せなければ・・・

何も変わらない!!!

 

というのも事実であり真実です!

 

そして、冒頭では「毒舌」にもコメントしましたが、

 

「毒舌」と、問題点を鋭く指摘する「風刺」などは・・・

全く別物!!!

 

です!

 

 

そして、よくワイドショー等に出演する、ここ最近の芸能人やコメンテーターなどを眺めていると、

 

「毒舌」である事が「重宝」

 

されています。

勿論、仕事という面での「演じている」ケースもあるのでしょうが、

 

言葉を裏切る人は・・・

言葉から見限られ・・・

自分でも知らぬ間に・・・

毒が毒である事に気づかなくなる・・・

 

という末路を辿ります。

 

更に、

 

毒舌に同調する視聴者にも・・・

同じ傾向が当てはまり・・・

演者と視聴者共に「毒を持って毒を制す」の如く・・・

無自覚で毒にコントロール(支配)されるようになり・・・

終いには、毒に冒(おか)されている事にすら・・・

「気づけない」状態に陥る・・・

 

という、悪循環に嵌まり込みます、、、

 

 

では、最近の2つの出来事を紹介するので、「理性の活用」「愛」について考えて下さい!