語るに落ちる・・・ではなく・・・語らずとも落ちている ~無関心が生む不作為という行動~

まず、ここ迄の結論としての「語らずとも落ちている」という事の「本質」にあるのは、

 

「不作為(何もしない)」も「行動」の一種である

 

という視点です。
これは今回の官僚の場合においては、責任だけが押しつけられるような職場環境が今後も続いてしまうのであれば、そして、自らが推し進めている政策(誰でも何度でもチャレンジ出来る社会)に本当の自信があるのであれば、

 

針の筵のような環境に居続けるよりも・・

本当の自分を表現出来る、別の環境を求めて・・・

新たな世界にチャレンジしてみる!

 

という展開になっても不思議ではないと思われますが、多くはそのような選択と決断をする官僚の方は少ないと思われます。
つまり、

 

現実には・・・

誰でも何度でもチャレンジ出来る社会などは・・・

夢のまた夢・・・?

 

という事を、

 

今の職場に居続けるという「不作為」の「行動」で語ってしまっている・・・

 

という側面を現しています。
なお、私は官僚の方々に転職を勧めている趣旨ではありませんし、今のような現状だからこそ「官僚の本来の仕事は何か?」という事を改めて自分に問い掛けるキッカケとして頂き、そして、「官僚になろうとの選択と決断をした時の志」を今一度想い出す契機として頂ければとの思いから、素材として提供している次第です(笑)
そして、自らの利益にならない「行動」は取らない政治家においては、

 

参考人の招致や資料提出の要求に応じない・・・

 

という事は、

 

実は・・・

ことごとく拒否や抵抗してきたという「不作為」の「行動」を取っていること自体が・・・

自らの利益となっている事を語ってしまっている(すんなりと受け入れると自らの不利益や不都合となる)・・・

 

という「動機」が「語らず」とも炙り出されています。
これは、イジメなどの問題においても、「見て見ぬフリをするのもイジメへの荷担」という点からもご理解頂けるかと思います。
それでは、ここからが今回のテーマの本当の趣旨となります!
その趣旨とは、